貴禰谷神社
(きねがだにじんじゃ)


紀伊国牟婁郡
三重県牟婁郡紀宝町鵜殿小字矢渕
(P、アクセスは写真参照)

■祭神
速玉大神
夫須美大神
家津御子大神


神倉山に続く熊野信仰発祥の地の一つ。山中の小さな社ながら、熊野を紐解く貴重かつ非常に重要な一社です。
まず熊野大神が神倉山に降臨、当社に移った後に本宮大社速玉大社(あるいは阿須賀神社を経てから)に遷座されたものと見られています。
◎「熊野権現御垂迹縁起」には、各地を遍歴した後に神倉山に降臨、阿須賀神社の「北の石淵の谷」に「結・速玉」と「家津美御子」の二宇の社として祀られたとあります。「結」は熊野夫須美神のことであり、そして「北の石淵の谷」が当社のことであろうとされています。
◎「熊野年代記」には、安寧十八年 神倉山に降臨、60年間留まった後に当社へ勧請されたとあります。そして当社から速玉本宮へ遷されたとしています。
◎別の見解として神倉山から阿須賀の森へ遷座、そして三神のうち家津御子大神のみが当社へ遷座。阿須賀の森に留まった結神(熊野夫須美神)と速玉神はその後に速玉大社へ遷座します。当社に遷された家津御子大神は本宮大社へ遷座されたとも考えられています。
なお境内からは古墳時代末期からの祭祀用具が出土しています。神倉山の弥生時代からの遺跡、速玉大社の縄文時代からの遺跡、阿須賀神社の弥生時代からの遺跡を鑑みると、少々物足りなさを感じます。周辺には縄文弥生時代辺りの遺跡が眠っているのではなかろうかと考えています。



アクセスは全部で4ルートあります。一つは烏止野神社背後からの山越えルート。一つは矢渕中学校の東側の道を昇るルート。一つは矢渕中学校の校庭の中を抜けるルート。一つは「日比野生コン」さんの工場敷地内を抜けるルート。
後ろの2ルートが表参道となりますが、中学校や工場の中を抜けるのは地元民でもない限り不可。前の2ルートに絞られるかと思います。今回も中学校の東側を通るルートから。烏止野神社隣接の「ふるさと公園」に車を停めて、そこから20~30分で到着。





途中、磐座らしきものが転がっていますが、とにかく磐だらけの熊野なのでこの程度では信仰の対象とはなり得ないのかも。

こちらは表参道側からの鳥居。


中学校の校庭の手前から。一の鳥居は生コン工場との境にあります。