葛城一言主神社


大和国葛上郡
奈良県御所市森脇432
(P有)

■延喜式神名帳
葛木坐一言主神社 名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
葛城一言主大神
幼武尊(雄略天皇)


「いちごんさん」などと呼ばれ、一言で願いを込めると何でも叶うなどと利己主義的な俗信が横行してしまっている社。「大和葛城山」の東麓に鎮座します。
◎─雄略天皇四年のこと、天皇が葛城山に行幸のとき同じく百官を従え、同じ装束、同じ所作、同じ言葉を発する者がいた。そこで天皇はこの倭国に我をおいて他に王はいない、名を名乗れと言ったところ、「吾は雖悪事 而一言 雖善事 而一言 言離の神」(あはまがごとも ひとこと よごとも ひとこと ことさかのかみ)と言った。天皇恐れ畏まり拝して献った─(「古事記」より)
当社はその一言主大神(言離の神)を祀る社。
◎一言主大神については事代主神であるとする説が有力、他にも味耜高彦根神説があります。ところが記にもあるように「言離の神」であり、熊野本宮大社阿須賀神社など全国の熊野社で祀られる「事解之男神(コトサカノオノカミ)」という可能性も。その事解之男神をこれまた事代主神に宛てる説もあるようですが。
◎紀伊国の射矢止神社(記事消失、近日中に再UPします)の社伝によると、五十猛神(イソタケノカミ)が一言主神と天香期命とともに降臨したとあります。また神功皇后が三韓征伐を終え凱旋した際に、一言主神の後宣があり矢を射たところ落ちたのがこの射矢止神社の地であるとして、創祀由緒としています。
◎一言主神は「大和葛城山」に鎮まる神といえますが、射矢止神社から「吉野川(紀ノ川)」を遡ると当地の南方に出ます。また途中に「かつらぎ」という地名もあり、部族の移動が考えられます。この社伝をうのみにはできないものの、雄略天皇の御代になり突然登場する一言主神のそれまでの事績を追う一つの資料です。
◎なお暴君とも称される雄略天皇ですらひれ伏した一言主大神ですが、役小角にはこき使われています。修験者たちにとっては小角の方を拝していたということでしょうか。いずれにしても葛城族に対して天皇が遠慮している様子が見てとれます。
◎境内には磐座等の岩が点在。また背後の山中に奥宮と称される磐座と小祠があるようですが、現在は立ち入り禁止。神職の方のみで祭祀を続けられているようです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。







ご本殿の屋根を始め、近年改装されました。

蜘蛛塚1(一の鳥居の横)

蜘蛛塚2(拝殿の横)

亀石


宝来石

祭祀場

祭祀場を裏側から。右端は鉄滓でしょうか。

樹齢1200年と言われる御神木。



境内社群