海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2024年 2月3日

この題名も熱心なクリスチャンには嫌な題名であろう。

深夜のテレビでヨーロッパの街の風景を毎日のように見ているが、古い教会の多いこと。

昔はそれが必要なほど信者が多かった様だが、今では信者はあるか無いか…。

殆どがカトリックの様だが、これを建てる時、神様の思いを誰か聞いたのであろうか。

信者の殆どは神様の思いだと信じたと思うが。

しかし私の経験では、神様は建物に関心もなければ執着もない。

だから私は当時の宗教家の商売と思っている。

聖書の言葉をだしに使い、献金を募り…。

最近神様は教えてくれたが、

「聖書を書いた預言者の個人的な考えに従う必要はない。」

と。

パウロの書簡は殆どがそうだと思っている。

それを現在も神の命令と教えたり、、、これは聖書の害悪である。

パウロもある箇所では神の命令では無いと書いていませんか。

それも宗教家は嘘をつき、神の命令としている。

カトリックの女の教職でも被り物でも、一度神様本人に聞いたらどうでしょう。

関係者は神の回答を恐れて聞かないでしょうが、、、。

普通の人では言えないことも、私は神の預言者であるからこれが言える。


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2009年 12月31日

【質問】キリスト教について質問です。

動機はともかく、教会の門を叩いてから何年も経ちますが、立て続けに行った福音派の教会で分裂があり、嫌になってしまいました。

バプテストの教会にもいきましたが、居心地が悪く、いまは色々な教会を転々としています。

そもそも、福音派と呼ばれる教会と、例えば日本基督教団とはどこが違うのでしょうか?

同じ主の祈りと信仰告白をしているのに、何で福音派は他との違いを強調するのでしょうか?

全くわかりません。

ドイツに6年住んでいたこともあり、ドイツ語の放送を良く聞くのですが、そこで放送されている教会関係の放送を聞くと、プロテスタントの連帯が強調され、主にある一致が求められ聞いていてホッとします。

