海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2020年 12月16日

また苦手な冬がやって来た。

老人には、春までどうやって過ごすのかが問題である。

クリスマスになって、イエス様に今年は何をプレゼントするか、こないだから考えている。

昔、神様から頼まれていた事を思い出した。

「私がどんなにあなた方を愛しているかを伝えてほしい」

これは聖書の主題であり、何を今更の感であるが、やはりこれが最高のプレゼントかな。

【ヨハネの福音書】

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(3章16節)


「初めに言があった。

言は神と共にあった。

言は神であった。

この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。

そしてこの命は人の光であった。

光は闇の中に輝いている。

そして、闇はこれに勝たなかった。

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

彼は世にいた。

そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」(第1章より抜粋)


ご存じの通りである。

先週は私の妹が洗礼を受けた。

80歳を超えてである。

広島に住んでいるが、今年までは毎日プールで泳ぎ、体育館では元気で有名だったらしい。

今年になり、老化現象が出て来て将来が不安になり、子供に連絡したが、2人とも面倒はみないと断られ、私に泣きついて来たが、私も介護されている身である。

仕方なく私の妻に相談していたが、神様に頼んでみたらとの返事で、近くの教会へ行く様に勧めていた。

教会では親切に相談に乗っていたが、短期間で救われた様である。

私が伝道したわけでも無い。

家内は解決策を教えただけである。

自分が知っている事を教えるだけなら誰でも出来そうだ。

老人も生きていれば、口利きはできる。

私の父を思い出したが、一生ニートの様に生きていたが、死ぬ少し前に自分の故郷を思い出し、実家に連絡をして私の姉と妹家族を田舎から都会への就職と住居を用意して連れ出した。

老人でも口利きは出来た。

死ぬ前に故郷を思い出し、実行する人とそうで無い人とは大変な違いである。


ーーイエス様の誕生を心からお祝いします。一ー

被造物より…

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被造物と所有権の記事をご紹介いただきました。オニさん、いつもありがとうございます!(管理人)



