積川神社
(つがわじんじゃ)


和泉国和泉郡
大阪府岸和田市積川町349
(P有)

■延喜式神名帳
積川神社 五座 鍬 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
生井神
栄井神
綱長井神
阿須波神
波比岐神


「和泉五社」の「四ノ宮」。岸和田市の内陸部、郊外に鎮座する社。
◎律令制が敷かれ、赴任した国司が自国内主要社の巡拝する順序が定められましたが、「和泉五社」とはその和泉国国司巡拝のもの。716年という最古のものであり、制度として定められました。また五社(別に総社を設けたため6社に)すべてが遷座合祀などなく現存する希有なもの。
一ノ宮から順に大鳥大社泉穴師神社聖神社、積川神社(当社)、日根神社
◎創建は崇神天皇の御宇と伝わります。ただしこれを確証できるものは無し。地名は「牛滝川」に高低差のある「深山川」が合流することからの「積川」であると。元々は「牛滝川」上流の水利神として祀られたとも。
◎ご祭神はいわゆる「坐摩神(イカスリノカミ)五座」。宮中祭祀三十六座のうちの五座として、神祇官西院にて祀られます。また摂津国の坐摩神社や越前国の足羽神社(未参拝)のご祭神として鎮まります。
一般に生井神・栄井神・綱長井神の三座は御井神(木俣神)、阿須波神・波比岐神ののニ座は屋敷神ではないかと解釈されます。
坐摩神社においては、五座をまとめて「土地または居住地の守護神」と解釈しているようです。また「古語拾遺」や足羽神社は、この五座を「大宮地の霊」としています(詳細 → 御井神の記事、または坐摩神社の記事を参照)。
◎創建時期もさることながら、当社にてなぜこの五座が祀られているのかは不明。類似する神格を持ち、もっと他でもよく祀られる神があるにもかかわらず。
◎注目されるのは、「延喜式」 臨時祭の御巫条・坐摩巫条には坐摩巫だけは都下国造一族の七歳以上の童女から選ぶという規定があること(他の御巫は庶民から選んでもいい)。つまり坐摩五座というのは都下(都介・闘鶏)氏が密接に関わる神々。
都下氏は大和国の北東部、山邊郡都祁を拠点とした氏族ですが、それ以前は坐摩神社旧社地を拠点としていたとされます(詳細は坐摩神社の記事を参照)。また紀伊国牟婁郡の闘鶏神社の地を拠点としていたという説も。当地も拠点としていた時期があったのでしょうか。
◎なお美しいご本殿は戦国末期から江戸初頭頃に造られたもの。国宝に指定されています。