自分は30年勤めた会社を退職し、別の会社に身を置いたこともあり、今度こそ、教会を安定させて、落ち着いた教会生活を送りたいと考えています。


補足

誤解があると困りますので。

私はカトリックの教会のミサに参加させて頂いた経験もあります。

私はプロテスタントだからカトリックだからということではなく、主にある一致を求めています。

つまり、ご年配の方に多い「my church」ではなく、主にある開かれていて、かつ一致のある教会です。

そこで福音が分かりやすく説かれて、私のような変わり者?も受け入れてくださればどこでもいいのです。


【回答】質問者さんは年配の方のようですが、私も母教会はありますが、聖霊派にも福音派にも同等につながっています。

現在(2009年)は中国が主で、公認教会にも家の教会(地下教会)にも出席しています。

どの教会でも頼まれれば説教はやります。

中国では、共産革命で宗教は全部、潰されましたが、キリスト教は原始教会の形でクリスチャンはどんどん増えていて、現在7、8千万人と言われています。

日本の教会とは大きく違います。

教会に行きたい人は紹介者を探して、頼み込んで了解してもらい、やっと出席できる…という現状です。

地下教会では、いきなり行っても門前払いです。

献金の薦めも一切有りません(違法です)。

中国でキリスト教が爆発的に増えたのは、共産主義が在来の教会を潰したからだと言われています。

日本でも既存の教会が無くなってしまえば、クリスチャンは爆発的に増えるかも…。

これを言うので私は教団から嫌われます。

もっとも、現在の日本の信者数はソウルの一教会より少ないのですから、殆ど無いに等しいかも…。

私の経験ですが、教会よりも、10倍の熱意で神とキリストにつながった方が良いと思いますよ。

私は、信仰のため教会に出席させて頂くのです。

だから何の不満も感じません。

どこの教会を選ぶかは、神と聖霊が教えて呉れますよ。

海南島のヨハネ


【管理人のコメント】
サンダー・シングの言葉を貼り付けておきます。


わたしはキリストの体、つまり真の教会に属している。

それは、形ある建物ではない。

この地上に生きている人々と、この世を去って光の世界に入った人々とから成る、真のキリスト者の集合体である。

教派は無用の長物である。

神はただお一人なのに、なぜこうまで多くの教会があるのだろうか。

なぜ不一致を起こしているのか。

しかし、それが世の中なのである。

すべての教派が一つになれば、それはもはや世ではなく天である。

このような短い地上生の中でともに一致して生きられないクリスチャンを見るとき、彼らが永遠の世界の中でどうしてともに生きていけるだろうか、とよく思う。

わたしは、カトリックとプロテスタントが一致して大きなことを遂げられるとは信じていない。

 二つの色を合わせれば三つ目の色ができる。

カトリックとプロテスタントが統一されれば、新種の教派を目にすることを予期しなければならない。

わたしは、人為的に作り出された一致というものを信じない。

外側だけの一致は無意味である。

キリストに一致している人々だけが、真実、主において一つになり、天国において一つになるだろう。

真のキリスト者は、神の礼拝形式がいかに違おうとも、霊において一つである。

わたしは、外的、人為的な一致を信じない。

わたしが信じているのは、心と霊魂の内的な一致だけである。


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2009年 1月6日

今日、散歩の途中で子供の頃の鉄棒の蹴上がりを思い出した。

小学3、4年の頃であろうか。

蹴上がりの練習をしていたが、何度やっても出来なかった。

そのうちに失敗の着地はとてもうまくなった。

もう無意識のうちに出来ない動作を繰り返していた。

ある時、出来ない動作をうっかり忘れてしまった。

すると蹴上がりが出来てしまった。

もう2回目からは簡単であった。

そして何日もすると、何でも無い事のように蹴上がりは出来た。

出来なかった原因は、失敗していた時の為の動作をしていたからだと判った。

自転車の練習も同じであろう。

倒れるものと決めつけて足を着く動作をしていては、自転車は乗れないであろう。


【聖書の言葉】
そこで、あなたがたに言うが、
なんでも祈り求めることは、
すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう。

(マルコによる福音書11章24節)


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2019年 3月1日

もう10~20年も前の事だと思うが、近所の教会に非常に恵まれた姉妹が暫く来ていた。

彼女の話によると、南米の貧しい教会に起きた事の様である。

教会には床がなく土間であった。

お祈りの後、キラキラしたものが降ってきたそうだ。

彼女が、

「感激して、それを聖書に挟んで持って帰った」

と言うので、私は見せてもらった。

キラキラ光る粉の様であった。

姉妹はそれを見に南米まで行ったのか、聞くのを忘れたが、こんな話は日本では聞いたことがない。

でも、アフリカでは人が生き返るほどの奇跡がある教会もある様だ。

聖書に書いてある使徒たちに起こった著しい奇跡 ーー 

例えば、ぺテロは、8年間床に着いていた中風(脳卒中等の後遺症によって起こる半身不随)のアイネヤを癒し、病気で死んだタビタという女性の弟子を生き返らせた。(使徒行伝9章32節~42節)

ーー が、地球上では今でも起こり、神様は働いている。

私は今日思い出した。

この光の粉は、私が見た天国の星と同じであった。


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1986年頃、私の信仰の友が東京より来て証しをして呉れた。



彼の息子さんが友達3、4人を車に乗せてドライブしていて、ガ-ドレ-ルか何かにぶつかって車は大破したが、幸い誰も怪我は無く、神様に感謝したとの事であった。



それを聞いて私は自分の過去色々の交通事故を思い出して、

(それでは私はどう言って神様に感謝を捧げれば良いのだろうか?)

