ピラミッドが王の墓だと最初に言い出したはヘロドトスで、2,000年以上前からヘロドトスの書いていることは嘘が多いと評判が悪いのに、なぜかこの説明だけは誰も疑問に思いませんでした。それでは何のために造られたのかというと、巨大宗教センターであると考えられます。

 ナイル川の中流では夏至の日の正午に、太陽が真上から射して影がなくなり、死者が甦る日だと1年前に書きました。古代エジプト人は外国人を恐れていたのか海を「不浄」なものと考え、ナイル川下流にあまり住みたがらなかったようです。

 海はオシリスを殺したセトの象徴とされ、古代ギリシャにも罪人を海岸に置き去りにする風習がありました(例えばオリオン)。中華民族が自らを世界の中心と考え、海の向こうに関心を持たなかったのと似ていて、海洋進出するようになったのは、習近平の治世になってからです。

 ところが下流地域にまで領土が拡大すると、北回帰線まで影がなくなる現象を見るため巡礼するのも大変になり、1年を通して影ができない施設を建造する必要が生まれたのでしょう。典拠としてはストラボンの2巻5章7と、ヒュギーヌスのギリシア神話集223節を挙げます。

 日本風に言うなのら49日や3回忌にピラミッドを予約し、親族が集まって故人の冥福を祈ったのでしょう。死後の再生を信じる古代エジプト人には大人気となり、次の世代に新館(ピラミッド)を建設する世論が高まったのかもしれません。