神から目を離さない2 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

私は一人で飛行機を操縦していて、危険な事に出会った事が数回ある。

大抵は地上の場所を探そうとして、そちらに注意を払っている内に、段々と高度が下がってしまい、前方に送電線の鉄塔等が突然現れてビックリし急上昇して、難をのがれるという事であった。

信仰生活も同様である。

この世の物事に注意を集中させてはならない!

どんな時にも神を見て(感じて)いなければ、段々と信仰のレベルが下がっていく事に気が付かない(世的になって来る)。

目の前に障害物が突然現れてビックリする。

時にはぶつかってしまう。

信仰のレベルが下がっていなければ、自分の足の下を通り過ぎて行くべき色々な事が信仰のレベルが低いので、自分の前方に立ちふさがってくる。

私は自分に言い聞かせる為、左記の標語を作り、折りに触れ、自分をたしなめている。


1 穏やかに生活している時、神を見る!他は見ない

2 状況が良い時、神を見る!他は見ない

3 状況が悪い時、神を見る!他は見ない

4 人にほめられた時、人をみないで神を見る

5 人におこられた時、人を見ないで神を見る

6 困難にぶつかった時、神を見る!他は見ない


飛行機を操縦していると、時々エア-ポケットに入る事がある。

初めの内は驚いたが、その内慣れてきた。

エアーポケットに入った時の処方は、

@目標から目を離さない
@姿勢を変えない
@恐れない

これは生活上、困難に会った時の私達の信仰態度と全く同じであると思う。

困難にあった時、

@神から目を離さない
@信仰姿勢を変えない
@恐れない

飛行機はエヤ-ポケットに入った時、底無しの地獄へ際限なく落ちて行く様に感じるが、実際には数秒で底に達し、大抵、上昇気流に乗って高度を回復してしまう。

だから結果的には何の損失も受けていない。

しかし途中で恐れて向きを変えたり上昇して見たりすると、その損失の方が遙かに大きい。

信仰生活も同じだと思う。

困難が突然現れて来た時、普通の人は何とかそれを解消しようとする。

又、色々な事を考える。恐れる。

しかし現実には悪い事はいつ迄も続く事はない。

又、良い事も現れて来る。

通りすぎて見れば、何の損失も受けていない事も多い。

聖書には、

「すべての事、相働きて益となるを我等知る」

と書いてある。

大変な災難に遇ったと思ったが、結果的には良くなった。こう言う経験は誰にもあると思う。

私は自分では馬鹿ではないかと思う位、人を気にする。

飛行機でたまに二機で並んで飛行する事がある。

目標を見ていて他の飛行機も見えている時は良いが、他の飛行機のみを見て操縦すると大変な事になる。

近づこうとすると近づき過ぎて危ないし、同じ高さにしようとすると急上昇や急降下になってしまう。

兎角、右往左往、酔っぱらいの様な飛び方になり、危険と損失は大変である。

信仰生活でも同じと思う。

人に合わせようとすると、右往左往してしまう。

そして時にはとんでもない方向に行ってしまう。

時折り思っているが、

「遠くを見て歩けば、小石につまずく事はあっても、壁にぶつかる事もないし、川に落ちる事もない。近くの足元を見て歩けば、その逆である」。

私は馬鹿な自分を激励している。

「人は皆、不完全な被造物にすぎない!気にするな!どんな仕打ちを受けようとも、小石につまずく位のものだ」。