かわたれどきの頁繰り

かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。
小野寺秀也(仙台在住)のブログです。

2019年7月5日

 

 最近、あまり読書が進んでいないが、シャンタル・ムフの『左派ポピュリズムのために』(山本圭・塩田潤訳、明石書店、2019年)に続いてブレイディみかこ、松尾匡、北田暁大の3人の対談本『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房、2018年)を読んだ。
 この2冊の本に共通しているのは、グローバリズムが席巻する時代に新自由主義に取り込まれた左翼(イギリスの労働党政権がその典型)の批判と、現代の左翼への「左派ポピュリズム」の提言で、とても興味深く読むことができた。
 もっとも「ポピュリズム」を「大衆迎合主義」と理解する日本で「ポピュリズム」を勧めるというのはけっこう大変らしい。ネットでは「ポピュリズム」という言葉に過敏に反応している様子がしばしば見られる。もちろん、両書の著者たちはそのことは百も承知で「ポピュリズム」そのものの意味についても言及している。
 「ポピュリズム」を「大衆迎合主義」と理解するのはいつごろから始まったのだろう。私の想像では、松尾匡さんが「レフト1.0」と呼ぶ「旧来のマルクス・レーニン主義」の時代に左翼がポピュリズム思想を貶めるために用いたのではないかと思う。大衆は愚かで「左翼・党」が指導するべきものであって、大衆に迎合することなどあってはならない、ということだったに違いない。しかし、そのような左翼・党は政権に近づくことすらできなかった。
 テレビ、新聞などのマスコミ・ジャーナリズムはまったく取り上げないが、ネットでは今次の参議院選挙で山本太郎が立ち上げた「れいわ新選組」という政党が注目され、騒がれている。消費税撤廃などの主張が既成政党から「ポピュリズム」と揶揄される場面も多いが、もしかしてそれは「左派ポピュリズム」と呼んでもいいものではなかろうか。
 両書とも、現在のヨーロッパの左派・左翼政党が新自由主義的緊縮財政に反対して支持を広げていると指摘している。新自由主義グローバリズムから逃れられないリベラル政党に比べれば「れいわ新選組」は明らかにその限界を踏み越えているように見える。「れいわ新選組」の政治理念・思想の全体像を理解しているわけではないが、「ポピュリズム」に踏み込むことをまったく恐れていないことがとても興味深い。願わくば、マスコミ・ジャーナリズムに取り上げられて、国民がその「ポピュリズム」にどう反応するのか見てみたいのである。​

 



 

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