葛木坐火雷神社
(かつらぎにますほのいかづちじんじゃ)


大和国忍海郡
奈良県葛城市笛吹448
(P有)

■延喜式神名帳
葛木坐火雷神社 二座 並名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
天香山命
[配祀] 大日霊貴尊 高皇産霊尊 天津彦火瓊瓊杵尊 伊古比都幣命


葛城山麓の東麓、小山の頂付近に鎮座する社。計百段はあろうかという石段を登った先に社殿があり、ご本殿右(向かって左)には古墳の横穴式石室が顔を覗かせています。
◎式内名神大社であり、月次・相嘗・新嘗の幣帛を授かった屈指の大社。また旧忍海郡14ヶ村の総鎮守であった社。
◎当社は葛木坐火雷神社と笛吹神社の二社が合わさりできています。葛木坐火雷神社の方は神名帳の記述以降は現れることが無く衰徴、中世以降は笛吹神社の傍らに鎮座していたという古文書が残されるのみ。相殿であった笛吹神社が主座になるといった状態であったようです。
◎主祭神は火雷大神。イザナミ神から八柱の雷神が生まれ、そのうちの一柱に火雷神がみえるものの、当社ご祭神は八柱の総称。
宮中大膳式にも祀られ、「火」の神であったと同時に、農耕に潤いをもたらす「雷」の神であったと考えられます。後の菅原道真公による天神信仰が起こる以前の元祖的なものであったと。
◎社格等から鑑みて当社は、火雷大神の中核を為す社として崇められていたと考えています。
神名帳は二座、もう一座は埴安姫神であったとされます。「火」「雷」の神と「土」の神という原始的な神を祀りしかも名神大社、これらの神の信仰の始まりの一つであったのかもしれません。
◎一方の笛吹神社も式外社ながら相当な古社であると思われます。こちらは笛吹連が祖神である天香山命を祀った社。
崇神天皇の御代に、「埴安彦の謀叛」征討に活躍した櫂子(カジシ)の勲功で笛吹姓を賜った一族。社家である持田家の古文書に見える社伝ですが、紀には櫂子ではなく彦國葺(ヒコクニブク)と出ており相違しています。
なお持田家は笛吹連の子孫。当社は子孫が代々社家を継いできたという、稀少かつ貴重な社と言えます。
◎天香山命の六世孫に建多乎利命(タケタオリノミコト)がおり笛吹連の祖とされています。その御子神が櫂子。ご本殿横に古墳があり、こちらは建多乎利命の墓ではないかとされています(笛吹神社古墳の記事参照)。
◎鳥居横に「波波迦の木」があります。「悠紀田」(大嘗祭に新穀を奉納する田、「斎田定点の儀」の記事参照)を決める卜占は、当社「波波迦の木」をもって行われていたとされています。
◎当社の氏子枝宮が周辺には数多く鎮座しています。一覧は以下の通り(全社記事紹介済み)。
*梅室 … 梅室神社
*南新町 … 角刺神社
*新町 … 笛吹若宮神社
*西辻 … 西辻神社
*薑(はじかみ) … 笛吹若宮神社
*林堂 … 爲志神社
*平岡 … 厳島神社
*南花内… 笛吹若宮神社
*山田 … 三神社
*脇田 … 脇田神社

*今城 … 笛吹若宮神社(社頭には掲示されないがかつてあったとされる。近年復社されたもよう)


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


鳥居は近年、新調されました。