[大和国宇陀郡] 御井神社




■表記

記 … 木俣神(キノマタノカミ、コノマタノカミ)
亦たの名として御井神(ミイノカミ)
*紀には登場しない
*生井神・福井神・綱長井神の三神と同神か
*阿陀加夜奴志多岐喜比売命、下照姫、赤留比売神と同神の可能性有り
*宝賀寿男氏は高木神と同神とする


■概要
記の大穴牟遲神(大国主命)の記述にみえる、最初の妻となった八上比賣を娶って生まれた神。性別は不明。

◎記の記述によると、嫡妻の須世理毘賣を八上比賣は畏れて、生まれたての我が子を木の俣に挟んで実家に帰りました。それが木俣神と呼ばれる所以。大穴牟遲神の長男とされています。

◎「木の俣」というのは、この記の神話の前にある、大穴牟遲神が八十神たちから迫害される場面にも記されます。

━━八十神たちは伐って伏せた大樹に「茹矢(ひめや)」を打ち、中に大穴牟遲神を入らせ、その「氷目矢(ひめや)」を放って殺してしまう。刺国若比売命(大穴牟遲神の母)はそれを見つけて、木を裂き息子を取り出した。そして八十神から逃すために木国(紀伊国)の大屋毘古神の元へ逃げることを促す。そして八十神がやって来てまた殺そうとした時、「木の俣」からすり抜け逃げた━━
(→【古事記神話】第69回の記事参照)

◎この神話に因む神社が出雲国出雲郡(現在の「出雲市斐川町直江」)に鎮座する御井神社(未参拝)。社伝によると━━臨月となったハ上比賣は大国主命に会おうと杵築大社(出雲大社)へ向かうも、須世理毘賣の立場を慮り会わずに引き返す。神奈備山(南方の「仏教山」か)の麓「直江里」まで来た時に出産。子を木の俣に挟み因幡へ帰った (当社サイトより抽出)━━とあります。


[出雲国] 御井神社 *画像はWikiより



◎木俣神はまた別名 御井神というと記にあります。神名から井戸の神であるということでしょうが、初めて用いられる産湯の神であろうと推されます。「木」と「井(水)」と対象の異なるものが同神となっています。
上述の御井神社に近接して「生井(いくい)」「福井(さくい)」「綱長井(つながい)」といった伝承史跡がみられます。

◎この「三つの」井を祀る神として知られるのは「生井神(イクヰノカミ)」「福井神(サクヰノカミ)」「綱長井神(ツナガヰノカミ)」の三神。「坐摩神(イカスリノカミ)」と称され、宮中神三十六座のうちの「坐摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」。残る二神は「波比岐神」「阿須波神」。

◎「古語拾遺」やこの「坐摩神」を祀る坐摩神社(摂津国)や足羽神社(越前国足羽郡、未参拝)は「大宮地の霊」としています。宮中で祀られる「坐摩神」は「皇居の地を守護する神」とされます。

いずれの神もはっきりとしたことは不明ながら、以下のように考えられています。
*「生井神」 … 生き生きとした井
*「福井神」 … 栄える井
*「綱長井神」 … 生命の長い井
*「波比岐神」 … 境界の神
*「阿須波神」 … (足元の)基盤の神

「波比岐神・阿須波神」について記には、大歳神と天知迦流美豆比売神との間に生まれた御子神とあり、この二柱は屋敷神であるとされます。

◎國學院大學の「古典文化学」事業の「神名データベース」には多くの説が挙げられています。うち一部を抽出します。
━━幹が分かれて二股になった樹木を神聖視する例は、現代でも山村における民間信仰にうかがわれることが知られており、木俣神をそうした山村生活を基盤として信仰された神と捉える説がある。二股の木を豊穣や多産・生育の神木とする風習が、日本の子安信仰や、中国雲南省南部あたりに住むハニ族の地母神、インドの豊穣の女神ヤクシーなどに見いだされることが指摘されており、木俣神をそうした豊穣の樹木神と捉える説がある。特にヤクシーには水とのつながりも見いだされ、木俣神との共通性が考察されている。また、神の依り代となる神木と解し、八上比売がこの子神を木の股に挟んだことを、神の降臨を迎える実際の儀礼に基づいた行為と捉える説もある━━

◎伯耆国に鎮座する阿陀萱神社(未参拝)のご祭神である阿陀加夜奴志多岐喜比売命(アダカヤヌシタギキヒメノミコト)は、大国主命とハ神姫との間の子としています。

社伝によると、出雲の「直江」で多岐喜姫(阿陀加夜奴志多岐喜比売命)が生まれ、その多岐喜姫が因幡国へ帰る途中に「榎原郷橋本邑」(会見郡榎原村、現在の米子市榎原)の榎の俣に指を挟まれ、留まったとされる地に建つ社であると。

これを史実とするなら、
「御井神(木俣神)=阿陀加夜奴志多岐喜比売命」となり、出雲郡「直江」のおそらくは御井神社の地で生まれ、伯耆国会見郡「榎原郷」で指が挟まり留まったということに。

