海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2013年 6月

【質問】海南島ヨハネさんにリクエスト

以前は回答ありがとうございました。

また質問ですが、政教分離や神思想と一般論の価値観は分離してますが、いつか統一しないと根本的な平和は訪れませんか?

例えば、いじめ問題についてどう考えていますか?

幸福実現党の人はいじめ問題について克服に力入れてますが、宗教関係の事であり、相手にされてないような気がします。

神を抜きに根本的な問題は解決は不可能ですか?


【回答】海南島のヨハネです。

質問を感謝します。

難しそうな質問ですが、私には学問は無いのです。

ですが身近な経験は沢山あります。

共産主義は理想主義と言われ、戦後世界中で蔓延しました。

現在では大修正した残骸が残っているようです。

私は中国で6年間色々な事をして観察をしましたが、どんな主義であろうが、政治体制であろうが、それをする人間の性質が良くないと実現不可能だと、共産主義国家自体、初めから分かっていたようです。

だから現在でも大都市では、

「人民の為に奉仕をしよう」

と書かれた巨大な横断幕が眼につきます。

共産国家は、「政治と教育で国民の性質を変える事が出来る」と、凄まじい事をやりました。

中国では数千万人を殺し、カンボジアでも国民の3分の1の人間を殺し、北朝鮮ではどの位の悲劇でしょうか…。

何十年の経験で、人間の性質は人間では変えられない事が証明されました。

アフリカを見れば良く判りますが、他人に嫉妬し他人の不幸を願う国民では戦争や犯罪は当然でしょう。

日本でも「対岸の火事」とか「他人の不幸は蜜より甘い」という言葉がありますよ。

いじめについては、日本は世界的な野蛮国でしょう。

中国人も呆れる程です。

娯楽番組を見れば良く分かりますが、誰かが不幸になると大勢が喜ぶのです。

誰かがいじめられると大勢が喜ぶのです。

この性質があると、いじめの根絶は無理でしょう。

学者が大勢いじめについて議論をしていますが、自分にもその性質がありながら、他人を批判する。

泥棒が大泥棒を批判していると見ています。

聖書では、このような古い性質では幸福にはなれないと書いてあります。

クリスチャンを見ていると、勉強でも訓練でもなく性質が変わっているのです。

イスラエルの集団農場を見学しましたが、理想的な社会の様でした。

すべての人が他人に対して自分の家族のように奉仕しているのです。

内戦をしている民族とは性質が違うようです。

長くなりますので、又、質問して下さい…。


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【質問】十字軍はなぜ、あんな暴挙に乗り出したのでしょうか?


【回答】十字軍に限らず戦争の相手からみれば、残虐な人殺しではないですか。

現在でも、国連軍に攻められている国や民族は残虐な相手と思っていませんか。

やくざや犯罪者は現在でも警察を残虐な集団と思っていませんか…。

先月から約半月トルコ、ギリシャ、イタリア、地中海地方を旅行して、遺跡等を見て来ましたが、当地の説明は日本人が聞かされている話とは、大違いでした。

十字軍は、トルコに侵略された国々が連合軍を結成して、侵略者を押し返した4カ国の軍隊であるとの話でした。

十字軍仕事は侵略者の撲滅であり、残虐行為もあったでしょう。

でも、半分の仕事は侵略者に傷つけられた人々を助ける事であり、その連合軍の旗印が十字であった、との事でした。

またそれが現在の赤十字の発祥だとの説明でした。

質問者さんは、この話を聞いたことがありますか?

私も全部信じている訳ではないのですが、興味が有るのなら、一度現地に行き調べてみたらどうでしょうか…。

当時の服装まで残っていますので、一か月で100万位あれば、かなり調査できますよ。

十字軍に限らず、この様な話を簡単に信じてしまう日本人について、先日も馬鹿な日本人と言う話をしたのですが、特に女性からのひんしゅくを買うこと甚だしく、これでは講演の依頼は有りませんね。

先日も十字軍にどれだけ殺されたか知っているのかという質問がありましたが、もし知っているのなら、学会等で発表されたらと思いますね。

なお近年、共産主義者に虐殺された人間は中国で8千万人、カンボジアでは国民の三分の一とも言われていますよ。

質問者さんは別のようですが、無神論教信者はこの事実は知りたくないし、逃げていますね。

三流週刊誌的情報を妄信するのではなく、少しは調べた方が良いでしょう。

海南島のヨハネ


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もう昔のことになるが、私の親戚同様の家に小学1年生位の娘がいた。

