透析の緩和について関心があるので手に取ってだいぶ前に読了。
尊厳死についてはほかに書いたが、同じ趣旨のことが記されている(p239)。
第7章に触れられているが、日本では緩和ケアの対象に透析を入れていない。
心不全やがんは入るのだが、透析は苦痛があっても対象にならない。
海外では1990年代から透析と緩和ケアの論文が出始めているらしい(p242)。
日本でも日本透析医学会で動きが出始めているという(p243)。
本書第一部は、堀川さんの旦那さんが亡くなるまでの壮絶な記録。
呼吸苦や倦怠感があるだろうことは推測できたのだが、疼痛の激しさに驚いた。
メカニズムを調べると、β2マイクログロブリンが蓄積して起こるのだという。
読む限り、とにかく激痛で動けないよう。
第一部は読み通すのがつらかった。
旦那さんの苦しみの描写だけが理由ではない。
ご夫婦が医師団に対して不信感を募らせていくさまが、なんともやるせなかったから。
医師からすれば推奨できない決断を、ご夫婦はなさった。
その結果に対して、「あなた自身がなさった決断なのでしょう?」という気持ちが医師たちにはあっただろう。
それは見捨てるとか見放すなどという単純な感情ではないと思う。
医師にとってつらい”こうなった以上何も手を打てない”という無力感、やるせなさ、そして夫婦だけでなく自分に対しても向けているはずの怒りがないまぜになった複雑な感情だったと推察する。
だからといって、もちろん足が遠のいて良い訳ではない。
とても不幸な食い違いが生じているように思った。
堀川さんの旦那さんは、積極的に死にたかったのではない。
透析がつらくなり、このままでは自分らしく生きていけないと透析をやめる決意をした。
つまり、「死ぬ覚悟」はなさっているが、死が訪れるでの間は穏やかに「生きたかった」(死にたいではない)。
医師は、ご本人が”医学的に乱暴な”方向に舵を切ったのだから、その結果の苦痛も”自己責任で引き受けてください”と考えたのではないか。
透析が緩和ケアの対象という発想があるだけで、この行き違いは起きなかった可能性があると思う。
「死にたい」と「死ぬ覚悟ができている」は全く別である。
第二部が、現在の透析医療への問題提起になっている。
腹膜透析は、私が学生だった30数年前に授業で習った。
怠惰な学生だったが、感染が問題なこと、効果が安定していないことは聞いた記憶はうっすらとある。
堀川さんの取材ではこれらの点は現在では改善されており、また排泄、電解質バランスの調整が”強力”すぎないために、心身への負担も軽いという。
とはいえ、一般に副作用が軽い治療法は効果も軽いことが多いが、腹膜透析もそうらしい。
なので、導入に腹膜透析、本格的に治療が必要になれば血液透析にし、血液透析が限界を迎えれば腹膜透析に移行するのも手だという(第8-9章)。
この辺は、専門の方々の臨床でのご検討を待つしかない。
透析については、もう一つ、透析開始拒否の問題もある。
考えないといけないことがまだまだある。
堀川惠子:透析を止めた日 講談社、東京、2024