海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2026年 5月28日

クリスチャンは神の何を信じているのか。

私も今は老齢となり昔を振り返ることが多くなった。

神様との経験も多くなり、記録も2千ページにもなった。

霊性が良い時は強烈な光として見ていたが、形としては見たことはない。

形は無いと思っている。

イエス様は肉眼で2、3度見たことがある。

何秒のうちに眼前で消えた。

ある時、説教するため神様に聞いた。

「どう説明したら良いでしょう…」と。

神様の返事は、

「私とイエスは塩水と塩の様である」と。

性質では同一であるが、現れ方は液体と固体である。

塩素ガスも同じではないか。

塩と塩水は何とか感じられるが、ガスは感じられない人も大勢いるかも知れない。

神様も同じくほとんどの人は感じる能力はないようだ。

匂いを感じられない人は「そんなものはない。空想の産物だ。」という人もあるようだ。

色盲もそうだ。

感じる能力のある人は、その存在も性質も理屈は必要ないだろう。

幼児でも「この人は昔の記録では私の親だ」とは言わないだろう。

逆に昔の記録のみ持ち出す人は、感覚すらない盲人だと私は思っている。

「神は今も在る」と言うのなら、本人に今聞けば良い。

私は昔から世界中にこれを言うので宗教家から嫌がられる。

でも反論者は一人もいなかった。

キリスト教会では重要なことで私に意見を求めた人は何人かあった。

神様の返事に従った教会は一つもない。

いや大阪に一つはあった…。

どの教会も役員会があり、人間の考えや欲望、希望が優先で、神様に聞くのも従うのも念頭にはない様である。

私はーー組織に属する人は、もはやキリストの忠実な僕にはなりえないーーと結論づけた。



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2008年 4月5日 素人と空気

世の中には、見えない物は信じないと言う人が沢山いる様である。

でも、電気や心の存在は信じている様である。

空気も目には見えないが、その存在は信じられている。

しかしその性質については、大抵の人は素人である。

大きいビルやホテル等は、大抵、空調されている。

空気の性質を知らない人は大変な無駄をしている事が多いが、いくら説明しても納得しない。

見えないからである。

例えば、

「節電の為、窓際の照明は消しましょう」

と実行していても、窓は開けて空調の為の電気代を無駄にしている。

通常、照明よりも空調の電力の方が大きい。

窓際の電気代と空調の為の電気代では、何倍も、いや10倍も違うのである。

しかし素人にはそれが分からない。

見えないから。

霊の世界も同様で、目には見えない。

見えないから、神も霊も存在しないと言う人は沢山いるようである。

我々が生きている間お世話になっている空気についても、その性質を信じない人が多い。

だから無理は無いと思う。

「空気にも重さがあるのだよ」

と説明しても、

「そんな馬鹿な」

と信じない人は多い。

10年くらい前、私の関係する会社が節電装置なる物を取り付けると会議を開いた。

私は強行に反対したが、社長の決裁が出ているとの事で押し切られてしまった。

一箇所、数百万円の投資である。

結果、殆ど役に立たず、近年、それを取り付けた企業が集まって裁判を起こしている。

専門家はみんな反対したと思うが、大企業の管理職でも、見えない物に対しては素人である。

別に見えない物に限らないが、自分の専門以外は皆素人である事を自覚した方が良いと思う。

若い頃の会社の先輩で、

「俺は世の中の大抵の事は知っている」

と自慢している人がおったが、我々新入社員が、

「どの様にして知りましたか」

と質問すると、

「毎日丹念に新聞を読んでいる。そして、世の中の事は全部新聞に書いてある」

との返事であった。

新聞は普通紙である。

この人のレベルはこの程度である。

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十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られた時に、彼らと一緒にいなかった。

それで、他の弟子たちが彼に、

「私たちは主を見た」

と言った。

しかし、トマスは彼らに、

「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」

と言った。

八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らと一緒にいた。

戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、

「平安があなたがたにあるように」

と言われた。

それからトマスに言われた。

「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」

トマスは答えてイエスに言った。

「私の主。私の神。」

イエスは彼に言われた。

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

(ヨハネの福音書 20章24節~29節)

