引作神社 (引作の大クス)
(ひきつくりじんじゃ)


紀伊国牟婁郡
三重県南牟婁郡御浜町引作宮本507
(P有、通行困難な道無し)

■祭神
(不明)


御浜海岸からわずか3~4kmほど、早くも「深熊野(みくまの)」とも言える熊野特有の深い山中に鎮座。なんと言っても当社の出色は「引作の大クス」であり御神体。
◎幹回り15.7m、樹高31.4m、樹齢1500年ほど。その姿は神の依り代というよりも神そのもの。この御神木をもって当社すべてが語られるといっても過言ではないほど。
◎当社は明治の合祀令により、阿田和神社に合祀されています。その際に御神木も伐られることになったものの、それに真っ向から反対し立ち向かったのが南方熊楠氏。熊楠は当時官僚でもあった柳田国男氏などに働きかけ、合祀は免れなかったものの御神木だけは難を逃れました。
◎南方熊楠については博物学者、生物学者、生態学者、民俗学者であるなどあまりの広範囲においての権威であったため、一言で言い表せません。概要はこちらの記事→南方熊楠(Wiki)にて割愛します。
神社界に残した功績も多く、民俗学をはじめ御神木などに関わる生物学はもちろん、当社を含めた「明治の合祀政策への徹底抗戦」も非常に大きなもの。
◎ご祭神についての資料は見当たりません。合祀先の阿田和神社においても、当社のご祭神であったものが見受けられません。以下の和歌から熊野樟日神熊野樟日神であったのかもしれません。
◎熊楠が柳田に送った手紙にはこのような和歌が記されていたようです。
「音にきく熊野樟日の大神熊野樟日の大神も柳の蔭を頼むばかりぞ」
また保存が決まってから詠んだ和歌は、
「三熊野の山に生ふてふ大楠も芸妓の蔭で末栄枝けり」

※写真は2019年5月と2020年12月撮影のものとが混在しています。



NHK「その時歴史は動いた」でも、南方熊楠のこの一件が紹介されました。