岡田小秦命神社
(おかだこはためじんじゃ)
大和国宇陀郡
奈良県宇陀市大宇陀小和田226
(P有)
■延喜式神名帳
岡田小秦命神社の比定社
■旧社格
村社
■祭神
天照皇大神
須佐之男命
品陀別命
「小和田岳」と称される標高533.5mの山の中腹に鎮座する社。
◎往古の状況は把握できないものの、村里から隔離されたような地に、異様な存在感を放っているといった印象を受けます。
鳥居無し(焼失したらしい)、巨樹に覆われ、さらにまったく陽の当たらない北向の社殿。畏怖さえ覚えます。
◎かつては山頂辺りに鎮座していたらしく、やや平らな地が見られるとか。また「式内調査報告」などでは、山頂よりやや西側の斜面には磐座らしきものが数体座すとしています(いずれも未確認)。
◎ご祭神については、社名通り本来は岡田小秦命であったかと思われます。神名帳も一座。他には見られない神名であり、地主神と考えられています。一方、この岡田小秦命を機織姫とする伝承もあるようです。山陰から京都を経て当地に移住したとか。「岡田」を地名とするなら(後述)、「小秦命」がご祭神に。またこの読みを「こはため」としているということは、「小秦女」あるいは「小秦比賣」であったのではないかという思量も。なお「神名帳考証」では木俣神としていますが、その根拠は不明。
◎「続日本紀」に記される銅鐸出土地が当社地であるという説も。和銅六年(713年))に「宇陀郡波坂郷」から出土したと。これは日本で最初の銅鐸発見を記したものであるとも考えられています(「扶桑略記」には668年に近江国志賀郡で出土したとあるが、記紀等ではこのことに触れていない)。その「宇陀郡波坂郷」を当社地に比定しているのは「大和志」。
この比定が正しいとすると、当地は弥生時代からの聖地であったと言えそうです。
◎式内社 岡田小秦命神社については、菟田野駒帰(こまがえり)の八坂神社に宛てる説も。当社が比定社となり得た理由は上記のものなどいくつかありますが、「岡田」という社名と「小和田」という地名との相似も。