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ブログの管理人です。

以下は、大阪のS姉妹とヨハネさんが交わしたメールのやり取りです。

ヨハネさんが「これをブログにしてはどうか」と仰ったそうなので、掲載いたします。


2025年 12月22日


【S姉妹からヨハネさんへのメール】

私は最近「私にしかできないことって何だろうか」って考えています。

まだまだぼんやりですが、動いていたらはっきりしてくるかなと、出来ることからやってみようと思っています。

2年くらい前にイエス様がヨハネさんに「私のことも紹介してほしい」と言われたことがありましたよね。

(※こちらの記事を参照→神様とイエス様は現在も生きている



先週12月17日のこと。

40人くらいのノンクリ(※ノンクリスチャンの事)の集団のなかで、

「私のことを紹介してほしいんだ」

と何度もエコーするので、

「そんなこと無理ですわぁ、私なんか。どうしたらいいんですか?」

など呟いたら、「体当たり」って返されました。

   
「はぁ?」と思いましたが、「そうか、居るだけでいいんだ。でーんと居るだけで。」と開き直って、神様が現れるような人になることを願いました。

その日以来、私はイエス様を伝えることを思い出したようです。

主人の世話やら仕事のことやらありますが、神様の喜ばれることをしたいと思います。


【ヨハネさんからの返信】

メールをありがとう。

あなたの経験は聖霊の迫りのようです。

最初は気のせいくらいの小さい声ですが、従えば段々大きくなるでしょう。

でも従えない環境も多く、聖職者も含め大勢が悩んだ末、常識を選び聖霊を無視する…9割以上。

これが日本の普通でしょう。

家族がおったり 重要な組織の役員であれば殆ど無理でしょう。

カトリックのシスターのように生きるのは神に従うに 良い環境の様です。

でも少しでも神に従うのは良いことです。

やってみると奇跡が現れたり、段々とはっきりします。 

その間、問いかけの祈りは絶対に必要。

私は、「Is it Your will or not?」と大声で言っています。

聖霊の反対が分かれば辞めることです…。


昔を思い出した。

学生の頃、磐梯山でスキーの合宿があり、夕食の後、全員が自己紹介をすることになり、私はイエス・キリストに救われた証をしました。

そうしたら、級長みたいな人間が神とキリストと私を 気狂いのようになじり、私は黙っていました。

次の日、その人は立木に正面衝突をして即死しました。

神様の処分でした。

その後、私を教会から追い出した牧師も同じでした。

死にました。


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【質問】イエス・キリストの生年月日

※削除されているため質問の詳細は不明


【回答】イエス・キリストの生年月日について時々、質問に出て来ますが、それは当時の計算でいつなのか、現在の計算ではいつなのか、単純ではないと思いますよ。

暦も色々あって、現在は太陽暦ですが、昔は陰暦が多かったようです。

だから一年が13ヶ月あったり、時々、閏月(うるうづき)を入れたり、それも国や時代によって変わったりします。

西暦が出来た当時でも、専門家が間違えるほど、特定は困難なようです。

正確な日時が何故必要なのか私には良く判りません。

夏、クリスマスをやっても構わないと思いますが。

日本でも、つい最近までは、誕生したら1歳で次に正月が来たら2歳でした。

数ヶ月の赤ちゃんでも2歳です。

何百年前の何月何日は、今で言えば何時になるのか…単純ではないようです。

私は生年月日を2つ持っていますが、小学入学までは10月10日で通していましたが、戸籍は11月9日です。

学校から戸籍上を使うよう言われて、今に至っています。

それで後世の人が実際の誕生日を見て、これは別人と言うかもしれませんが、事実は単純ではないのです。

日本でも天皇誕生日が元年であったり、皇紀2600年と言ったり、最近の事ですよ。

時の権力者によって適当に変えられたおそれも有るでしょう。

でもイエス・キリストがいつ生まれたかよりも、何の為に生まれたか…の方が百倍も重要ですよ。

一度聖書をゆっくり読んで下さい。

海南島のヨハネ


【聖書の言葉】

きょうダビデの町で、あなた方のために、救い主がお生まれになりました。

この方こそ主キリストです。 

(ルカの福音書2:11)


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2009年 6月12日

【質問】海南島ヨハネさんへ

ヨハネさんお元気ですか?

お忙しい中申し訳ないのですが…。

今、クリスマスを祝うことが偶像崇拝だと知恵袋内でもめています。

クリスマスをお祝いすることは、神様の喜ばれないことなのでしょうか?


【回答】海南島のヨハネです。

質問感謝します。

私は現在、北京に滞在していますが、旅行用のノートパソコンは閲覧は問題が無いのですが、回答の入力が面倒なので、簡単に回答しましょう。

ユダヤ教では行為に対して判断をしていますが、神様は思いで判断していますね。

神を愛する思いが無いクリスマスは、偶像かもしれませんね。

商業クリスマスがそうです。

彼らには金儲けの対象です。

しかし神を愛し、その大いなる業(わざ)に感謝し、またそれをして下さった神を愛してイエス様の誕生を祝うのは、神様の喜ばれることで、偶像とは意味が違います。

又、正確な日にちについては、どうでも良いことです。

夏にやっても、一年に二回やっても、心は変わりませんね。

神様が求められるものは心です。愛情です。

理論など、どうでも良いことです。

神が人類にどんな大きな事をして下さったか…これが判れば、論争など無くなるでしょう。


【聖書の言葉】
人はうわべを見るが、主は心を見る。
(第一サムエル16:7)