ある時、私にこう言った。

「おっちゃん、小遣いためてピアノ買うねん」

私が、「もう幾ら貯まった?」

と聞いた処、100円か200円か、そんな金額であった。

その当時でも、ピアノは20万円以上はしていた。

「いつ買うの?」と聞くと、

「もう直き」だと言った。

私が、「足りない分、どうするの?」

と聞くと、娘いわく、

「いいねん。お父さんが残り出してくれるねん」

その娘はピアノを買うと言うが、金額を見ると、殆ど全部お父さんが出しているのである。

私はこれを聞いて、非常に感心した。

幼児だから言えることで、もう少し大きい子であれば、自分でピアノを買うとも言わないし、多分、お金を貯めもしないだろう。

もっと大きくなれば、

「半分、お父さん出して」

と言う話しになるかも知れない。

自分でピアノが何とか買える様になると、

「お父さん、ピアノ買うから協力して」

と言うが、具体的には大きい金額を期待しないかも知れない。

私達がもし娘の親だったとしたら、前記4人の内、どれが一番嬉しいであろうか。

親に負担を掛けない最後の人が良いと言う人もあろう。

しかし私は確信を持って言うことが出来る。

神様なら、最初の幼児を最も喜ばれる。

私もイエス・キリストによって救われてから40年以上になるが、最近特に感じている。

「私達の父、神様に幾ら祈り願っても、ほとんど聞いて下さらない。物事は願い通りにならない」

と言う不信仰が、日本中のクリスチャンに蔓延していないだろうか。

私も色々な祈りや願いをして時には、何ヵ月も祈る(神様に食いついて返事があるまで止めない)。

感じでは、その半分位は応答があり、納得してしまう。

神様にも考えがあり、時があり、都合もある。

10の内、1つ位しか聞いて下さらないかも知れない。

それでも、前記の娘の様に1000倍の期待をするならば、願った事の100倍を得る事が出来る。

私達日本のクリスチャンは、自分の能力の100倍を神様に期待しているであろうか…。


【管理人のコメント】
先日、大阪のS姉妹から教えてもらった最近ヨハネがおっしゃったという言葉に感銘を受けたので、紹介させて頂きます。

「何もかも神様に期待しています」

小さい事から大きい事まで、何もかも神様に期待して生きてゆけるというのは、本当に素晴らしいですね十字架キラキラ



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【質問】聖書で教えている永遠の命とは、なんのことでしょうか?


【回答】永遠の命は、永遠の滅びの対義語でしょう。

これは多少の経験のある人から回答しましょう。


1984年 2月20日  朝

神様は私に天国を見せて呉れました。

本当は行って来たのかも知れないが、判りません。

神様は巨大な太陽の様で、丁度、土星の輪の様に天使たちが取り囲んでいました。

それは宝石の王冠のように見えました。

そしてその周りにも宝石の様な星雲が囲んでいました。

これは霊達です。

この星雲も遠くに行くと雲のようになり、もっと遠くでは、暗黒の世界のようでした。

ここでは太陽の光も届かず、霊の墓場のようでした。

後で判ったのですが、ここが霊の消滅場所で、永遠の亡びです。

そこ以外は永遠の命とも言えますが、神の光の届く距離が永遠の命の場所です。

その場所を決めるのは、あなた自身です。

神を憎んでいた、又は無視していた人は、到底、神の光の届くところには、居れないようです。

実は、永遠の命も永遠の亡びもこの世からありますよ。

理由も無いのに心から喜びが湧いて出る、これは魂が健康で死んでも霊は生きるでしょう。

幼児はそうです。

いつも空虚感で何かで紛らわせる人は、霊の栄養失調です。

やがて霊は餓死するでしょう。

でも霊の食物をとれば直ぐ回復しますよ。

永遠の命に至るのは簡単ですよ。

神と仲直りして、いつも霊の食料を貰えば良いのです。

それは死後も同じようです。

海南島のヨハネ


上記の記事をオニさんにご紹介頂きました。いつもありがとうございます!(管理人)

動画を見ていて管理人がふと思い出した聖句を貼っておきます。

わたし(イエス)が来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

(ヨハネによる福音書10:10)


