駒形大重神社
(こまがたおおしげじんじゃ)


大和国葛上郡
奈良県御所市楢原1662
(P有)

■延喜式神名帳
葛木大重神社の比定社

■祭神
駒形神
滋野貞主命 下照姫命


多様な変遷にさらされ由緒や本当のご祭神も分からなくなってしまっている神社。「大和葛城山」の麓の葛城古道にあり、葛城一言主神社葛木坐火雷神社に挟まれる場所に鎮座。古代葛城王朝の中心地で式内社比定社。解明には欠かせない一社かと思います。
◎元々は別々に鎮座していた駒形神社と大重神社が明治に合祀されています。式内社とされる大重神社は東方にあったそうで、こちらに元から鎮座していた駒形神社に合祀したとか。
その大重神社は天文元年(1532年)に創建された滋野神社を「式内社 葛木大重神社」として比定したもの。つまり式内社の葛木大重神社は行方知らずとなっていたということ。「大和名所図絵」(1791年)に葛木大重神社が描かれていますが、これは旧滋野神社のこと。
◎大重神社のご祭神は、神社明細帳では滋野貞主命としています。平安時代の官僚とのこと。こちらは中世に創建された滋野神社のご祭神であると考えて良さそうです。
◎一方「新抄格勅符抄」という書には葛城犬養神という神名がみえます。「犬養」を「大重」と誤記したとのこと。実際そうなのかもしれませんが、このような不確実な話が通ったりするのは考古学の分野くらいのもの。祭神不詳とするべきでしょうか。ちなみに葛城雅犬養連網田と言われ、乙巳の変で蘇我入鹿を殺せと命じられた人物です。
◎これらに対しもっともらしい説が最近になり、社頭案内として掲げられました。「大倉下照姫命を祀る大倉神社」が元々の神社であったのではないかというもの。「大重」が「大倉」に変化したと。同じ葛上郡内に古瀬の大倉姫神社戸毛の大倉姫神社の二社が鎮座しています。いずれも式内社 大倉比売神社の論社。当社も式内論社の一社となるのでしょうか。
◎駒形神社の方は、伝承として木俣神という説があります。古代の精霊信仰の名残がある神、木々に覆われた中で何らかの事象があったのかもしれません。駒形という社名から農耕に使った馬を祀ったとも言われていますが。
社名の「駒形(こまがた)」は「木俣(このまた)」からの転訛とされます。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






拝殿を改装した際に古文書が見つかったそうです。



境内社と有志の方により敷き詰められたと思われる白玉石。