と考えさせられた。

私は車を運転しだしてもう30年以上になるが、その間当てられて少し傷がつき修理してもらった事はあるが、自分が加害者になった事は一度もない。

と言っても事故は何回も起こしているのであるが、事故にならないのは左記の通りである。


(1)もう20年位前の事であるが、軽四に牧師さんを乗せて神戸市内を走行していた。

道の悪い所で、突然車が1m位左へすべった直後、右側すれすれに大型トラックが通り過ごして行った。

何故左へ滑ったのか全く見当がつかず、車を停車させてタイヤ等色々みたが、判らなかった。

只、結果的には、もし左へ滑らなかったら、大型トラックに追突されていた事は確かであった。


(2)前記と同じ牧師さんを乗せて乗用車で大阪郊外を夕方走っていた。

交差点で右折車が私の車とぶつかり、その車はかなり大破した。

私の車とぶつかったのは確かであるが、私の方は全く傷が見つからず、同乗していた者全員、不思議に思うだけであった。

次の日、明るい時、良くみたらバンパ-の鋲の頭が5ミリ位すり減っており、バンパ-も少し曲がっていた。車同士がぶつかって一台は大破し、もう一台は鋲の頭がすり減るだけの事故はあるだろうか、と非常に不思議に思った。


(3)大阪市内を走っていて、ダンプカ-と側面からぶつかった。

バリバリと大きな音とショックがあったので、お互い車を停めて破損状況を調べたが何処にもなかった。

私の車のドア-には横に帯状に泥が付いていたが、拭いたら全く跡形も無くなった。

ダンプカ-があわてて車を停めて調べる程のショックと音があったのは事実だし、どんなに良く見ても何の傷もないのだし…。


上記の事を思い出して、教会で証をしたが、殆どの人が信じていない様であった。


追記 00/N

(4)ワンボックスカ-に乗っていて、私は誤って教会のガレ-ジに突っ込んでしまった。

ガレ-ジの入り口は車高よりも5~10センチ低いので、いつもは入り口に停めてあった。

ガリガリと大きな音がして、あわてて車を引き出したのだが、車の屋根には全く傷はなかった。

筋すらついていなかった。

階段から良く見える所であったので、4、5人の人は見ていたのだが(長さ1m位、屋根が凹んでいて当然なのだが)。


1997年 9月

教会の老婦人が天に召された。

葬儀の時、遺族が遺品の話しをしてくれた。

かなりの年月に渡り、教会員の車の運転者全員をノ-トに書き出し、毎日祈っていたとの事であった。

その時、私の不思議な出来事の理解が出来た(この人の祈りがあったから)。


その後、何度も車を当てたり擦ったりしているが、不思議は全く起こらない。



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2019年 4月7日

数年前、気が付くと小さな財布の中身がいつまでもなくならない。

しばらく気を付けていると、残りが3、4千円になると、それが3、4万円に変わっている。

何か月の間、銀行の通帳や現金ストック等を調べたが、補充は何か月もしていなかった。

この賜物は有難いと教会で証した。

しかし、数人の人は、

「千円が一万円に変わる瞬間を見ていなければ、疑わしい」

と言った…。

それで私は、残金が3、4千になるとチャックを開けたり閉めたり。

その後は、奇跡は起きなくなった。

賜物を失った。

何事でも、疑いは信仰に反する。

ダビデにしても、人口調査の様な常識的なことでも神の怒りに触れた。

その後、ダビデと同じく私にも神様からの罰があった。

今度は、1万円が次々と千円札に変わっていった。

今では現金はいくらも持ち歩かない。

どこでもカードがある。

賜物を軽視してはならないという御言葉がなかったでしょうか。

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「長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。」(テモテへの手紙Ⅰ 4章14節)

「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。」(テサロニケ人への手紙Ⅰ 5章19~20節)
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私は多くの賜物を信仰で得たが、やがて感謝を忘れ、半年も経つとそれが当り前になり、そして賜物を失った。

【管理人のコメント】
石村武治著「第三の天」の中の言葉を思い出しましたので、以下に貼り付けておきます。

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「あの時は偶然だった」とか、「私はついていた」とか、「運がよかった」、などと、信仰的な受けとめ方をしない。

そのため、御使いがどのように守っていても、神がどのようにお恵み下さっても、 それが少しも恵みとなって魂の肥やしにならないのです。

主はかつて、

「二羽でないと売り物にもならないような価値のない雀さえ御父の許しなくしては死にはしない。神はあなた方の頭の毛一 本にさえ心を配ってお守りになっておられる」(マタイの福音書10章29節〜31節)

