[伊勢国飯高郡] 水屋神社
◎ ご神木に触れてはならない!
およそ3年半前の記事に若干の追加修正を施し(ほとんどは写真追加)、改定記事を上げます。
ご神木に手で触れる方が増えています。
ご神木に触れるなど、もってのほかであるということについて。
[紀伊国名草郡] 藤白神社の「千年楠」
TVでも芸能人が参拝し、ご神木に手を当ててエネルギーを頂くなどという姿を稀に見かけます。
数年前、TVの特集番組で伊勢の神宮を訪れた有名タレントが手を当てておられました。
どちらかというと好きな方だったのに…。
絵面がいいのでしょうね。
帯同されていた神職の方も制止させるどころか
その行為に温かい眼差しを送られていたようにすら感じました。
伊勢神宮の神職が…という思い。
[和泉国] 百舌鳥八幡宮
ご神木として選ばれし木、人間界でいえば超エリートでしょうか。
一生命体としてとらえた場合、強烈なエネルギー(生命力)を宿したもの。
五感でそれに触れてみたいという気持ちになるのは分かりますが。
視覚、聴覚、嗅覚だけでも十分すぎるほど感じることができますし、
直接触れずとも身体に感じるもの(「氣」や「マイナスイオン」とでも言うのでしょうか)があるはずです。
そもそも「ご神木」とは何か。
以下恐縮ながらWikiから引用を。
「古神道における神籬(ひもろぎ)としての木や森をさし、神体のこと。また依り代・神域・結界の意味も同時に内包する木々」
また神籬については
「神の宿る場所としての神域、または常世と現世(うつしよ)の端境と考えられ恐れ敬った。そして人や現世にあるものや、常世に存在する神や、または現世にとって禍や厄災を招くものが、簡単に行き来できないように結界として注連縄を張り、禁足地とした」
以上を見る限り、直接触れるなどもってのほか、畏敬の念を持つ対象といえます。
つまりこの場合の注連縄は「結界」であり、その内側は「禁足地」であるということに。
[大和国葛上郡] 高鴨神社
とある宮司さんは、次のように言っておられました。
「神社は清浄でなければならないから、特に本殿の周りは木を伐ります。ところがなかには腕で周囲を囲っても届かないものが出てきます。伐りそびれたものもあれば、なぜか伐るのを躊躇ったものも。それはおよそ2m、その円周2mを超えたものは神木、つまり神様になるのです。もちろん神様になったものを伐るなどということはできません」と。
[阿波国] 大麻比古神社
上述の如く注連縄の内側は神の領域。
神職や、潔斎を済ませた特別な人を除き、
人が立ち入ってはならない場所。
簡単には行き来できないように、入らせないために掛けられるのが注連縄。
次のような歌が万葉集にあります。
「うまさけを 三輪の祝(はふり)が 斎(いわ)ふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき」
(意訳) あなたに逢えないのは、大神神社のご神木(神杉)に触れてしまった罪であろうか。
やはり触れるようなものではないのです。
昨年後半に集中的に撮り溜めした大神神社の「神杉」の写真を、年末のSDカード紛失により消失したのが残念ですが…。
[近江国伊香郡] 野大神
[志摩国] 尾鷲神社
[和泉国] 信太森神社 楠大明神
[紀伊国牟婁郡] 徳司神社の境内社 子安神社