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2016年 11月28日

最近、死ぬまでの遣り残しの用事を思い出しては片づけているが、今日、身近なことを思い出した。

いつも出席している近所の教会で、もう何年か前から頼まれていた中国での証の件である。

何人か集まり時間が取れたらその内と言っていたが…。

とても近い内にチャンスは無さそうであるので文章で残す事にした。

話していたら3、40分になりそうであるが…。

中国では6年間滞在した。

その間、色々な経験が在りすぎて大阪での数十年分にあたると思っている…。

私は若いときから冷え性で、70才で仕事を息子に譲ってからはハワイに住む予定であった。

50才代では大阪の真冬は寒さではなく、通風のような症状であった。

それで何度もハワイへ避難していた。

ハワイでは2、3日で症状は全く無くなり、数日後、帰国したら2、3日でまた同じ症状になり、これの繰り返しを何回も。

その内、往復のフライトが苦痛となり、ハワイ移住は断念した。

ハワイでの気候を何とか創り出そうと、温風こたつを開発して国際見本市にも出品した。

多少の効果は有ったが、70才を契機としてフィリピンのバギオに移住しようと計画した。

熱帯地方ではあるが、高原であるので気候はよいとの情報であった。

知人の宣教師がそこに住んでいた事を思い出し、夜ではあるが、電話をしようと番号を調べていたら、神の大声があった。

「あなたは泣くイエスを放っておくのか」

全く予想外の言葉であった。

何の事かと考えあぐねたが、兎に角フィリピンはあきらめた。



神様は中国とは言われなかったが、それ迄に祈らされた地名に海南島もあった。

日本国内では数箇所現地へ行って見たが、中国には行く気はなかった。

他に思い当たる所もなく、一ヶ月くらい考えて、神様には理由をつけて断ろうと思った。

何の手立てもしないのは気が引けたので。

とに角一度現地へ行く手はずをしてから、案内する人にそれは無理だと言わせようと、条件を十か条くらい書き出した。

例えば、体力的に車は数時間以上乗れないとか、列車なら何時間が限度とか、あの広い中国なら到底無理な項目を書き出した。

私の知り合いの牧師さんが以前、海南島の宣教をしていたのを聞いたので、今度行く時はこの条件で行けるか話しておいた。

2、3ヶ月あと、一緒に行きましょう…の返事があり、一度海南島を見て、それから神様に断っても良いと考えを変えた。

中国では数箇所を見て周り、神様に断る条件は全部クリアーし、私が思っていた中国とは大分違っていた。

結局、年末頃借りて呉れたマンションへ単身赴任した。



中国については本やネットでかなり調べたつもりであったが、到着した日から苦労の連続で、現地は寒く朝まで震えていた。

まず言葉が通じない。

やり方が分からない。

電話のかけ方すら分からない。

買い物に行っても中国人は大声で喚くし、バスやタクシーも行き先が通じないので何度も降ろされるし、海外旅行は慣れているつもりであったが…。

食事も日本食は近所にはなく、慣れる迄は下痢続きであった。

その内、スーパーや市場での買い物も出来るようになり、市内見物も出来る様になった。

さて、神様は何を命じられるのかと注意はしていたが、何の返事も無かった。

子供相手に近所で日曜学校のようなことを始めたが、すべて親の反対で潰された。

それでは、と神の示された田舎に行ったがこれも潰された。

しかし諦めないで堂々と役場に行ったら、小学校と話をつけてくれた。

日曜日の午後、教室を借りて英語授業と漫画を1、2時間テレビで映すだけである。

これは日本語専攻の大学生が手伝ってくれた。

子供は教室一杯4、50人である。子供の英語を覚えるのに早いこと。

