
刑務所の一見わかりにくいペナルティ
逮捕されて、「刑務所に入りたかったから事件を起こした」とか、わけのわからないことを言う人がいるが、あまりにもノー天気な動機だと思う。一応、「食事は出るし餓死することはない」くらいのメリットくらいしか考えていないのだろう。
その事件後の影響まで考えが及ばないのだと思う。被害者やその家族のこと、本人の家族のことなどはもちろんである。
純粋に医療だけでも、僕は刑務所で医療をしていた時、時々思っていたが、ほとんどの医療が応急的なものなので、重大な疾患が潜んでいても初期に発見されることは滅多にない。
刑務所では予防的スクリーニングをしない。
例えば日常、病院で血液検査などを受けたり、人によれば定期的に人間ドックで検査したりするが、刑務所ではそのような無駄な医療サービスはしない。
例えば、無期懲役や死刑囚の人が、〇〇癌で死亡などのニュースを聴くが、もしその人が刑務所に入ってなかったら、その癌で死亡しなかった可能性がかなり高い。
その意味で、無期懲役ない死刑囚で刑務所内で85歳以上まで元気で生きている人は、かなり身体の出来が良いと思う。
日本では、無期懲役で91歳で仮釈放された人がおり、おそらくこの人が最高齢記録だと思う。死刑囚で最も高齢で獄中死した人は90歳だった。
刑務所内で90歳まで生きれた人は、もし犯罪をしなかったら100歳以上まで生きた確率が高いと思う。
手作り木箱ECT機器と感電
かつての古いタイプの電撃療法(ECT)の機器は、一見、救命箱くらいの大きさで民間の精神科病院では医療機器として備えられていることが多かった。そして、その箱は木箱だったのである。最初、その木箱を見た時、あまりにクラシックな機械であることに驚いた。また大抵、薄汚れていてこの機械、大丈夫か?と思うようなものだったのである。
また病院によりその大きさはともかく仕様に差があった。例えば、昔の電話受話器の形状で片手で行えるタイプと両手で電極で頭を挟むようなタイプである。どちらが使いやすいかと言えば電話機型である。少なくとも、他の病院で全く同じECT機器を見たことが一度もない。
電撃療法は第二次世界大戦前の1938年にイタリアで考案され、1939年には日本に導入されている。そう言う歴史もあり、機械自体がかなり古いものだったのかもしれない。
僕が精神科医になった頃の電撃療法の機器は、何度か故障して病院で修理したような形跡がある古い機器で、その修理も不十分で施行者にリスクがあるようなシロモノだった。
例えば、電話機のようなハンドルが何度か壊れたため、ビニールテープでぐるぐる巻きにしているなどである。実際、施行中に僕は感電し不整脈が出たことがある。おそらくビニールテープの粘着剤に電流が漏れていたのである。もし僕が左利きだったらもっと危険だったかもしれない。
2000年代の初め頃、多分2001年くらいだったと思うが、病院で新品のECTの機械を購入してもらったところ、やはり木箱だったことに驚いた。電極のあるハンドル部分はプラスチックだった。価格は16万円か、26万円かそれくらいの価格で、耐久性のある医療機器としては安価だと思った。
木箱ECT機器の構造的には、おそらく家庭に来る交流そのままだと思う。電圧を変えられるダイヤルとメーターがあるだけのアナログの構造である。当時、後輩と施行した感想は、「このECTはキレますね」と言うものだった。どう違うのかわからないが、古い機器に比べかなり効果が出る印象だった。
少しオカルト的だが、同じECT機器でも実施する医師により効果が少し異なるように見えるのは勉強になった。同じ秒数施行しているのに、このようなところにも経験の差が影響するのである。
1990年代、既に海外では修正型ECTが開発、発売されていたが、当時はまだインターネットが一般化しておらず情報は限られていた。修正型ECTは、従来のECTのサイン波からパルス波になったのである。また施行時に麻酔及び筋弛緩剤を使うため痙攣が起こらない。