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2025年 12月19日

今日の朝の祈り

天の父よ、我に命令を与え給え。
父の為に、世界のために、人類のために。


今日の聖霊の回答

神は紛争地を取り上げられる。
もう戦争の種はない。
紛争地は、台湾、ウクライナ、ガザ地区。


父なる神よ、働き給え。
私も手伝うから。

今日、神は言われる。

世界から戦争の種を取り除こう。
紛争地は、もはや人間のものではない。
神が取り上げる。
そして人類滅亡は免れる。



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2009年 2月

【質問】特にクリスチャンの方に質問します。

知らない他人を見て、

「あ、この人きっとクリスチャンだ」

と感じることはありますか。

わたしは、時々あります。

いちいち確認はしませんが、当たっていることがよくあります。

海南島のヨハネさん「キリストの香り」について、何か体験談やコメントがあったら、教えてください。

他の方も、よろしくお願いします。


【回答】イエス・キリストの香りのする人は結構いますね。

神の愛が溢れている様な、何でも許して呉れそうな。

一寸話をすると、直ぐ判りますね。

教会に行くと2、3人は見つかるようです。

私はプロテスタントですが、カトリックに沢山見つけました。

修道女などは、もうキリストの香りがしていますね。

私の知る限り、女の人が多いようです。

現在、既に天国に幾らか住んでいるような感じの人もいます。

でも人間ですから、完全は無いでしょう。

しかし羨ましいですね。

海南島のヨハネ


【管理人のコメント】
他者にキリストの香りを感じさせるほどのクリスチャンになりたいものですね。サンダー・シングの本からの抜粋を以下に貼り付けておきます。

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公であろうとなかろうと、真のクリスチャンの生活は常に実りをもたらし、どこででも人を善に向かわせることは明らかである。

そして、このような人々の生活の真実性をみて、真理の探求者は自ずと生命の本源へと引き寄せられてゆく。

一つの例がある。

あるとき、二人の宣教師が市場に説教しに出かけた。

一人は頭が切れ、雄弁だった。

ところが、彼が説教を始めると、ものの二、三分でヒンドゥー教徒から質問攻めに合い、話を中断して対応せざるをえなくなった。

とはいえ、彼は質問者のためではなく、自分を守るために答えていた。

まったく先に進めないため、彼は同僚の宣教師を指し、

「この兄弟があなたの質問に答えます」

といった。

二番目の宣教師は話し上手ではなかったものの、誠実なクリスチャンで、祈りの人だった。

この人が進み出るや、ヒンドゥー教の男性は彼の手を握りしめ、平伏してから、最初の宣教師にこういった。

「この方には質問することは何もありません。わたしはこの人の生活を知っています。生活の中に生きたキリストがいて、わたしはこの人を通して救いの道を知りました。わたしが議論しているのはあなたの方です。あなたは口では生けるキリストを説いても、生活では彼を否定しているではないですか。わたしや他の人々をキリストから遠ざけるようなあなたの口は、永遠に閉ざされていた方がましだ。この兄弟と何年も前に会っていたら、どんなによかっただろう。そうすれば、こんなに長いこと主から引き離されることもなかったのだ。デア・アイド・ダルスト・アイド(直訳すると「正しく来る者は遅く来る」)。これも理由あってのことでしょう。神があなたを許されますように」

これを聞いて雄弁な説教師は赤面して逃げ去った。

そして、新しい改宗者は神の人とともに歩み、神への奉仕に人生を捧げた。

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主への奉仕に多くの時間をさいてきたクリスチャンの婦人が病に倒れ、十八年間ベッドに縛りつけられる身となった。

肉親は、彼女が負わなければならない重い十字架を知って深く憐れみ、愛と忍耐をもって彼女を看護した。

主にお仕えする機会をもてなくなったというのが、彼女の主な悩みで、健康であればどれほどできたであろうという思いと、他への重荷となったわが身をしきりに嘆いた。

しかし、自分では気づかなくとも、彼女はその生き方と祈りによって、他に大きな影響を与えていたのである。

それは、健康であったとき以上のものだった。

彼女は、美しく、香り高い花のようにベ ッドに横たわり、見舞いに訪れた人は逆に慰めを受け、彼女の優しさによって人生に安らぎをみた。

このような静かな影響力が、非常に強く感じられるようになったために、キリスト教の真理を否定していたある男性―――彼はこの婦人が何年も平和と幸福に包まれているのをみてきた―――は、彼女の人生の中に、何か深い真実があるに違いないと思い始めた。