と訓(さと)されたことがあります。

こうした神の御意(みこころ)を体して直接に私たちを昼に夜に守っているのが御使いなのです。

彼らは常に御前に在って一瞬のたゆみもなく御父の御顔を注視しています。

その御言葉の出るや、 疾風、電光のごとく直ちに私たちのために活動を開始します。

これほどにまで、聖書は御使いの活動について語り、主もまた、教え訓しておられるというのに、何故不安なのでしょうか。

何故に私たちの生涯が実を結ばないのでしょう。

聖書はこれについて、次のように警戒しています。

「 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」(ヘブ人への手紙 4章2節)。

つまり、どれほどの祝福に満ちている御言葉であったとしても、信仰をもって受け取らなければ益にならない、と言われているのです。
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神様から直接は語られなかったにせよ、人がその思いを知っている事は多いようだ。

しかもそれが重大な問題でさえ、そうである。

多くの献身者はその様である。

具体的には何も聞いていなくても、神様の自分に対する意思をはっきりと知っている。

だから一生の間に起きる色々な問題の時、招命を疑わない。

私の場合もそうである。

10年近くも勤め居心地の良かった会社を辞める時、神様からは一言の言葉も無かった。

しかし辞める2、3年前から判然と知っていた。

又、私が本を読むことを神様は嫌がられた。

しかし一言も聞いてはいない。

読んだり止めたりを半年近くも繰り返して確認した。

断食もそうである。

これも一言も聞いていない。

毎年40日間ユダヤ式断食を多分20年以上続けているが、10年位前から、これを毎日続ける事が私に対する神様の思いである事が、うすうす判ってはいた。

何年間もやったり止めたり、昼間は菓子や果物を食べてみたり、牛乳等飲んでみたり、朝食や夕食の時間も色々と変えてみたり。

結局、現在のところ9時から午後4時迄はお茶コーヒー以外は何も食べない事に落ち着いた。

初めの頃は断食をしないと体重が増加して血圧が上がるので、其の為にも昼食抜きは必要であったが、どうもこれは神様が与えた業(わざ)と思っている(これでやらざるを得なかった)。