修正型ECTの話が知られるようになった当時、痙攣を起こさないことで治療効果が減弱するのでは?と言う懸念があった。これは僕だけが言っているのではなく、従来の痙攣が生じるタイプのECTを施行したことがある医師は同じような懸念を持ったと思う。と言うのは、木箱ECTで稀に痙攣が生じなかった時、効果もなかったからである。実際に学会でそのような質問をする医師がいたほどである。
1990年代、おそらく1997年頃と思うが、初めて麻酔及び筋弛緩剤を使用して、木箱ECTを実施したことがある。この結果だが、筋弛緩のために痙攣が起こらなかったのに、従来と遜色ない効果があったことに驚愕した。ECTはやはり脳への通電が重要で身体的な痙攣はそこまで必要ではなかったのである。
しかしながら、今となっては麻酔をかけて木箱ECTで実施したことで効果が保たれたように見える。発売当時のパルス波の修正型ECTは旧来のサイン波のECTほど効果が出なかったからである。
旧来のECT機器の欠点として、サイン波で痙攣誘発に必要なレベルを遥かに超える過剰な電気エネルギーを流していたことがある。その結果、施行後の記憶障害が出やすかったのである。(修正型ECTでは全ての人に記憶障害がないわけではない。個人差がある。)
修正型ECTは、ONとOFFを極めて短い周期で繰り返す短パルス短形波を利用し無駄な電流を排除して脳への悪影響をかなり抑えた仕様である。その後、更にパルスの間隔を小さくして最低限の電気エネルギーで効果を上げるようにアップグレードされ、サイン波の3分の1から5分の1程度の電気エネルギーで治療が可能となっている。
最新の修正型ECTの治療効果が、旧来のサイン波木箱ECTの効果にどのくらい追いついているかは詳しくない。
参考
カプリ島、青の洞窟内で聴く船頭さんの歌声、口笛
青の洞窟はおそらく世界中にあると思うが、イタリア・カプリ島の青の洞窟は本家の青の洞窟である。天候が悪く海が荒れると行けないことも多いらしい。この日は好天に恵まれたので良かった。
カプリ島の玄関口、マリーナ・グランデ(Marina Grande)港から小さな船で青の洞窟に向かう。
映像を見るとわかるが、太陽の光が海水を透して幻想的な青い光を放っている。ここではサービス?で先頭さんの歌声と口笛が聴ける。おそらくサンタルチア。
カプリ島の港を出て青の洞窟に向かっているところ。
険しい崖になっている。
洞窟内は青く幻想的。
太陽光が見えるのは青の洞窟の出入り口だが、船の底にへらべったくならないと、波の上下で頭を潰されるリスクがある。船底には海水が上がっているし、服が汚れるなどと言っておれない。
イタリアのどこの観光地もオーバーツーリズムで人が多過ぎる。カプリ島も非常に観光客が多かった。
カプリ島にはナポリの港からフェリーや高速船で向かう。旅行会社のツアーではなく、自分で行こうとすると、イタリアの観光地はいずれも犯罪都市なので、ロストバゲージやスリに逢う危険性が増し難易度が高い。ホテルの前でポーターがスーツケースを運ぶ際に泥棒に盗まれるリスクすらある。
カプリ島は行く際に個人でフェリーを利用するので一層リスクが高いと思う。しかし、カプリ島に着いてしまえば、そこまで犯罪にあうリスクはなさそうに思った。
カプリ島の近くに、アマルフィという風光明媚な観光地があるが、交通の便が悪く、難易度はカプリ島より高いと思う。アマルフィもやはりナポリからフェリーや鉄道で行くが距離がある。
精神科病院での身体拘束と裁判(補足)
隔離して更に身体拘束すると言う事例について、この機会なのでもう少し記載。
基本、身体拘束は患者さん本人の身体、生命に危険性がある時に許されている。つまり身体拘束をしないと周囲(特に医師、看護師)に危害が及ぶ時は、隔離だけで十分で、身体拘束する必要などないと言う考え方である。裁判になると、そう言う判断をされることがほとんどである。