形だけの信仰や想像で、こうまで長いこと平和でいられるはずがないと思ったのである。

こうして、彼は興味を新たにして福音書を読み返し、しばらくして真理を確信するまでになった。

彼はこの婦人の元にきていった。

「あなたの生活の中に それをみなかったなら、生けるキリストの救いの力とキリスト教の真理を信じることはできなかったと思います。美しい山上の垂訓も、神学者の納得のゆく説明も、わたしには効き目がありませんでした。しかし、あなたの奇蹟的なクリスチャン生活はどんな議論にも優るものでした。それは、わたしの哲学的議論もかなわないほどの生きた証拠です。健康であったらもっと多くのことができたとお考えになるのは間違っています。それが本当なら、神様は、とうに健康を与えてくださっていたでしょう。あなたは、このような弱さの中で、他の方法では決してできないような奉仕をなさっておいでです。これを病と思わず、あなたに一番かなった奉仕の方法とお考えなさい。ここは死の床ではありません。永遠の生命(いのち)がキリストにあることの証拠です」

こうして、ラザロの死のように、自分の病が神を讃える手段になっていることを知ったとき、彼女の歓びはいっそう高まった。

重い十字架は、彼女にとっても他の人々にとっても祝福であることが、証明されたのである。


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2023年 7月31日

この所老人には危険なほど暑い。

現在は午前3時半。

世界のことを考えながら、神様はこの世界をどう思っているだろうと。

周囲の人は、

「あなたは自分の健康のことを考えたらどうだ」

と思っているかも。

毎日暑さよけは重装備で、バスでウロウロしている。

「神よ、この素晴らしい世界を滅ぼさないで。」

と祈りながら。

昨日からは、人間の汚らしさを実感している。

人類は自然を加工して実に立派なものを作り上げた様である。

でも人間の性質は段々悪くなってきたのでは。

神様はこれを見て、もう存続の忍耐の限界と思っていないか。

最近のテレビを見ていて、なんと嘘だらけの騙しの報道であるかと唖然とする。

日本だけではなく世界中である。

アメリカは、中国の少数民族の人権侵害と報道しているが、私は中国に6年間住んでみて幾らかは分かった。

彼らは近隣都市にとっては犯罪者か野獣並みである。

彼らは真面目に働くのを嫌がって、近くの街へ出稼ぎに出る。

働くのではなく、物売りや騙し、万引きである。

中国政府では移動ですら取り締まっている。

バスの中では検問がある。

それをすり抜けて、街で物売りの多いこと。

道を歩いていると物売りに大勢に取り囲まれる。

観光客は出歩くなと言われる。

住宅地では、家のドアーを金属の缶などで叩きながら、押し売りが歩いている。

普通は鉄格子のドアーを別に取り付け防いでいる。

中国政府は、彼らが働けるように工場などを作り、働ける者には働くことを強制しているようだ。

私の知る限りでは彼らに働く性質はないようだ。

だから万引きや物売りが金稼ぎの手段となる。

法律に違反して街での金稼ぎは取締りの対象になる。

アメリカ人もそれを知っていて、人権侵害と言っているようだ。

中国には未だ生活保護はないようだ。

彼らによって被害を受けている人のことは、報道では言わない。

明らかな嘘である。

日本でも最近中古車販売のニュースが出ているが、ノルマを達成できない人は降格されて給料が半分になったと報道しているが、正規の給料が半分になったのかそれとも悪事で増えた給料が半分になったのか、報道はそれを言わない。