今やっていることは最低限の断食であるが、これでも神様は納得して下さっている様である。

最近、思うのであるが、人にとって重大な事柄を神様は一言も語ろうとしない理由が少し判った。

神の思いを知って自発的に行う方が、具体的に命令されて行うより、人にとって遥かに栄誉ある事である。

志願兵と召集兵の違いである。

同志と雇い人の違いである。


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2011年 3月

【質問】私は現在福音派の者で聖書を重んじようと目指しています。

最近、聖霊様の働きと恵みが著しいペンテコステ教会にも凄い興味を持ち、良い教会が見つかったらペンテコステ派に移籍しようと考えています。

繰り返して言いますが、聖書を重視しようと目指しているのです。

それは、異端に陥り神の御教えとは異質な偽りの教えに惑わされないためです。

正直、非聖書的な偽教理に欺かれてサタンの滅びの道へと導かれてしまうことを真剣に恐れているのです。

現在は欺きの教えが多くて、もう怖いです。

何処へ行っても怖いですので、最近は何処の教会にも行っていません。

私は主イエスを信じるクリスチャンで信仰心が有るのですが、キリスト教には様々な教派が有ります。

教会に内在する偽者や異端教理にやられたくないです。

キリスト教の内でどの道を歩めばいいのでしょうか。

御回答を宜しくお願いします。


【回答】偽りを言う牧師ですが、私も日本の一部の教会では、偽りどころか、悪魔の手先のように言われているでしょう。

ご存じでしょうが、神よりも教会の存続や運営を重視すると、そうなるのですよ。

もしかしたら、その牧師も良心との板挟みで泣きながらそれを言っているのかもしれません…。

政治でも会社でも教会でも組織があると、自分の信念や信仰よりも組織が優先になるでしょう。

一昨年は、ある新聞社と交渉の結果、

「組織の中にいる人は、もはやキリストの忠実な僕(しもべ)とは成り得ない」

と結論しました。

牧師にも色々な事情が有るでしょうから、あまり気にしない方が良いでしょう。

今日、神の返事は、

「批判する時間を使って前進しよう」

でした。

前を注視していると、他はあまり気になりませんよ。

飛行機の着陸の鉄則を教えましょう。

「目標から絶対に眼をそらすな」

です。

高度が下がると、足元にあるビルや塔は恐ろしいですよ。

でも目標から外れなければ、絶対にぶつからない。

これは信仰的な自信です。

他人は、通り過ぎる景色くらいに思って下さい。

「キリストを知る絶大な価値の故に、これらのものを糞土のように思っている」(ピリピ3章8節)

と信じてはどうですか。

只、自分自身は信仰や良心に背く事に加担はしない。

これでどうですか…。

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質問「教会選びについて」


なぜ将来について神に相談し願い求め期待しないのか

の記事をYoutubeでご紹介いただきました。オニさんありがとうございます。(管理人)




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2024年 8月2日

今日は私の経験であるので念のため。

ーー聖書を書いた預言者は全員、これを言うべきであった。神の命令であるか、自分の考えであるか。又、誰に対してであるか。後世の人は全て都合の良い解釈をしたようだ。ーー

私も神の預言者である。

多くの経験から神様の思いの確認方法を教えましょう。

祈りながらやってみる方法がある。

これについては多くの実験をした。

時々は神様に叱られた。

昔、カーナビ等無い時代、目的の場所へ行くのは普通地図を見ていた。

神に聞いたら行けるのか、、実験してみた。

先ず大体の方角に走り出す。

この辺で曲がるのかなと感じたら、手前で停車して曲がった場合と直進の場合を想像する。

すると片方が違って感じる。

何度もそれを繰り返して、初めて行った目的地に着いてしまった。

それには問題があった。

時間が長くかかり交通渋滞の元になった。

それでその方法はやめてしまった。

東京で伝書鳩のレースをやっている友人があった。

都内である。

屋上に鳩の小屋があり度々見に行った。

鳩は放たれるとその上空をぐるぐる回る。

やがて一羽がまっすぐ飛んで行く。

それについて残りがついて行く。

鳩は方向がわからなくなると立ち止まり、、方向を知ろうとする。

そして最後は巣に帰る、、。

私の実験も全く同じであった。その性質は人間にも残っている様である。

燕でも実験してみた。

千キロ飛んでも同じであった。

NHKでは犬で実験していた。

広島から和歌山まで犬は昔の住処に帰っていた。

犬も同じである。

みなさん、自分の将来について正しい道を選ぶのに動物を見習おうではないか。

天地創造の神様は動物以上の能力を人間に与えてくださるでしょう。



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2025年 9月9日


さて、これは私の仕事であるか、神様はなんと言われるか、聞いている。


あとで怒られるなら、やらない方が良い。

日本の総理大臣は誰でも関心はないが、女の候補があるのでチョッと引っかかる。

もう何年か前、女牧師の是非が動画でいくつか出ていて、私はこれは神様はどう言われるか聞いてみた。

詳しい回答は記事にしてどこかにあると思うが、記憶では次の通り。

最初神様は、

「女牧師は認めない。」

であったが、私は強硬に捩じ込んだ。

「今の時代そんなことを言うと神様も人間に相手にされませんよ…。」と。

2、3日後、神様は譲歩した。

「女は男を教える様に造られていない。でも奉仕者なら女牧師も認めよう。」

であった。

でも、

「大国のリーダーは女は認めない。」

今回はこれに該当する。

私は預言者として神の現在の言葉を伝える義務がある。

本人が反発するのならその身に起きたことが神様の返事である。

女候補者はやめた方が幸せである。

もし目が潰れることが起きても、すぐ悔い改めれば死なずに済むであろう。

これは聖霊の思いであるか、今週は聞くのを仕事にしよう。

私の場合、聖霊の反対する文面は消えるのであまり気にしないが…。



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