ギリシャの叙事詩がモチーフと知り、面白そうと衝動買い。
読み終わってもピンとこず、関係する論文を探す。
ネットで見つけた「ステシコロスの『ゲリュオン讃』」(丹下和彦、2010)が分かりやすく参考になった。
これを読んでから再読。
本作は様々な形式で断片として描かれる。
それ自体が「ゲリュオン讃」のよう。
本作はアルゼンチン、ペルーが舞台なのだが、最初、その理由がわからなかった。
ヘラクレスが異国でゲリュオンを倒したので、カナダ人にとっての異国のイメージかなあくらいに思っていた。
丹下先生によれば、ステシコロスの詩でゲリュオンはタルテッソスに住んでいるとされ、そこは現・スペイン南部なのだそうだ。
だから遠く南にあり、スペイン語を話している国が舞台なのである。
また芝川(1999)によると初期ギリシャ叙事詩のテーマは、貴族体制だったことを反映して、富や優雅な生活、戦争が多かった。
その後、市民(といってもエリート層)や競技へ、徐々に主題が移った。
戦争は男が集団で動き、そこにもともとの(?)ギリシャ人の価値観も相まって、愛の詩では男性同性愛が詠われたが、競技運動がテーマになってから少年の肉体美にも焦点が当てられるようになったという。
ちなみに、このころ女子同性愛を詠ったのが、カーソンが高校生の時にはまった(!)というサッフォー。
本作も少年同性愛、異形の肉体が描写されるが、ギリシャ叙事詩の伝統を踏まえているのだろう。
それにしても、ステシコロスの作品は、当時、画期的だったのではないか。
ギリシャ貴族たちが競って自分らの祖先とした(芝川)ヘラクレスの視点でなく、何の意味もなく彼に殺されたゲリュオンの視点から詠った詩。
当時、反貴族的な詩もあったらしいが(芝川)、その流れだろうか。
カーソンが描くゲリュオンは、孤独で、異形の、賢い少年。
大人をあてにせず、誰にも理解されないような抽象的なことを考え続けている。
そして、ヘラクレスはお調子ものの素行がちょっぴりよくない少年。
中盤からハイデガーが話題になったり、3・11やテロが会話に登場し、死の匂いが漂い始める。
唐突なのが、後半から重要なモチーフになる<火山>。
物語冒頭で引用されるエミリ・ディキンスンの詩が、「寡黙な火山には」から始まる。
<火山>はディキンスン自身の比喩のことが多く、ディキンスンは死にとらわれ孤独なままに生きた女性だったという(松本、2014、後中、2005)。
また「赤い肉、ステシコロスは何が違うか?」で触れられ、最後の対話篇「インタビュー」の「ス」かもしれないガートルード・スタイン(「ス」はステシコロスのようだが翻訳者さんの御指摘通りスタインも重ねていると思われる。「ス」が1907年を重視しているからだ p252)は「アリス・B・トクラスの自伝」を書いた。
この作品は題名通りトクラス氏の自伝ではなく、1907年にスタインが出会った愛人トクラスの視点から描いたスタインの自伝だった(フェアバンクス、2000)。
ちなみに1907年は、芸術収集家として有名だったスタイン兄妹がセザンヌ回顧展を行った年でもあるという。
全体像がわからない「ゲリュオン讃」のように曖昧に終わる本作。
調べると、重層的な意味を持っていそう。
いったい「誰の」自伝なのだろうか。
アン・カーソン「赤の自伝」 小磯洋光訳、書肆侃侃房、東京、2022
Carson A: Autobiograpy of Red. Knop, New York, 1998.