歌いながら覚えている。

日本なら大学生レベルかと…。



段々と遠くまで出かけるようになり、バスで1時間乗ってもまだ市内である。

バス代は15円か30円。

日本のバスと殆ど同じ程度だが、料金は一割程度。

部屋代も食べ物も一割位。

只、輸入品は高い。

生活のためだけなら日本の5分の1かも。

色々な事をやったが、体重を下げる為の節食もしていた。

体力も無くなり、日本でも中国でも大病院で検査した。

どの病院でも処方は同じで「血圧が高い」。

日本の近所の医者は、

「太りすぎだから血圧が高い。もう少し節食した方がよい。」

それで私はなるべく食べないようにしていた。

倦怠感が強くなり、朝ベッドから降りるのもやっとになった。

このまま死ぬのかな…と思った時、猛然と神様に噛み付いた。

「何の為に海南島へ来たのですか…!只、死ぬ為ですか!」

神は答えられた。

「あなたは食事をとっていない」

それで節食を止めたら、体力は回復し体重も元に戻った。

栄養失調が原因であったが、それを見抜いた医者は日本にも中国にもいなかった。

神様の知恵には全く驚いた。

大病院も神には及ばなかった。

しかしそれを境にして、昔私が持っていた神との会話が再開した。



サタンの攻撃も激しくなり、何度も殺されかけた。

前後がハッキリしないが、省政府の前でのデモを写していたら、警察に逮捕された。

上官のいる部屋へ連れていかれたが、私が日本人と分かると、うな垂れるだけ。

もう許しを求める態度である。

勝手に帰ってきたが、その時、昔見た幻が成就した。

中国で警察は私を逮捕してみたが、処置に困り勝手に帰らせたと…。

同じ幻である。

多分、十年以上前の幻である。



中国の教育大学と国立大学の日本語専攻学生の内、優秀な学生一クラスずつに、毎週日本語を教えた。

こちらは給料はタダで、正式な教員ではないので信仰の話も平気である。

密告があり上層部が調べても、私はキリスト教の役職についた事が無いので、宣教師には当たらない。

中国でも信仰は自由である。

しかし宗教活動は原則認められない。

神の命令で中国に住んでいるでは職業に該当しない。

日本でも通じないので、ある人達は私を宣教師と呼んでいる。

本当は神に委託された事のみを行う…私は自分を神の現地駐在員と呼んでいた。

何年間に学生や教会での人と友人になった。

その間、色々な事をしたが…。

ホテルで従業員に日本語を教えたり、海岸でゴミ拾いをやったり、レストランやホテルでピアノを弾いたり賛美歌を歌ったり。

私はピアノは下手であるが…中国人には分からない。

少々音程がずれても、つっかえなければ…。



ある時、群集にキリストの意味を教えようと画用紙に書いてプラカードを作った(中国では地面に置くと、すぐに人だかりが出来る)。

学生を誘ってみたが、…公安に逮捕される前に石が飛んで来て、誰もついて来なかった。

それでは省政府に行って許可を先に取っておこうと、単身、外事局へ乗り込んだ。

その時、神様は言われた。

「敵を味方にしてしまえ」

と…。

私が担当者にボランティアの話をしたら、彼はあちこち電話をして呉れて国立大学の共産党書記を紹介して呉れた。

書記は学長以上の立場だそうだ。

貧困学生20人に、年単位で食事代の援助である。

講堂で式典まで開かれた。

書記は大喜びであった。

それで私は書記の友人と言うことになってしまった。

もう警察署長ぐらいでは手も足も出せない。

当時は反日感情もなく、海南島は経済特区として公共施設等で日本から大なる援助を受けていた。

私は存在するだけで、公安を黙らせた。



国立大学の教授が外人教会で友人となり、奥さんと共に大学官舎に教会を作ってしまった。

私も多少は協力したが、恐ろしい事である。