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2011年 1月

【質問】海南島のヨハネさんへ

こんにちは。

以前、異言について質問させて頂きました。

今回も質問させて頂きたいと思います。

質問は、

「神様は罰を与えるかどうか」

です。

私は今お付き合いしている人がいます。

しかし私はプロテスタントで、相手はカトリックです。

様々な障害があります。

彼がみこころの人なのか、良く分かりません。

本当に沢山の出来事が重なり出会った人なので、この人がみこころの人なのかな、と思った事もあります。

けれども、こんな出来事がありました。

付き合った直後に、色々悪い事がありました。

財布を無くしたり、悪いタクシーの運転手にあたり恐い思いをしたり等々。

あまりにも人生が上手くいかなくて、恐くなりました。

本当に怖くて泣きながら祈っていました。

そこでその時に思いついたのが、

(神様は、私が彼と付き合っていることを怒ってこのような事をしたのではないか)

ということです。

理由は、やっぱり彼がカトリックということ。

私はマリアにお祈り出来ませんし、偶像とかもあまり好きじゃありません。

そんな人と付き合っている事を、神様は怒っていらっしゃったのかと。

そこで別れれば、もう悪い事は怒らなくなるのではないか、と思いました。

けれど、別れる事が出来ませんでした。

別れるのが正解か分からなかったのです。

友人にも相談しました。

ある友人は、

「神様はねたむ神であるから、警告として罰を与える事もある。私達は神様の良い部分だけを見過ぎている」

と言い、またある友人は、

「人間に義人は一人もいないから、分かっている神様は罰を与える人ではない」

と言いました。

私は、神様がこのように罰を与えて警告するような方だとは思いたくありませんでした。

けれど確かに、良いところばかり求めているのではないかと考えるようになりました。

今、彼と別れるべきか悩んでいます。

ヨハネさんはどう思われますか?

神様は警告として、このような事をしたのでしょうか?

神様は罰を与える方なのでしょうか?


【回答】海南島のヨハネです。

質問、感謝します。

神の与える罰についてですが、神は憎しみを持って罰する事は無いでしょう。

しかし、愛情の発露としての罰はありますよ。

先の友人の意見は正しいようです。

昔聞いた神の言葉で、

「生物すべて苦しみが無ければ自分自身を変えようとしない」

神は生物に苦しみを与えて、その叫びに応えて奇蹟を現わし変化させている…人間も同じ様です。

この前、ある若者が苦しみについて相談に来ました。

私が、

「今のあなたの苦しみは人生にとって有益です」

と答えたら、失望して帰って行きました…。

しかし当人にとっては当然でしょう。

恋愛問題では、当事者は客観的にはとても見れないでしょう。

私の若い頃、勤めていた会社に長老的な老人がいました。

彼が私に薦めた女の子は、若者が相手にしない地味な子でした。

老人の今にして思えば彼女は会社でピカイチの良い女性でした。

若者の見る眼と、親の見る眼と、老人の見る眼は全部違いますね。

神に於いては尚更でしょう。

クリスチャンなら神の見る眼を知る事が出来ます。

色々な事が起きてくるのは、神様が、

(わたしに聞きなさい)

と言っているようです。

「先ず神の国とその義を求めよ」

を思い出して、結婚について、神の思いを尋ねたら良いでしょう。

神様はそれを望んでいますよ。


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2007年4月21日 


老人になると、色々と体の不具合が出てくる。

明らかに朽ちていく感じである。

心臓、血圧、疲れ等。

ある時、神様に聞いた。

「あなたの子供にはそれらが無くても良いではないですか?」

神様はすぐ答えられた。

「人並みの経験(苦労)はした方が良い」


これには全く同感である。

何の苦労も経験しない人生は、塩気のない食事の様な物であると思っている。

山あり谷ありで面白いのであって、平坦地ばかりでは味がない。

しかし苦しみの最中では、苦労は経験したくないと思う。


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質問「この世は修行の場?」 
苦しみは、神に叫び、訴えさせるため 




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【質問】この世が幻である可能性はありますか?


幻であってほしい時はありますけどね。


幻だとしたらどういうことなんでしょうか?



