(以下すべて神社本庁発行「御代替り」より)



昨日(令和元年五月十三日)
「斎田点定の儀」が行われ、その結果が発表されました。

悠紀田(ゆきでん)は栃木県に、
主基田(すきでん)は京都府に、
それぞれ決まりました。


京都て…とツッコミを入れたくなりましたが。

府知事さんはどう思われたのでしょうかね…。

プライドの高い京都人のこと、「東京はんにえらい蔑んでみられたもんやね」などと(笑)
「うちがちゃんと決めたろか?」などとも(笑)

やはり京都でも丹波国や丹後国からということになるのでしょうか。
いくらなんでも山城国からは無理があるかと。


さて…農家を始め、JA、知事はこれからが大変。

何せ今上天皇陛下の一世一代の儀式に関わるお米作り。
しかも皇祖に直接供えられるもの。

まだどの田が選ばれるのかはこれからでしょうが。
平成の時は直前まで具体的な所在地は公にされなかったとのこと。


悠紀田は東日本から、主基田は西日本から選ばれますが、

8世紀末の光仁天皇から悠紀は東国から、主基は西国からとなりました。
10世紀末の円融天皇以後は悠紀は近江国に、主基は丹波国または備中国に固定され、それが幕末まで続きました。




「亀卜」についてですが、
かなり解明されてきているようです。

まず時代背景ですが
日本古来の「太占(ふとまに)」があったところに、中国伝来の「亀卜」が入って来ました。

伝来は律令期の頃と考えられており、
以後主流となります。

占いを行うのは卜部氏(ウラベノウジ)。
全国に散らばっていたようですが、なぜか対馬、壱岐、伊豆という島から官人として召されています。

占いはもちろん秘儀であり、しかも口伝、
現在は辛うじて対馬でのみ残っているとか。

その詳細は
ウミガメの甲羅に四角い窪みを彫って作り、
そこに「マチ」という記号を刻みつけます。

波々迦の木に火を着け、窪みに当てて焼いていきます。
だんだんとヒビが入りますが、裏面のヒビを見て吉凶を判断します。
(複数のネットサイトより引用要約しました)

この「波々迦の木」は葛城坐火雷神社境内にあるものが使われます。
現在も使われたのかどうかは不明、最近も参拝していますがそのような賑々しさがあったようには見受けられませんでしたが。

卜部氏についてはまたいずれ記事にしたいと思います。




悠紀殿、主基殿の地鎮祭は8月に行われるようです。




収穫の儀は10月頃に。




供饌の儀は、平成天皇の場合は1時間半ほどかけて行われたようです。