阿須賀神社
(あすかじんじゃ)


紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市阿須賀1-2-28
(P有)

■旧社格
村社

■祭神
事解男命(コトサカオノミコト)
熊野速玉大神 熊野夫須美大神 家津美御子大神
[配祀] 黄泉道守神(ヨモツミチヌノカミ) 武角美神(タケツヌミノカミ)


背後に控える美しい神奈備山「蓬莱山(飛鳥山)」をご神体とする社。「熊野川」の河口に位置しています。
◎由緒、歴史は四系統あると考えています。まずは当社が熊野発祥の地であるとされること。熊野大神(三神とします)は最初に「神倉山 ゴトビキ岩」に降臨、次に「阿須賀の森」(「蓬莱山」のことか)に遷り、そのうちの家津美御子大神は「石淵谷(いわぶちのたに)」へ、結速玉大神の二神(夫須美大神と速玉大神)は当地にとどまったとされています。
◎「石淵谷」は貴禰谷神社だと考えられています(牛鼻神社説もあり)。その後、第10代崇神天皇の御代に家津御子大神は本宮大社の方へ遷り、第12代景行天皇の御代に結速玉大神は新宮(速玉大社)へ遷ったとされています。
速玉大社境内からは縄文時代からの遺物が多く見つかるらしく、当地一帯はその頃からの様子を探る必要性があると感じています。現在の境内はおそらく海の中、「蓬莱山」は孤島であったと考えられています。
◎次に主祭神とされている事解男命。黄泉国と関連のある謎の神、熊野は黄泉国ともされているのでこの神が祀られているのだろうと思います。近くにある宮井戸遺跡(アメンバー限定公開記事)も関連があるのかもしれません(当社管轄地)。こちらは古代の死体水葬場。熊野は水葬が行われる地でした。この神と当社の由緒については、公にできない何かが隠されているのであろうと考えています。ただし長い歴史のいきさつから、当社にはまったくその情報等が残されていません。
◎続いては徐福。境内には徐福之宮があり近くには徐福の墓とされる徐福公園も。「蓬莱山」という山名も徐福にちなんでのことかと思います。
この新宮にはもっとも徐福伝承が多く残っており、また船ならそう遠くない「波田須(はだす)」というところにも徐福の宮とされるものもあります。熊野大神が降臨する前は、まさに徐福の宮だったのかもしれません。ただし熊野大神は徐福上陸前から鎮まっていたのかもしれません。

◎最後は水神。「熊野川」が海に流れ込む直前の畔にあり、たびたび洪水が起こったであろうことは容易に想像できます。また長い歴史のうちには何度も津波が襲ったであろうことも。「アスカ」は砂が溜まって「浅州処(あすか)」となり災害を引き起こしたとも言われています。
他にも「ア」を接頭語とし、「スカ(須賀)」を祭祀場と考える説もあります。
◎ご本殿の裏側、つまり「蓬莱山」の山裾からは弥生時代~古墳時代を経て室町時代までの祭祀跡だったと考えられ、大量の祭祀具が出土しています(境内併設の博物館に展示)。竪穴式住居跡や土器なども境内から発見されています。
新宮市立歴史資料館(アメンバー限定記事)



*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






このご本殿裏側から大量の祭祀具が発見されました。

徐福が祀られています。


徐福の墓所とも伝わる磐座。






竪穴式住居跡

2010年12月撮影時にはこのようなものがありましたが、現在は老朽化のため撤去されました。



境内から「宮井戸遺跡」への道中に立つ「秦徐福上陸之地」石灯籠。

こちらが「宮井戸遺跡」。ネット等では写真等が多く出ていますが、古代の死体水葬場であり、個人的にはあまり広げ過ぎるのも良くないと考えています。

西俊之宮司は篠笛(ささぶえ)の第一人者。運が良ければ奉納も。