百舌鳥八幡宮
(もずはちまんぐう)


和泉国大鳥郡
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
(P有)

■旧社格
府社

■祭神
応神天皇
[配祀] 神功皇后 仲哀天皇 住吉大神 春日大神


旧「和泉国赤畑村」、現在の堺市北区百舌鳥(もず)赤畑町、密集した市街地内に鎮座。1万坪とも言われる広大な神域、重厚な社殿ともに府下屈指の大社。
◎当社が掲げる創建由緒等は以下の通り。
━━所伝によれば、神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられています━━
◎ところが天平元年(729年)に行基という僧侶により神宮寺が建てられ、その後は遂に僧坊は48ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を有する寺院へと変化。保元三年(1158年)には石清水八幡宮の別宮となっていたとされることから、神社としての体裁をやや取り戻したといったところでしょうか。
当社が式内社として記載されていないのは、編纂当時には寺院とみなされていたことによるものと思います。
◎戦国時代には和泉国内の兵乱、そして大坂夏の陣などで荒廃するも、江戸時代には復興。皇室、武家ともに厚く崇敬され、明治には府社に列格。神仏分離令により仏教色は排除されています。
◎地名「百舌鳥(もず)」は、「毛受」「毛須」「万代」などの字が当てられます。この地を特に愛したとされるのが仁徳天皇。遂に御陵を築くに到りました(記事未作成)。当社境内には若宮社として祀られています。


駐車場は全部で100台分ほどあるでしょうか。


鳥居のねきに大楠。





境内の大楠。樹勢は極めて旺盛。



若宮社(仁徳天皇)

稲荷社

放生池

辨天社


水神社

絵馬殿