政府を相手に喧嘩を売っている様なものである…。

その信仰と行動力には全く驚かされた。

海南島には私と同じく、只、神に命じられて家族と共に、又、老人で来た人もあった。

何処からの援助もなく、裕福でもなく、只、神に従って外国から…。

中国では随分とひどい目にあったが、許す事も学んだ。

一日に3度も騙されると到底、許す気にはなれない。

でも神様は許し愛せよ、と言われる。

中国で日本の10倍騙されても金額では日本の方が大きいようだ…。



滞在中、(知恵袋の)宗教の回答は日本と同様に出来た。

都会に住んでいたが、テレビを見ても意味が分からないので、情報的には離れ島と変わりないと感じていた。

数年間は神様との会話が出来たようである。

しかし6年も住むと騒々しくなり、神の反対も無かったので帰国した。

現在83歳であるが、今年は大阪も猛暑で私も体調を崩し、1ヶ月以上、死線を彷徨った。

もう死ぬかと思った時、神様は色々と語って呉れた。

アジア核戦争について人類の滅亡を止めるべく、イエス様は十字架の絶叫を今に至るも続けておられる。

神は言われる。

「この世界は私のものだ。人間の勝手にはさせない」

と…。

この手記を聖霊は止められなかった。

核戦争について大公表しようと計画したが、神は止められた。

まだその時ではないようである。

神様の思いについては、神とキリストを愛する人々には伝えておきたい。

この手記は自由に使って下さい。

海南島のヨハネ


なお、私についてはネットで検索すれば沢山出てきます。


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本当に長い間、どうしても納得出来ない事があった。

人が死ぬ時の苦しみは、一体、何の意味があるのであろうか。

何故、眠る様に死ねないのだろうか。

特に、一生を神に捧げた人々に対して。

彼らの多くは、他の人と同じように苦しんでいる。

この疑問は、私の三十歳代からの強烈な疑問であった。

何百回と神様に回答を求めたが、四十年近く何の返事も無かった(と思っていた)。

最近の二、三年間は、これを見過ごしに出来ない気持ちであった(特に神様の為に苦労している人に対して)。


2004年 1月

もう神様の回答も助けも待ってはおれない、自分で出来る事をして彼らを助けようと決心した。

次の日の朝、聖霊は次の様に教えてくれた。

「すべての人の死の苦しみは、他人を赦し、憎しみを忘れる為の神から与えられた最後のチャンスである」

其の時、私は納得した。

肉体の苦しむ時、他人を赦す事が容易に出来る事を。

そして悔い改めし易い事を。

昔、ハワイで死ぬかと思う程の苦しみで、三日間寝ていた事を思いだした。

其の時、神様は言われた。

「正当に評価し、感謝する絶好のチャンスである」

と。

実際には、私は神様からの回答を何度も聞いていたのである。


【管理人のコメント】
石村武治著「第三の天」より抜粋を参考までに貼り付けておきます。

臨終。人がその死に直面する時、それは憐れみ深き主が彼のたましいを惜しんで最後の呼びかけのときでもあります。

いま、彼は追いつめられて最後の断崖に立っています。

嫌も応もない無明絶望の谷に追い立てられる時なのです。

自ら豪気をもって誇る曲者も不安におののき、恐怖に引き裂かれるときです。

 「神さま……御憐れみを………」と一言でも叫ばせたいというのがその御心なのです。

実(げ)に臨終こそは、慈悲なる神に背きもとれる子らに対する最後の御招きの時なのです。

だから、 その反省の声、その悔い改めの声は糸より細くあっても、彼を堅く天に結び、たとえ暗黒の力がどのように結集して彼を引き離そうとしても、これを引きちぎることはできません。


