佐渡の自然と歴史
世界文化遺産登録を応援するため、初めて佐渡を訪れました。レンタカーを予約できなかったので、やむを得ずカーフェリーでの上陸となり、往復で約32,000円2時間半の船旅でした。 フェリーを降りて内陸方面に進むと、まず順徳上皇の娘の墓が目に入ります。そして順徳上皇の宮の跡。順徳上皇とは源頼朝の死後(筆者は頼朝による天下統一を否定していますが)、いわゆる承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇の子で、やはり都への帰還が叶わず、失意のまま一生を閉じます。 そのまま海岸に出て南下すると小木港に着き、ここからもカーフェリーが発着しています。名物のたらい船も体験でき、料金は700円で10分ほどの航海です。そこから本土側を見ながら海岸線を北上すると、抱き合った男女の像。 むかしむかし土佐の青年が継母から佐渡へ流され、不憫に思った実の母がモ鍬をこっそり送り、やはり加賀から島流しにされた少女と結ばれます。佐渡の稲作の起源を説明するための伝説でしょうが、島流しにされたのが皇族ばかりではないとは驚きです。 もちろん佐渡は当て字と考えられ、建国神話にも登場する古くから知られた島で、現在よりも海面が高かった時代の二つの島に「挟まれた瀬戸」の意と思われ、本土側を小佐渡と呼び大陸側を大佐渡と呼びます。出雲半島も遠くから見ると細長い島のようで、出雲平野と中海が国仲平野と加茂湖に対応し、大阪湾と琵琶湖の位置関係と東京湾と霞ケ浦の位置関係に似ているでしょう。 更に海岸線を進むと順徳上皇が上陸した際、短刀を落として嘆いていると、海の精が現れ拾い上げた記念の神社。更に進むと現存する最古の鉄製灯台。ちょうど5時だったのでイエスタデイのBGM。そのまま岬を回るとフェリー発着場に着き、その日は小佐渡を一周して終わり。 フェリー発着場の近くに椎崎諏訪神社があり、この日は薪能(たきぎのう)と呼ばれる能が上演されます。他にも7月14,28日と8月18,28日、9月7日と10月5日も上演され、運営協力金が必要な場合もあります。この日の演目は「あこぎな商売」の阿漕で、やはり佐渡へ島流しにされた世阿弥とは無関係のようです。 むかしむかし病気の母のために漁をする青年がいましたが、競争が激しくなかなか捕れません。そこで伊勢神宮に供えるための禁漁区で急場をしのぎますが、味を占めて繰り返したため発覚し、生きたまま海に沈められます。その青年の亡霊が現れ無念さを訴え、在りし日の姿で漁を披露し涙を誘います。終了後は隣の椎崎温泉に宿泊。 翌日も反時計回りで北上し続け、大佐渡一周を目指します。小佐渡が人間時代の歴史なら、大佐渡は日本列島の成り立ちを感じさせる荒々しい海岸が続きます。最北端の弾崎は、津軽海峡冬景色の竜飛崎のような荒涼とした景色で、荒天のせいか風も強かったです。 海水浴場100選や渚100選もあるのですが、梅雨の真只中で眺めている余裕はありません。それよりも金山の手前に、鉛を含んだ川の水を飲み続け失明した母親が、顔を洗って視力を回復し息子と再会できた湧水があり、これも島流しネタなのかもしれません。 金山の中は夏でも寒いくらいで、少し厚着をする必要があります。江戸時代と明治時代の採掘口を巡るコースが1,500円で、要予約のガイド付きトレッキングコースもあります。流刑地だった佐渡が金山で賑わうようになるのは、オーストラリアの歴史と似ているかもしれませんね。 金山のふもとに京町通りという当時の繫華街があり、世界文化遺産登録の前祝いで、夜8時半から相川音頭の行進もあり、7月15,20,21日と8月3,4,17,18,24,25日にも行われています。ゴール地点の佐渡奉行所跡では、500円で本場の佐渡おけさなども鑑賞できます。 終了後は佐渡奉行所のふもとの、アパートのようなフロントの不在のホテルに宿泊。桜の壁紙がかわいらしく、近所に交番もあるので安心です。翌日は大雨でしたが前々日の薪能といい、夜の御前踊りもなんとか降らずに体験できて中身の濃い旅でした。