日本の若い人たちの自己肯定感は、欧米の青年たちに比べて低いと繰り返し報道されている。

 その結果、日本では褒める教育が普及した。しかし、それは結果を出しているだろうか?

 

 褒める教育は欧米経由で”輸入”された。

 では、欧米では子供たちはそんなに褒められているか。

 そのようなことはないと榎本先生は指摘なさる。

 欧米圏の親たちは、普段はむしろかなり厳しく子供に接しており、有無を言わさず命じているという(p42-43、107-109)。だからこそ、褒めることが有効だという議論になっているらしい。

 日本だと食事をとらないと「食べないと大きくなれないよ」など理由を入れるが、欧米では「食べなさい!」(p42-43)。

 なお精神分析家の土居は、自身の留学体験から、アメリカ人精神科医が(日本人からみると)驚くほどの鈍感であると書き残しているという(p44)。共感性の高低も関係している。

 

 

 日本が低いことより、なぜ欧米の青年たちは自己肯定感が高いのか?も考えないといけない。

 一つは調査紙の問題(p72)

 もう一つは文化の違い。謙遜か自己主張か(p40、96-97)

 日本は周囲に溶け込んで不安を解消するが、欧米は自己肯定で不安を解消しているのではないかという(p96-97)

 

 

 そして榎本先生は、自分に満足できないというのはある種の成熟で(p23)、理想の自分とのギャップへの悩みあり、それは向上心だとおっしゃる(p69、85-89)。 

 その通りだと思う。

 つらい時は「そのままでもいいよ」だが、そうでなければ「このままでいいのか」と思うのは健全ではないのか(p95)

 事実、日本の調査で「自分に満足していない」と回答した人に深堀して尋ねると、「今の自分に満足したら成長できない」と答えた方が30%いらしたという(p80)

 

 

 では、日本の褒める教育の今のところの結果は?

 褒められ慣れて注意や叱責される機会が少ない若い人たちは、注意叱責を受けると、行動修正の機会でなく人格攻撃・否定と捉えるようになっているのではという(p105 「最近の若い者は―」と言いたくはないが、なんとなく感じる。すぐパワハラとか言われそう)

 一方、あまり頑張っていないあるいは易しい課題で誉められると、「期待されていない」「この程度と思われている」「こんなもんでいいんだ」と受け取られかねない(p121 私なら「馬鹿にしている?」と思う。子供たちの一部も、大人たちに物足りなさや歯ごたえのなさを抱いているらしい p130-131)

 何を褒めるかも重要。

 努力だと困難な課題に挑戦するようになるが、能力の高さだと失敗を恐れてチャレンジしなくなる(p118-120)

 あるいは承認欲求が強くなり評価ばかり気にするようになる(p133-134 SNSの現状!)

 

 

 そもそも自己肯定感は、「何かできた」ら上がり、「できなかった」で下がるようなものか?

 もっと安定的なものではないか(p137-138、140)

 Wiliams, Jは自尊心=成功÷願望としたが本人自身認めている通り、これは単純すぎる(p140)

 Brown(スペル不明)は、持続的な自尊感情をパーソナリティーの一側面とし、一時的感情を自己価値感情とした。そして、自尊感情が高いと自己価値感情を高めるのが巧みになるという(p141)

 褒められてあがる”自己肯定感”なるものは一時的感情(p145)で、それは真の意味での自己肯定感なのだろうか?

 なお、根拠は書かれていないのだが、ほめることでメタ認知、非認知能力が機能しなくなるという(p146、150)。

 メタ認知とは、認知的活動の認知、勉強の仕方とか、人間関係の在り方など(p141ー142)。そのうち、メタ認知モニタリングが活動の振り返り、コントロールは活動の変更にかかわる。一方、非認知能力は、意欲的になる力、忍耐、集中、自制などで、知的能力に含まれないもの(p150)。

 

 

 自分の生育歴を振り返って同意することばかりだった。

 的外れな誉め言葉は却って人を傷つけないだろうか?

 

 

榎本博明:自己肯定感は高くないとダメなのか. ちくまプリマ―新書、東京、2025