高積神社 (上の宮)
紀伊国名草郡
和歌山市禰宜1557(「高積山」山頂)
(下の宮にP有り、登拝時間は30分程度)
■延喜式神名帳
高積比古神社の論社
都麻都比賣神社 名神大 月次新嘗 の論社
■旧社格
村社
■祭神
都麻都比売命
五十猛命
大屋津比売命
◎当社は伊太祁曽三神(五十猛命・大屋津比売命・都麻都比売命)が三ヶ所に分遷されたうちの一、都麻都比売命を祀る社とされます。
これは元々鎮まっていた日前神宮・國懸神宮から「亥の森」に遷座。さらに三神が分遷、五十猛命は山東の伊太祁曾神社へ、大屋都比売命は宇田森の大屋都姫神社へ、そして都麻津比売命は「高山」へそれぞれ遷座(詳細は伊太祁曾神社の記事等、各社記事にて)。これら三社はいずれも式内名神大社に列格。
◎この通称「高山」というのが、当社が鎮座する「高積山」のこととされます。ところが式内名神大社 都麻津比賣神社には当社を含め三社が候補として挙げられています。吉礼の吉礼の都麻津姫神社、平尾の都麻津姫神社、そして当社。比定は困難なようです。
また当社は式内社 高積比古神社の論社としても挙げられます。これは高積比古神社を「上の宮」である当社に宛て、高積比賣神社を「下の宮」に宛てるというもの。
仮に当社を式内名神大社 都麻津比賣神社とするなら、高積比古神社と高積比賣神社は所在不明ということに。
◎以上のように比定は困難であるものの、かつておそらくはどちらかの式内社であったようです。低山とはいえ鎮座地は山頂。奉斎を続けるのは大変でしょうが、氏子たちによる厚い崇敬の様子が窺えます。この厚さは伊太祁曽三神や名草戸畔を祀る社に対しての特別なもののように思われます。