神から目を離さない1 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

セスナ操縦訓練

数年前、私は近くの町を車で通過していた。

その町は森があり、近代的な建物があり、又森があるというような整備された町で、私の好きな風景であった。

車を運転しながら神様に言った。

「神様、人間が作ったものも、なかなかいいではないですか」



その時神様は言われた。

「I'll  show  you  the  sea.」

(私はあなたに海を見せてあげよう)


私は子供の頃、漁村で育ったので、海は良く知っているつもりであったが、そう言われて見ると何かあるのかな…?と思い、そのまま大阪南港へ直行した。

港へ行って見て驚いた。

岸壁の内側には全部ビルがあり、そのビルを通過しないと何処からも海は見えなかった。

やむを得ず埋立地へ行った。

そこから海は見えたが、何の変わった事もなかった。

海は何処から見るのが良いだろうと、その頃考えていたが、飛行機から見るのが一番だと思った。

しかもジェット機の様に高い所ではなく、適当な高さで、その後小型飛行機をチャ-タ-して大阪湾上空を飛んで見たが、予想通り海は良く見えた。

又、操縦もなかなか面白そうなので、習う事にした。

最初思っていた事は、やり方だけ覚えればこんな小型の飛行機なんか直ぐ操縦出来るだろうと、私は車の運転と同類に考えていた。

初めは信頼感を持つ事の訓練であった。

飛行機は2人、又は4人乗りのものであったが、機長席に訓練生が乗り、副機長席に教官が乗っていた。

機体をかなり高い所まで上昇させ、いきなりエンジンを止めて(アイドルにして)速度を落とさせ、やがて墜落を始める迄ほっておいて墜落の途中から回復させたり、又、操縦を全く任されて、どうにもならなくなってから回復させたり、そういう訓練の繰り返しであった。

これは、飛行機がたとえどんな状態になっても安全に回復出来るものであるとの確信を持たせる練習であり、又教官との信頼関係の確立であった。

だから、訓練中は誰でもこう思っていると推測する。

「どんな危険な事になっても、隣に座っている教官が無傷で私だけ死ぬ事はあり得ない」

そう確信するので、誰でも思いきった操作が出来るのであると思う。

次に始まった訓練は、目標を設定し、それから絶対に目を離さない訓練であった。

機体が離陸すると、すぐ教官が、

「目標を見つけなさい!」

と云う。

しかし見えるものは 青い空か白い雲かで、真前に丁度、雲がある様な事はめったになかった。

一面、全く変化のない空の一点を目標に定める事は不可能に思えたが、何十時間と必死に見つけ様としていると、空のわずかな変化を見つけて設定出来る様になった。

人間の能力も大したものであると感心している。

そして、その目標に向かって真っ直ぐ飛行するのであるが、2、3秒も目を離すと、すぐ教官にどなられる(機体の向きがわずか変わっても判るらしい)。

一寸の間でも目を離すと、目標がどこであったか判らなくなる。

そうすると教官に又おこられる(丁度、楽譜の音譜が一寸目を離した為に何処を弾いていたのか判らなくなる様に)。

目標の設定が出来、目を離さなくなると、次は色々な状況をわざと作りだして(例えは機体をゆすったり…)、目標から目を離させ様とする。

そして目を離すと、又、怒られる。

本当に長い時間を掛けて目標から目を離さない訓練をさせられる。

飛行機には沢山のメ-タ-があり、どうしても見たくなる。

目標から目を離さない為にはチラッ!位しか見る時間は無い。

1秒以上見てはならないといつも言われる。

メ-タ-を、

「見えるのは良いが、見てはいけない!」

と言われる。

この様に目標に向かって真っ直ぐ飛ぶ訓練をしていると、次の事が判ってきた。


1 目標を見ていると自分の方向が判る
2 目標を見ていると自分の姿勢が判る
3 目標を見ていると自分の高さが判る
4 目標を見ていると真直ぐに飛ぶ事が出来る


これ等はメ-タ-の様に数字には出ないが、メ-タ-より遙かに微細な変化が判る。

信仰とは関係のなさそうな事を事細かに書いたが、私は自分の信仰生活に大変有益な教訓を得たと思っている。


@目標は神様である
@何も感じられない状態の時でも懸命に探す!見つかる迄!
@見つけたら絶対に目を離さない
@神様以外のものに注意力を集中させない
@神様が見えていればもちろん!自分の向かっている方向が判る、信仰姿勢が判る
@神様に向かって真っ直ぐ歩む事が出来る



こう書いている自分自身、毎日の様に失敗の連続である。

何故失敗するのか…自分で判っているつもりである。


・世の中の事に気を取られて目を離す
・状況の変化(良くても悪くても)で目を離す
・欲望につられて目を離す


飛行中、目標の一点を注視していても、廻りの景色や地上も同時に見えている。

だから高さが判る。

同じ様に信仰生活上、神様に注意を集中していても、自分の廻りの状況は見えている。

しかしそう気にはしない(気にならない。気にする程の集中力は残っていない)。




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