また上述の出雲郡の御井神社に於いて地元伝承では、ご祭神の御井神(木俣神)が賀夜奈流美命と同神であるとしています。
阿陀萱神社のご祭神 阿陀加夜奴志多岐喜比売命とともに「カヤ」が含まれます。また賀夜奈流美命は一般に下照姫、引いては赤留比売と同神とみる説が有力。赤留比売の神名は、賀夜奈流美命と阿陀加夜奴志多岐喜比売命とも類似しているようにも思えます。下照姫は記に登場する大国主命が生んだ唯一の女神。これらはすべて地元伝承と推測に基づくという、甚だ脆弱な根拠に基づくものであるものの、無視できないようにも思います。

◎以上に対して宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は、まったく異なる見解を示しています。結論から先に示すと…
*「生井神・福井神・綱長井神」 → 高木神
*「波比岐神・阿須波神」 → 五十猛神

あまりに突飛な内容ですが、氏が示す根拠を。
まず筑後国には「御井郡」が存在します。氏は御井神の源流をここに見いだしています。

━━この地域には古来の著名な「井」があり、高良大社には至聖の霊地が三か所あったといわれるが、この地域こそ日本列島の地名「御井(三井)」の源流であり、天孫族系統の部族が中心となって建てた邪馬台国の本拠地であった。そして、この地域が記紀神話の「高天原」で、高木神が主宰神であった。同地の名山高良山には古社の高良神社が鎮座し、高良玉垂命を主神として八幡大神なども祀ってきた。高良とは、「高+羅(朝鮮語の国・地域の意)」で、すなわち高の国である。御井郡には、この地の地主神で高牟礼神(同、牟礼は村の意)とも高魂命ともいう祭神を祀る高樹神社のほか、式内社として伊勢天照御祖神社もあった━━

これが氏がかねてから推す「高天原」説であり、そして「邪馬台国」説でも。


[筑後国] 高良大社(記事未作成)
*画像はWikiより



氏は続けます。

━━こうしてみると、「御井」「高」という固有名詞には、天孫族の五十猛神・高魂命の系統に密接な関係があったことが分かる。「御井神」の名にもっとも相応しいのは高木神となろう━━

五十猛神・高魂命・高木神については、以下の内容からある程度汲み取られそうなので掲げておきます。詳細はいずれ記事にしていくこととなります。

━━御井神の実体は、やはり、高木神(皇室や物部氏族等天孫系氏族の遠祖)ではないかとみられる。同神は、朝鮮半島からわが国・日本列島に渡って来て樹木の種をもたらしたとされる五十猛神の子神とされるが、御井神のまたの名が木俣神というのも、こうした系譜に由来するものであろう。天孫族の奉斎する素盞嗚神とは、五十猛神・熊野神のことであり、この神のときに天孫族は韓地から日本列島に渡来してきたものであった。その時期は、西暦一世紀の中葉頃までではなかったかと推される━━


一方で記に記される、御井神の父が大国主命であることについての見解を示しています。


━━御井神の父神については、「延喜式注」のいう素盞嗚神ではなく、「古事記」では大国主神と記すことは上述した。この関係についていえば、大国主神の異名として掲げられる「八千矛神」とは、本来、素盞嗚神ないし五十猛神(射楯神)であり、また八幡神にも通じるものであるが、これが大国主神の異名と混同された結果、御井神(木俣神)が大国主神の子神とされたのではないか、とみられるのである━━


大国主神が「八千矛神」として初めて記されるのは、御井神が登場した場面の後の、高志国の沼河比賣との段に於いてのこと。大国主神の神名があまりにも多く、記の編纂者もいろいろと混同しているように思います。


宝賀寿男氏の説については、合点がいかない箇所が多くありますが、これは未だ自身の理解が遥かに追い付いていないことによるもの。今後さらに広く深く理解を進めて、同調ないし否定をしていきたいと思います。



[摂津国] 坐摩神社



■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[伊勢国多気郡] 津田神社
[丹波国] 大井神社(記事未作成)
[大和国宇陀郡] 亥神社・九頭神社
[大和国宇陀郡] 亥神社跡(大宇陀宮奥)

[大和国宇陀郡] 御井神社
[大和国葛上郡] 駒形大重神社

*主な境内社、配祀・合祀等
[尾張国] 御井社(高倉結御子神社境内社)
[伊勢国鈴鹿郡] 大井神社(鈴鹿市山辺町)(配祀)
[大和国宇陀郡] 御井神社(皇大神社 菟田野平井境内社)

[紀伊国名草郡] 御井神社(伊太祁曾神社境内社)

*関連社
[大和国廣瀬郡] 讃岐神社

[大和国宇陀郡] 岡田小秦命神社
[大和国宇陀郡] 伊豆神社(榛原高井)

[摂津国] 坐摩神社
[和泉国] 積川神社