【回答】私も若い頃、懐疑論にはまってしまった時がありました。


もしかして全ての事は実在しないのではないか?との疑惑です。


ある人が、簡単な解決方法を教えて呉れました。


5分間息を止めてみる事です。


私は実行して見ましたが、数分で懐疑論は吹っ飛びました。


息をしないで苦しくなると理論なぞどうでも良いという現実がありました。


懐疑論も含めて、色々な議論は現に苦しんでいない人達の、まー、遊びの様なものでしょうか。


今日食べるものも無い人達にとって、生きる事は理論より遥かに重要のようです。


海南島のヨハネ



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神は本当に存在するのか

質問「死ねないから生きているのですか?」

質問「地獄ってどんな所ですか?」

質問「神様っているの?」




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2008年 12月24日

私は学者では無いので理論は重視していないが、理解したい人の為に以下の様にまとめてみた。   
 

1 神とは、この世の上にある存在で、この世の法則に支配されない。又概念の支配も受けない。

2 神はこの世に対しては絶対者であって、この世で比較するものはない。

3 人間は全てこの世の支配下にあり、神と呼ぶべきでは無い。

4 霊も又この世の法則の下には無い。しかし、力関係で創造の神の比ではない。太陽と月位の違いである。   
 
5 人間イエス・キリストは、この世の支配下にあった。しかし神であるイエスは支配下ではない。


【解説】

○ 神はこの世を創った方であり、又この世の法則を作った方である。正確にはこの世の法則に従ってこの世を創った。物理法則もすべて神が創った。法則を創った方が法則の支配を受けない事は当然である。パソコンに例えればプログラムを作った人がプログラムに支配されない事と同様である。   
 

○ 人が自分のパソコンのプログラムに対して絶対である様に、神も又この世に対しては消滅させる権力と能力を持っている。だからプログラムで出来た物と、それを作った人間とは比較出来ない事と同様である。


○ このプログラムによって出来た人間はプログラムを作った神と同列ではない。神と呼んでもそれは偶像である。


○ 大宗教はこの世の上の次元の霊の影響を受けている。だから色々な不思議や奇跡があり、宗教として存続している。しかしこの世に対しては、それを創った創造の神に絶対権があり、他の霊は神の許容を越えては何事も成し得ない。実の親と近所のおじさんの様な物である。


上記の記事をオニさんにご紹介頂きました。いつもありがとうございます!(管理人)

オニさんが最後な引用されていた聖句を以下に貼り付けておきます。

神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。

この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。

(Ⅰテモテ6:15〜16)


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2008年 2月20日

【質問】海南島のヨハネさんはどうやって神様と対話しているんですか?

文字通り対話なんですか?