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2024年 2月7日

今日も夜中から祈っている。

近くの教会から断食連鎖祈祷の依頼があった。

二時から三時が私のお祈りの時間である。

祈り始めたら、何と賜物の事の啓示である。

神は言われた。

「人は賜物を受けたら必ずやそれを悪事に使う。その結果、その人はより不幸になる。だから私は人に賜物を与えない。」

であった。

私は多くの賜物を神様から与えられた。

だが不幸になったとは思わない。

多くは遊びに使ったので神はそれを取り去られた。

でも幾つも残っている。

その最大は、人を愛する賜物であろう。

隣人を愛すれば大抵の人はそのお返しをしようとする。

隣人皆んながもう恩人のように私を扱ってくれた。

次は神を見る賜物であろうか。

暗いところで祈っていると、やがて小さい星が見えてくる。

それを注目していると、段々星の光は強くなり、最後は溶接の光のように眼が痛くなる。

もうそれ以上は目が焼かれるのでやめる。

これは神様ではなく、神の衣の栄光の光であった。

これも残っているが、一年に数回であろうか。

神様との会話の賜物は現在でも毎日のように使っている。

これは若い頃、聖霊を受けた後、金縛りの霊がやってきて私を殺そうとした。

体が硬直して息ができない。

普通の人はこれで悪魔に降参して硬直を戻してしまう。

私は頭が垂れるまで降参しなかった。

何十回絶命したか。

その時、天使が私の首の周りに集まって絶命の瞬間飛びついて息をさせた。

その後、神様との会話ができる様になった。

その頃は20分~30分は普通であった。

これは悪魔に殺されないため、いつも聖霊に満たされるための結果であった。


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2023年 11月24日

今朝のブログ(2023/11/24) を見ていると、神様の思いを思い出した。
 
ある時、神様に質問しました。

あなたの望む人間は…と。

神様の返事は、

「子であること、近くにいること、似ていること。」

でした。

人は信仰、愛と言うでしょうが…。

神様の返事は、信仰よりは愛する性質でした。

性質にならない信仰は役に立たない。

死んであとパウロに会ったら彼に教えてあげよう。

信仰より性質だと。

私は聖書の下にはいない…。

イエス様も同じく。

これを見た大勢のクリスチャンは憤慨するかも…。

せめて私の十分の一でも神の奇跡があれば、聞きましょう。


【管理人のコメント】
手島郁郎の「天界の黙示」からの抜粋を参考までに貼り付けておきます。

愛は宇宙の大引力

マタイ伝二十五章三十一節以下に、天国の消息を知るのに興味深い一文がある。

その物語では「いと小さき一人の者が、飢えに苦しみし時に食べさせ、病に悩んだ時に見舞い、宿の世話もして、親切にしてくれた人たちよ。さあ、今こそ世の初めから、 あなた方のために用意されている御国を受け嗣ぎなさい」と言われると、「主よ、何時、 私がそんな事をしましたか」と言って、愛を意識しないでやった無我の愛の人たちが、 みんな天国に来ていることが書かれています。

彼らにとって、愛することが習性ですから、道徳的に努力したり、意識して愛したりすることはいたしません。

むしろ、当然のことを当然したまでで、褒められることがおかしくさえあるのです。

天国とは、自分を捨てて他愛に生きる人々の群れだからです。

高い世界に行けば行くほど、この無私の愛が極度に光っています。

「しかし、私に不親切であった者たちよ、お前たちはのろわれて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火中に入ってしまえ。このいと小さき者にしなかったのは、私にしなかったのである」と、キリストは言われると、「いつ貴方が空腹であったり、渇いておられたり、病気したり、獄に入れられたりされたのを、私たちは見たでしょう。もし見たらお世話しますよ」と、愛を意識的に考えている。

愛に似ていても愛でない。

彼らは羊と山羊が区別されるように区別されて、永遠の刑罰を受け、義(ただ)しい者、すなわち無我の愛の人は永遠の生命を受ける、というのも、愛の類的相違が雑居を許せぬからであります。


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2011年 5月

【質問】地獄ってどんなとこですか?


【回答】私は天国も地獄も見て来ましたが(それが本職です)、どちらも場所は無いのです。

霊の世界では場所は必要ありません。

地獄は2種類ありました。

天国と遠く離れた地下のような所と、天国とは境が無く、創造の神から遠く離れた霊の消滅の所。

先の地獄は霊が苦しみで絶叫していました。

仏教は良く描写しています。

あとの地獄は大抵の人は経験済みでしょう。

心が空虚で何か刺激が無ければ、気が狂いそうになる。

その気になれば誰でも5分で地獄を経験できます。

息を止めてみれば初めは肉体が苦しみます。

感覚が無くなると霊の苦しみが始まります。

これが地獄です。

地獄とは霊の苦しむ状態です。

99.9%以上の人は知らないでしょうが、神は知っています。

だから肉体の死後、霊が生きるようにと叫んでいるのです。

新約聖書には克明に書いてあります。

なお人に死については、旧約の伝道の書の終わりに詳細に書いてあります。

昔から死の経験者は沢山いるようです…。

海南島のヨハネ


【管理人のコメント】
参考までに手島郁郎著「天界の黙示」からの抜粋を貼り付けて起きます。

「天国は雑居を許さず」という厳然たる原則があります。

すなわち、霊界は、善くも悪しくも愛の世界でして、愛の引力で離合集散します。

言いかえると、愛の世界は 心の共鳴の世界ですから、霊的な人間には霊的な話をしたり霊的雰囲気にあることが幸福なのであって、その最も慕わしい状況下にある時に、一番楽しいのであります。

