都麻津姫神社 (吉礼)


紀伊国名草郡
和歌山市吉礼911
(境内に駐車可、参道前の道から入るのは困難、ご本殿隣から進入がおすすめ)

■延喜式神名帳
都麻津比賣神社 名神大 月次新嘗 の論社

■旧社格
村社

■祭神
都麻津姫命
[脇殿] 五十猛命 大屋津姫命
[相殿] 吉礼津姫命


日前神宮・國懸神宮の地に鎮まっていた伊太祁曾三神(五十猛神・大屋津姫・都麻津姫)。当地に入植した紀氏の画策により伊太祁曾神社の近く、「亥の森」へ追い出されました。さらに三神を分離しバラバラに遷座、その一社が当社とされています(詳細は伊太祁曾神社の記事にて)。地名は「吉礼(吉禮、きれ)」。脇殿に残り二神を祀るのは大屋津姫神社大屋都比売神社なども同じ、伊太祁曾神社も似たような祀り方をしています。
◎当社の歴史は複雑。都麻津姫を祀る神社として古来より奉斎されていたものが、明治に和歌山県の令達により「吉禮津姫神社」に改称。ところが脇殿に五十猛神と大屋津姫神が祀られていることから、当社こそが式内名神大社であるとされ、昭和に入り吉禮津姫神を合祀という形で都麻津比売神社に戻されました。
◎このような原因となったのは、元々吉禮村(きれむら、現在の「吉礼」)には都麻津比売神社と吉禮津比売神社とが鎮座し、合祀されたことによるもの。二社が一社となり「吉禮村の大明神」という意味で「吉禮津比売神社」とされたのが、誤解を招いてしまったとのこと。
なお他に論社として和歌山市平尾の同名社(未参拝)と、高積神社が挙げられています。