神様関係の質問で証拠を求めたりするのはあんまり好きじゃないんですが、その対話することというのが納得できないんです。

僕の生年月日とかをあてたり、通ってる学校をあてたり、将来の夢とかをあてたりしてください。

こういう事はあまりしたくないんですが、ぜひよろしくおねがいします。


【回答】海南島のヨハネです。

質問ありがとうございます。

天地創造の神様との対話は通常、霊感でやっております。

耳で聞く場合もあります。

こちらからは普通にしゃべっています。

声を出さなくても、神様には聞こえています。

中々返事が無いと、せっつきます。

期限を切ります。

教会の牧師さんでも同様の質問を私にした人もいますので、珍しいのでしょうか。

霊感の無い人には、とても納得できる事では無いと思いますが、霊感も一つの感覚ですから、丁度、盲人に見える感覚を説明するのと同じく不可能でしょう。

でも、この感覚によって、神に文章を書かされ、お互いに全く知らない二人の人の文章が酷似している等はよくある事です。

実は聖書もそうなんです。

多くの預言者が書いているのに調和しているのです。

私は、神様と通訳の能力は有りますが、霊能者のように透視の能力は有りませんし、欲しいとも思っていません。

だから、生年月日も学校もわかりません。

去年の夏頃、このカテで神様と会話が出来るのなら、自分の心の中にある質問とその回答を答えて下さいとの質問がありましたが、神様はすぐ返事をしてくれました。

当人は驚いたかどうか、消息は判りません。

今頃、私は回答しなかった方が良かったかな、と思っています。

質問者が神を信じなければ、一生、罪意識が残るでしょう。

多くの人は、簡単に神の存在の証拠を示せと言いますが、その結果については全く考えが及ばないようです。

もし神様が証拠を示されたら、信ずる責任が発生します。

知らないで無視するのと、知っていて無視するのでは、罪が違います。

聖書にも、イエス・キリストの奇蹟を見ていて、信じ無かった町々に対し、非常に厳しい事を言われています。

神を信じたくない人々に存在の証拠を出さないのは、神様の非常な愛によるものです。

神を無視する人も神様は愛されているのです。

私も以前は色々な人から、深刻な問題の祈りやら、又、神様に聞いて下さいとの依頼やら有りましたが、神様の返事があっても、殆どの人は言われたとおりにはやりません。

参考にする位です。

返事は難しい事が多く、無理もないと思いますが、結果的には、神様に聞かなかった方が幸せでした。

罪意識が残るだけです。

それで私は代理で神様に聞くのをやめました。

誰でも、神様に近い関係であれば、重要な問題は何らかの方法で神様は教えてくれますよ。

聖書の言葉を悟る方法が一番多いでしょうが、もし、あなたが人生の問題で、何を言われても、従いますとの決心があれば、又聞いて下さい。

神様に聞いてあげましょう。


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2007年 3月12日

驚いた、驚いた。

今日の幻には驚いた。

以下、日記より


今、朝7時前。

不思議な幻を視る。

長椅子があって、左に老人の私が座っていた。

すぐ右に私に抱かれる様に10歳位の少年が居た。

一寸離れて右に(仕切りがあった?)非常に年老いた百歳以上?顔はしわくちゃで男女判らない人が座っていた。

私の前には30歳位?の女の人が私に向かって口をパクパクさせて、しきりに話しかけている。

しかし声は聞こえない。

良く見ているのだが、どうしても鼻から下しか見えない。

とても親しそうにしている。

隣の少年の顔をしげしげと見たのだが、私の孫かなと思ったが、少年時代の私自身であった。

非常に清らかな顔をしている。

今までに見た事はない。

そして私の前の女は私の母であった。

老人の私と少年の私が同席する為に、誰かが非常に歳を取った。

一体、誰なのか。

神様が私を選んだ理由が今判った。

少年の私は、抜群の清い心の持ち主であった。

もう非常に可愛い。

また会いたい(今聖霊の注ぎあり。そうだ、の意味)。

今、判った。

天国で神様の側にいる私は老人の私では無く、清らかな少年の私である。

そして、何十年間にも及ぶ私の疑問が解けた。

「人は死ぬ時、なぜ苦しむのか。何の意味があるのか?」

という問い。

死の苦しみがあれば、どんな悔い改めも出来る。

そして罪が無くなれば、少年少女の心に戻れる。

そして清らかな自分として天国に住める。

これは凄いチャンスであり、又、恵みでもある。


以上、日誌より。


2月になってから、神様との会話は順調であった。

3月初め、タイトルが「血と生命と健康」になったら、悪魔は猛烈に攻撃してきた。

前立腺の病気に便乗し、気が狂いそうな位悪い気分であった。

大声を出して走り回りたい位であった。

苦しみの為、神様との会話はしばらく休もうとも思った。

しかし、神様の方が強かった。

悪魔を追い出す力を与えて下さり、殆ど追い出した。

その祈りの中で霊の目が開かれ、色々な事が判った。

これは収穫である。

今日の幻は多くの人に伝えないと、非常に勿体ない気がする。

帰りたい。

帰りたい。

少年の私に帰りたい。

どんな事をしても、全財産をはたいても。

完全な悔い改めが出来れば帰れる事を私は知っている。



2007年 3月15日

2、3日前、私は少年時代の自分に幻の中で逢って来た。

非常に清らかで非常に可愛い。

孫も子も可愛いが、幼い自分は10倍可愛い。

今迄に数え切れない程の幻を視たが、これは初めてである。

救われて50年になるが、神様が愛する自分は老人の自分しか考えなかった。

勿論それもあるが、幼子の様な心になった自分は、神様からみて非常に可愛いのである。

この可愛い子の為に神様は数十人の天使を護衛につけ、危急の時には天の軍団を引き連れて駆けつける。

この理由が今になってやっとわかった。

神様はそうしなければ居れない程、幼子の様な人間が可愛いのである。

はた、と思ったのであるが、私も他の人も皆同じではないか。

先ず悔い改めよう。

罪の性質が無くなれば、幼い子の魂に戻れる。

神様が見て可愛くてたまらない、何としても自分の側に置きたい、その様な人間に誰でもなれる。

去年の秋、病気(サタンの攻撃)で苦しんでいた時、私は神様に言った。

(どうして、あなたは私を見捨てるのですか)

神様は直ぐ返事をした。

「可愛い子に、どうしてそんな事が出来るだろうか」

意味が今やっと判った。


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