天国ほどに、愛が愛を呼び、類が類をもって集まる心の場はないのであります。

それは悪い意味においても同様でして、低い地獄には、人殺し、強盗、残酷な人、 搾取的な金持ち、陰謀家、酒乱癖の男、淫乱な男女など、いろいろのいやらしい霊魂が巣食っておりますが、互いに苦しめ合い嫌がらせをし合って喜んだり、苦しめられたりしています。

実に多数の霊魂がむらがり、いどみいがみ合っています。

中には牧師や僧侶が、群れ混じって、暗躍し合っている光景には驚きます。

何故か、彼らが非常に奇妙に大きく目立ちます。

それは、遠くから眺めると、如何にも偽善性が見えすいて見えるからですが、そこの中に入ると、凡てが混乱してわからず、ただ殺気立って、残忍な妖しい暗い空気が漂っていることです。

はたから見ると、如何にも悲惨で私はいたたまれないのですが、彼らはそれでも結構で、いじめられたり苦しめられたりすることにスリル感を覚え、また、他を虐めつけ苦しめて、打撃を与えることを喜んでやっているようでした。

神様が地獄を与えているのではなく、自ら地獄を作る心を備えている連中が集まって来て、それから脱出しようともしません。

「類が類を呼ぶ」とは、よく言ったものだと思いました。



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2011年 8月

【質問】海南島のヨハネさんに質問です。

霊を見分ける賜物を授かった時、人間に憑いている悪霊を感じてとても苦痛だったとのことですが、逆に、人間を守護する善霊を見たり感じたりしたことはなかったのでしょうか。

よろしくお願いします。


【回答】海南島のヨハネです。

質問、感謝します。

回答が遅くなりました。

霊を見分ける賜物を持った時、人を支配している霊は判りましたが、守護霊は記憶にありません。

丁度その頃、聖会があって教職や信者500人位集まっていましたが、教職、信者を問わず、その霊の汚さに愕然とした記憶が有ります。

その時、幾つかの聖句が判りました。

「人はうわべを見るが、神は心を見る」
(第一サムエル記 16章7節)

「義人はいない。一人もいない。」
(ローマ信徒への手紙 3章10節)

「わたし(イエス)はいつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」
(ルカによる福音書 9章41節)

人間には聖人に見られても、聖霊を受けられない、これは現実。

キリスト教会ですら、神の見た眼と人間の常識では大違いのようです。

私自身、救われた時、すべての悪の霊から解放されたと思っていましたが、その根は残っており、機会を捉えては支配をしてくる、これを追い出すのは容易では無かったですよ。

数年間も断食(昼間のみ)し、苦労しました。

まー、一生戦いですね。

前回の回答で云い忘れた事ですが、神からの啓示で、

(気のせいかな…?)

と思われる位、小さな声がありますよ。

これは不従順であっても、

「聞こえなかった」

と、言い訳が出来る為ですね。

この小さな声に従ってみると、段々と大きな声になって来る場合もあります。

又、敵では無いが、誰が言ったかわからない時もあります。

その場合、教えてくれた霊に敬意を表して、出来るだけやってみる。

物事の決定する前に5分間、神に聞いて、これで良いかと念押しをする。

以上ですが、霊的な経験は本何冊にもなる程、沢山あります。


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2009年 12月

【質問】神様は本当に存在するのですか?

自分は神様の存在は非現実的だと思います。

神様の存在について根拠が知りたいです。


【回答】神はいますか?という質問は度々、目にしますが、何を神と言っているのか、良く判りません…。

日本人の言う神は、すべて一緒くたで、これは霊と言うべきでしょう。

天地創造の神も霊です。

霊の関係していない宗教は道徳や哲学と言うべきでしょう。

多くの無神論者は、神など絶対いないと回答していますが、どの位、調べたのでしょうか…。

私は中国人の中でもう5年も住んでいますが、唯物論の教育を受けた殆どの中国人と無神論者とは、同レベルと思いますよ。

言っている事は殆ど同じようです。

実は私も若い頃は無神論者で、このカテの回答者と同じ考えでした。

多くの人は理屈で神を知ろうとしていますが、判る能力を持てば、何でもない事です。

能力の無い人について、聖書には、

「盲人の手引きをする盲人」(マタイによる福音書15章14節)