報道も商売のようである。

悪辣なのは中古車の会社なのか、報道なのか、保険会社であるのか、歴史が明らかにするであろう。

こんな報道を喜ぶ民衆も悪人ではないか。

欲望で行動していて、それをあたかも他人のためだと主張する人も同じく悪人ではないか。


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2006年 9月14日

朝から体調が悪いので、神に聞いた。

すぐに返事があった。

いわく、

「あなたは食事を取っていない」

毎日3回食べている私には、全く意外な言葉であった。

「食事を充分に取っていない」

なら納得できるが。

度々であるが、神様はこのような言い方をされる。

日本語は正しく表現して欲しい(現在、私は師範大学で日本語を中国人に教えている)。

それならもっと早く言って呉れたらと思う。

今日は15日であるが、毎食おかずを食べる事にした。

今日は元気である。

今迄、朝は茶碗一杯のお粥とシュウマイ3個、昼は蕎麦かラーメン、夜はご飯と味噌汁、漬物であったが、老人には充分と思っていた。

日本の医者は老人はあまり食べない方が良いと言っていた。

只、私の家内はもっと食べた方が良いと言っていたが、信用しなかった。

今年になって老化を急激に感じるようになり、もう2、3年の寿命かなと思っていたが、こんな簡単な事が原因とは全く驚きである。

神様の処方は医者とは反対であった。


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2020年 8月31日

目が覚めて、遠い昔の事を思い出した。

中学を出てから電気屋の小僧に就職した。

電気屋にも色々あり、屋内工事をする内線屋、電柱や屋外工事をする外線屋、その他販売店もあり、昔はラジオ屋もあった。

私は、内線屋であったが、時々は外線工事もさせられた。

初めの頃、電柱の登り方を教えられた。

電柱は殆んどが木柱で、足場釘などはなかった。

初めは、しがみついて登っていたが、何メートルでも大変であった。

先輩を見ていると、歩いて登っている。

体を柱から離して…小さい柱なら出来るようだ。

棘が踵についた昇柱器なるものもあり、これで歩くように電柱に登る。

しかし、しがみついていてはとても登れない。

最初のうちは、

「電柱から離れろ!」

と下から怒鳴られた。

職人は太い綱を各自持っていた。

胴綱と言い、命綱とも言った。

多分5分(ぶ)位の太さで、10人位でぶら下がっても切れないくらい。

それを使って、体を縛ったり、作業をしたり。

段々慣れてくると、電柱の上で綱に腰掛けるようにして仕事をした。

綱に命を預けているので、その綱には絶対の信頼が必要であった。

疑っていては、まるで仕事はできない。

その綱を信頼して腰掛けていれば、両手は使えるし、体は楽だし、しがみついていた時とは雲泥の差であった。

でも、綱は堅く結び、強く張っていなければ危なかった。

緩いと外れたり、滑ったり、地上の常識とは反対であった。

高い所も慣れてくると、恐れではなく楽しみとなった。

高い電柱を見つけると、用事も無いのにわざわざ登り、海峡横断の鉄塔に登った事もあった。

今思うに、何と子供であったかと。

電柱登りは、理屈ではなく体で覚えた。

これは色々なことに生涯役に立った。

物事にしがみついていては前進しない。

命を預ける絶対なものを信頼して、それに命を預ける。

その結果、自由になり、安心して何でも出来る。

最初しがみついていた物は足の下にあり、蹴飛ばしている。

地上の常識は通用しない。

思い返すと、私の信仰生活も同じであった。

しがみついていた物を足で蹴飛ばし、自由を得たので、何でも出来た。

命綱は、神であり、イエス・キリストであった。

世の中で不幸を予測して、オタオタと生きている人に言いたい。

欲望や、しがない望みを蹴飛ばせば、自由になる。

経験したことのない平安が来る。


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2023年 11月21日

—— 神の言葉 ――

私は人間各人に良心を与えた。

これは罪から逃れる為の教育係の霊である。

人は欲のため良心を痛め、無きものの様にしたが良心は死なない。

人は瀕死の霊と同居していては幸福ではない。

肉体はどんなに裕福そうであっても、霊が病気であっては幸せとは程遠い。

霊の食物は信仰である。

創造の神への信仰は太陽を受ける草の様に豊かである。

他の霊に対する信仰は月光の様だ。

信仰とは、信頼であり、希望であり、忍耐である。

神とは愛情の情念の集合であって、形もなく大きさもなく数もない。

しかし全てを表現できる。

場所もないので空気の様なもの。

人の霊は肉体の苦しみで訓練される。

訓練されない霊は、宝石の前の原石の様である。


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