実際のところ、隔離だけでは本人が死亡するとか大けがをするような精神症状は滅多にない。前回の記事で記載した何度も壁に頭をぶつけて脳挫傷を起こしかねないとか、重いジル・ド・ラ・トゥレット症候群などで自ら眼を突いて失明するような際は、身体拘束もやむを得ない。他に良い方法があるかもしれないが、容易に思いつかないからである。
本人が周囲に危害を及ぼしかねない重篤な病状で隔離だけ実施し、身体拘束しない場合、例えば看護者が食事を持って行ったり、隔離室の中を掃除したりする際に、体当たりされて肋骨や腕を骨折したり、あるいは急に殴られて眼窩底骨折などが起こりうる。(実際にこのようなことは起こっている)。
精神科病院にとって、そもそもそのレベルの患者さんを身体拘束することは職員が大怪我をするリスクがあるため、行いたくないことである。また隔離や身体拘束を行うと、何度も本人の様子を確認し、カルテへ記載しなくてはならない義務があるなど多くの業務が増える。
それでも身体拘束をするしかないと思われる時は、一度にまとまった人数の職員(特に男性職員)を隔離室に集め、集団で身体拘束するしかない。これはその日の出勤している職員の状況など条件が揃わないとできないことでもある。
そのようなことがあるため、僕の記憶の限り、隔離して更に身体拘束したことはない。もしかしたら昔にあったかもしれないが憶えていない。それは病院で身体拘束するだけのマンパワーが揃わないこともあるが、実際にその方法しかない状況が自分の病院ではまず起こらないこともある。措置入院を断るなど、このような重い人は最初から診ない方針なのである。これは僕が決めたことではなく、前の院長が大昔に決めた。そのため民間の精神科病院なのに男性職員が相対的に少ない。
このように、種々の制約及びリスクがあり、隔離+身体拘束は稀にしか行われない医療である。
隔離の際に、本人は死亡や大怪我のリスクがないが、周囲の看護者に死亡ないし大怪我のリスクがある場合、身体拘束しない場合、職場の労働環境が劇的に悪化する。
つまり、患者さん中心で人権を守れば守るほど、職場の安全性が脅かされるシーソーのような状況にある。
上の記事では、日本では労働力不足から、地方の病院で職員が足りなくなってきていると言う記載をしている。「あの精神科病院では職員が怪我をしやすい、病院は何も対処してくれない」などの話が地域の各病院の看護職員に共有されると、ますます働き手が不足すると言う事態になる。実は今風の働き方改革も無関係ではないのである。
前回の記事で、
ひとつ言えるのは、昨日まで非常に精神症状が悪く、その日の状態が一見良さそうな時、すぐに身体拘束を終了して良いのか?と言う専門性のある診たてである。それは精神保健指定医の判断だと思う。
と言う記載をしているが、身体拘束に多くの男性職員を要するような病状の患者さんの時、その瞬間良くなっているからと言って、速やかに身体拘束をやめた場合、数時間後、再び病状が悪化した際に身体拘束が出来ないリスクがある。それは職場に男性職員数などの条件が揃わないことがあるからである。
これはまだ僕が医師になった当時の話だが、看護職員を2人くらい撲殺したと言う、ちょっと信じられないレベルの患者さんが民間病院の保護室に隔離されていたらしい。食事も保護室の下にあるトレイ入れから入れて、誰も保護室に入ることなどできなかった。もちろん入浴などもさせられないし、室内の掃除もできない。薬を飲んでいたかどうかは不明である。もしかしたら食事に混ぜていたかもしれない。
この患者さんについてだが、とりわけ重かったからこのような話が出たわけではない。なぜ、このような超絶に重い患者さんを国公立の病院ではなく、民間病院が診なければならないのか?と言うことで話題になっていたのである。
この患者さんのその後の話だが、ある朝、室内で倒れていた。全く動く気配がないので、職員を多く集め恐る恐る室内に入ったところ、死亡していたと言う。
いずれにせよ、法律家は医療現場を知らなさ過ぎる。