と書いてあります。

丁度、盲人が太陽の存在を触れる方法で証明してくれ、と喚くのと同じでしょう。

見えると云う事を空想だとか思っているようです。

私の友人は熱心な仏教徒で、結婚式もお寺でしたが、ある時、人生はこれで良いのだろうか?と疑問を持ち、大会社を辞めて、図書館通いをして追及しました。

最後には天地創造の神、キリスト教にたどりつき、もう50年以上になります。

若い人は心の綺麗な内に自分の人生について本気で追求したら良いですね。

神など有るものか、という意見を簡単に信じ込み、真面目に考える事から逃げるのは敗残者です。

聖書には、本気で熱心に追求する人には神が判る能力を与えて呉れる、と約束しています。

無神論者は、本気で人生を考えた事の無い人と思っています。

天地創造の神なら存在しています。

海南島のヨハネ


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2013年 2月

【質問】海南島ヨハネさんにリクエスト

前回は回答ありがとうございました。

創造主の神の声を聞く事は、一般の人にも可能なのでしょうか?

最近、脳科学者が、

「神様の不在は、数学的にも、哲学的にも、科学的にも証明されています」

と自信満々に書いてある記事を見つけて、神の存在に疑問も感じましたのですが、神の存在の証明はあるのでしょうか?

ボクもできるなら神様の声を聞いたりしたいです。


【回答】海南島のヨハネです。

質問を感謝します。

創造主の神の声を聞く事は特別な人にでは無く、本来は誰でも聞ける筈だと思っています。

だから私は特別な人では無く、これが普通の人です。

過去、何十年を振り返ってみると、毎日10分以上、神と会話をしていた時もありましたが、何年間も神から何の連絡も無かった時もありました。

それは、大阪府警を相手に裁判をやっていた
時でした…。

多くの人は、神の声は聞こえないと言っていますが、心が神の方を向いていない、耳をふさいでいる、と聖書に書いてあります。

「この民は口ではわたしを敬うが、その心は遠く離れている」

これが現状のようです。

絶対の権力者の前には尻込みをして、出て行かない、見ようともしない、存在すら否定したい、無視をする。

…これが普通の人の心の奥にある心理のようです。

私は犯罪者心理といっています。

私も何か言われたら非常に困る時、口では「神の思いがなります様に」と祈りながら、心は神を向いていない時がありますよ。

自分の思いで旅行に出かける時です。

事実、何回も旅行を止められた事があります。

その時、神の言葉に従わず、無視をする人に神は語らないでしょう。

罪意識が残るだけですから…。

聖書には、あのイスラエル民族にでさえも何百年も神の声が聞こえなかったとありますね。

神も見えず声も聞こえない時代や人々には、神の啓示は無かった方が、その人達にとっては幸いだった様です。

私は現在でも散歩を兼ねて、近くの池へ祈りに行きます。

毎日の様に釣りの人の横を通ります。

池には釣り禁止の看板があり、柵もあります。

彼らは遠くで私を見つけたら、全く私の方を向きません。

只、もじもじとしていますが、釣りをしていた事は明白です。

100人に一人も顔を見せません。

私を監視員と思っているようです。

これを犯罪者心理と言っています。

私が何か言っても、多分、聞こえないふりをするでしょう…。

無神論者の態度と同じようです。

私に、

「神様に聞いて下さい」

と頼む人が結構いますが、

「もしあなたが、神に従う状態であれば、神様は何らかの方法で教えて下さるでしょう。そうでなければ、聞かないほうが幸いです」

と答えています。

神の存在証明ですが、神は霊ですから物理学とは次元が違います。

学者は霊に対して全くの素人であり、盲人です。

いかに有名な学者であっても、未経験な事については素人です。

自分が理解出来ない事は存在しないという理屈は、未成年のレベルだと思っています。

この前 太平洋で起こった地震の津波予報は、大幅に外れました。

そんな事すら予想出来ない学問が、神の存在証明など、噴飯ものでしょう…。

本当の科学者は、自分が知らない事は素直に認める謙虚のようですよ…。

聖書には、

「心の清い人は幸いである。彼らは神を見るであろう」

とあります。

心が清ければ、神は見え、声も聞こえるようです。

神の存在証拠は神を見た(知った)、又は神の声を聞いたと言う人が、この世にも何万人とおり、命すら賭けていますよ。

私もその一人です。

神に対して盲人の意見などは、戯言と思って下さい…。


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