熊野速玉大社


紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市新宮1
(P有)

■延喜式神名帳
熊野早玉神社 大 の比定社
[境内末社 手力男神社] 天手力男神社 の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社

■祭神
◎上四社
[第一殿 結宮] 熊野夫須美大神(熊野結大神)
[第二殿 速玉宮] 熊野速玉大神
[第三殿 証誠殿] 家津美御子大神・國常立尊
[第四殿 若宮] 天照大神 [第四殿 神倉宮] 高倉下命
◎中四社
[第五殿 禅児宮] 天忍穂耳尊
[第六殿 聖宮] 瓊々杵尊
[第七殿 児宮] 彦火火出見尊
[第八殿 子守宮] 鵜葺草葺不合命
◎下四社
[第九殿 一万宮] 國狭槌尊 [第九殿 十万宮] 豊斟渟尊
[第十殿 勧請宮] 泥土煮尊
[第十一殿 飛行宮] 大戸道尊
[第十二殿 米持宮] 面足尊



「熊野三山」の一社。「熊野川」最下流に鎮座、縄文時代は当社から先(東側)は海中であり、海沿いの社であったと考えられます。また境内は神域内であり発掘はままならないものの、縄文時代の遺跡の宝庫。その頃からの信仰であったことが分かります。
◎熊野は神仏混交が甚だしく、熊野大神は「熊野権現」とされてしまっています。その縁起では当社がいち早く登場しています。
◎当社の社伝によると、「神倉山」(かんのくらやま、神倉神社の御神体山)に降臨した熊野大神三柱のうち熊野速玉大神と熊野夫須美大神が、当社へ遷されたとしています。
◎一方で阿須賀神社の社伝によると、熊野大神三柱は最初「神倉山」に降臨し、三柱のうち家津美御子大神は「石淵谷」(いわぶちのたに、貴禰谷神社か)へ、結速玉大神の二神(夫須美大神と速玉大神)は阿須賀神社の地に留まったとしています。その後、崇神天皇の御代に家津御子大神は本宮大社の方へ遷り、景行天皇の御代に結速玉大神は新宮(当社)へ遷ったと。
◎熊野速玉大神は当社社伝においては、イザナギ神、熊野夫須美大神はイザナミ神のことであるとしています。ところが本宮大社側では、熊野速玉大神とは紀の一書にみえる速玉男命のことであるとしています。
◎速玉男命とは黄泉国へ迎えに行ったイザナギ神が変わり果てたイザナミ神の姿を見て、離縁することに決めて吐いた唾が化生した神のこと。なお続いて掃き払って化生したのが事解之男神(コトサカノオノカミ)。
◎当地が「新宮」と呼ばれるのは、神倉神社の「旧宮」に対してのもの。当地は「神邑(みわむら)」と呼ばれています。
◎上述の通り当社境内及び周辺で縄文時代の遺跡があります。境内の「速玉大社境内遺跡」は現在のところ、「神宝館」「佐藤春夫記念館」にて発見されています。西方の「速玉大社御旅所遺跡」、東方の「新宮城下町遺跡」も。
◎境内社として式内比定社である鑰宮 手力男神社、神武東征の先導役となった八咫烏を祀る八咫烏神社が並んで祀られています(別記事にて)。

◎摂末社等の紹介記事
* 摂社 神倉神社
* 境内末社 鑰宮 手力男神社
* 境内末社 八咫烏神社

* 境外末社 渡御前社











「神倉山」はこの奥に。手前に見えているのは「神倉山」と繋がる「千穂ヶ峰」。



右殿(向かって左)が式内社 手力男神社。



「現在地」とは御旅所近く。