「派閥」という言葉を初めて使った人物や最古の出典は不明ですが、江戸時代や室町時代にまで遡る言葉ではないようです。比較的起源がはっきりしているのが「財閥」という言葉で、終戦直後に実施された「財閥解体」と、自由民主党が結成された昭和30年に共産党を除名された人々が結成した、「三派全学連」との造語と考えるのが自然でしょう。

 というのも高度経済成長期の「いなかっぺ大将」というマンガには、猿の世界にも県人会や三派全猿連なるものが登場するからです。たまたま自由民主党には3人の有力な領袖がいて、財閥解体後の成り上がりのように見えたからなのでしょう。

 敗戦によりそれまでの社会秩序がリセットされると、郷土愛や血縁関係に依拠した原始コミュニティに回帰したと考えられ、島国では住民移動が少なく、世間体を気にして周囲の顔色を窺い、自分で天下を取ろうとするのではなく、誰かを神輿に担ごうとする心理が働くのでしょう。

 そのため一人では何も決められない日本人男性は、かつて世界で最も魅力に乏しいと酷評されました。派閥解消も「ノーと言えない日本」も、外圧からなのかもしれませんが、30年以上前の派閥解消後も、「旧派閥」という名の派閥が存在し続け、よほど居心地の良い慣行だったのでしょう。

 派閥解消は世界標準への流れと考えられますが、昭和への郷愁という真逆の傾向もあります。少なくとも直接民主制が可能な今、政治に徒党は不要でしょう。