鑰宮 手力男神社 (熊野速玉大社 境内末社)


紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市新宮1
(P有)

■延喜式神名帳
天手力男神社の論社

■祭神



熊野速玉大社の境内末社。一の鳥居を潜ってしばらく進むと向かって右手に、同じく末社 八咫烏神社と並んで鎮座します。
◎元々は神門内に祀られていたのが、嵯峨天皇の弘仁四年(813年)に勅命により現社地近くに遷座。明治には新宮神社に合祀されたとしています。
勅命による遷座理由は不明。新宮神社については、近隣13社を合祀して熊野速玉大社境内に創建された社。ご本殿が鎮座する瑞垣外、神門内の向かって右奥に鎮座しています。
◎当社を「鑰宮」と称していることから、熊野速玉大社のいわゆる鑰(鍵)を管理する社であったのだろうと思いますが、そこから閉ざす、さらに結界を張るといった意味合いも発生したのではないかと考えています。
◎当社は式内社 天手力男神社の論社に宛てられています。他は熊野本宮大社の旧社地である大斎原にかつてあった摂社 御戸開神社(天手力神)、名草郡に鎮座する力侍神社の2社が挙げられています。
◎御戸開神社は現在は社殿無しの神霊を残すのみ。力侍神社の方は少々複雑。大斎原から和歌山市神波字桑畑へ遷座、さらに和歌山市上野にかつてあった八王子神社境内に遷座、八王子神社が現社地へ遷座した後に式内社 天手力男神社も同地へ遷座。天手力男神社を祀る社として、八王子神社を境内摂社とし現在に至っているようです。
これらから式内社 天手力男神社の比定については非常に困難なことかと思われます。