爲志神社
(いしじんじゃ) 


大和国忍海郡
奈良県葛城市林堂311
(社前道路の西側の歩道帯が少し広くなっておりいつもそこに停めています、その前の会社の邪魔にならない程度に)

■延喜式神名帳
爲志神社 の比定社

■祭神
伊古比都幣命(イコヒツベノミコト)


「大和葛城山」の東方麓、平地に鎮座する社。
◎明治の合祀政策により葛木坐火雷神社に合祀され廃社されるも、「社殿跡に爲志神社遺蹟石碑を建て、神殿に対するが如く(境内石碑より)」崇敬が続けられてきました。そして昭和57年、有志により再興されたとする社。氏子たちの崇敬の篤さが窺い知れます。
◎創建由緒等に関しては不詳。すでに一度廃社となっていることから、その復元も困難かと思われます。
◎ご祭神の伊古比都幣命については、「神名帳考証」に記される「伊毘比都幣命(イヒシツベノミコト)」の誤りとする「式内調査報告」の説が妥当なところでしょうか。
◎その「神名帳考証」には和泉国の火雷神社(現在の愛宕神社)と石津太神社のご祭神であり、「出雲国風土記」に記されると。按食神・稚産霊神(ワクムスビノカミ)と同神であろうとしています。
火雷神社は陶荒田神社に合祀されていたのが、現在は愛宕神社として復社されていますが、そこにこの神は見えません。また石津太神社にも見えません。出雲国の方は飯石郡(現在は雲南市)に鎮座する飯石神社(記事未作成)のこと。伊毘比都幣命が最初に降臨したとされる磐石をご神体とする社。こちらでは天夷鳥命と同神としています。
◎なぜこの神が和泉国や大和国忍海郡に祀られるのかは分かりません。ただ唯一手掛かりが見出だせそうなのは「火」。出雲国飯石郡は鍛治製鉄が盛んであった地。和泉国の陶荒田神社は膨大な量の須恵器を作製した地。また当社の鎮座地は葛城氏が束ねていた渡来系技術者集団の居住地、鍛冶製鉄に当たった者も多かったと思われます。また合祀されたのは葛木坐火雷神社。渡来系氏族たちの移住の歴史と関わりがあるようにも思います。
なお社名はご祭神名からの転訛であるかと思います。

*写真は2018年12月と2021年7月撮影のものとが混在しています。