2008年 2月25日
【質問】海南島のヨハネさんに質問です。
今でも宣教師っているんですか?
海南島のヨハネさんが前おっしゃっていた日本で亡くなった宣教師はどのような理由で日本で伝道していたんですか?
もう一つ質問です。
人間だれでも罪があります。
地上の罪を天で悔い改めることは全くできないんですか?
【回答】海南島のヨハネです。
質問、有難う御座います。
又、神様に聞くタイトルが 一つ増えました。
質問の件ですが…今でも宣教師はいますよ。
昔よりも多いのではないですか。
教会に行けば、所により逢えますよ。
以前回答した宣教師は、娘さんの頃にオーストラリアから日本に来て、神戸で宣教師の助手をしながら、子供ホームで孤児たちの面倒を何十年間も見ていました。
派遣の宣教師ではないので、本国からの援助は無かったようです。
人生を他国の孤児の為に捧げた様な人でした。
人間的な報いは何一つ無かったと思いましたが、でも神様からの報酬は大でした。
日本へ来た理由は神様が行けと言われたのでしょう。
こんな宣教師は沢山いますよ。
私も3年前に、神様から行けと言われ時、何で私が中国なんかへ行かなければいけないのか、英語圏ならともかくも、と断る理由を色々探しました。
結局行きましたけど、他の人も同じようですね。
「私はそんな器ではありません」
「何かの間違いでしょう」
と断っている人が多いようです。
でも最後には従っている様です。
でも神様から直接任命された宣教師の働きは凄い物があります。
戦後、神様の命令で家族を引き連れて日本へ来た宣教師は、船から下りても行き先を全く知らなかったと言っていました。
その後、何千人の人達がその宣教師を通して救われました。
多くの宣教師の日本に来た理由は、大きく言えば、神様の愛にほだされたと言うべきでしょうか。
愛に報いる為と言うべきでしょうか。
人間すべて、罪びとですね。
基本的には、死後、天において悔い改めができないでしょう。
神は全能であるから、全く出来ないとも思いませんが、人間、死ぬときの苦しみは、他人を許す最高のチャンスの様です。
「私も憎んでいたあの人を赦しますので、私も赦して下さい、そしてこの苦しみから放して下さい…」
悔い改めの絶好のチャンスです。
このような人を何人も見ました。
私は、今頃、死後の世界について神様に聞いている最中ですが、人間死んだら脳が有りませんので、霊は受身だけのように思いますが、これは宿題にして下さい。
長くなりますのでこの辺で、又質問して下さい。
海南島のヨハネ
【管理人のコメント】
サンダー・シングの本の中から抜粋を張り付けておきます。
ある哲学者の死
ドイツのある哲学者の霊魂が霊の世界に入り、霊界の例えようのない栄光と、そこに住む人々の尽きることなき喜びを遠くから眺めた。
彼は自分の目にしたものに歓喜にしたが、頑固な知識主義が邪魔をして、そこに入り幸せを楽しむことを阻(はば)んでいた。
それが現実であることを認める代わりに、彼は一人で自問自答し始めた。
「自分がこのすべてをみていることは本当だ。だからといって、それが客観的事実で自分の作り上げた幻影でないという証拠はどこにもない。この光景を一つ残らず論理学と哲学、科学で解いてみよう。これが幻ではなく現実そのものだと確信するのはそれからだ」
このとき、天使が答えていった。
「知識偏重主義があなたの性格全体を歪めてしまっている。それは今のあなたの言葉からも明らかである。霊界をみるには肉眼ならぬ霊眼が必要なように、霊界の実在を理解するにも論理的哲学がごとき初歩の知識作業ではなく、霊的理解が必要なのだ。あなたは物質的事象を扱う科学を、あなたの脳と頭蓋骨ともども現世に置いてきた。ここでは、神を畏れ愛することからくる霊的知恵しか役に立たない」
それから、もう一人の天使が別の天使にいった。
「悔い改めて子供のようにならない限り、 誰も天界に入れないという主の御言葉を人々が忘れているというのは何と嘆かわしいことだろう」
わたし(サンダー・シング)が、天使の一人にこの男の運命についてたずねると、彼はこう答えた。
「この男の人生がことごとく悪いものだったら、すぐさま闇の霊どもと一緒になっているところだが、彼は倫理観がなかったわけではない。そこで、非常に長いこと中有界下層の薄暗がりの中をやみくもに歩き回り、あの哲学の頭をぶつけ続け、やがて自分の愚かさに疲れて悔い改める時がくる。こうして、ようやく教える目的を授かった天使から、必要な教示を受ける用意が整うのだ。教示を受ければ、より高き層にある神の光の中に入るに相応しくなっていくことだろう」
次にサンダー・シングがカイラスで出会った聖者の見た幻を以下に抜粋します。
神を否定する人
サットンという名のあるジュネーブの科学者は、神の存在を否定していた。
彼は命と魂は同じなので、死後の生命は存在しないと信じていた。
ところが、この人の妻は大変に敬虔な宗教者で、母の感化を受けて育った子供たちもまた、母同様に宗教的で、神を畏れる性格だった。
妻子はしばしば家族会議で夫に神の存在を説いたのだが、サットン一人が彼らの話を笑い、迷信深い愚か者よと蔑んでいた。
サットンの妻子は、一人また一人と死んでいき、二、三年後に、サットンにも死期が迫った。
彼の信念によれば、死後の生命は存在しない。
臨終が近づくと、息を引き取れば自分は無になると彼は考えたが、この世を去るや否や、体だけを残して、もう一つの世界に移行したのを知って驚いた。
そのとき、死後に天国があるとしきりに説いていた妻子のことを考えた。
その途端、眼前に全員の姿が現れた。
だが、自分と彼らとの間には大きな淵があった。
姿が見え、 声も聞こえるのに、淵を超えて行き来できないと知り、深く失望した。
輝かしく、幸せそうな妻子と不愉快で汚れた自分を見較べているうちに、涙がこみ上げて、激しく泣き出した。
そのとき、サットンの妻が声をかけた。
「あなたは私の死を悲しみ、何日も泣いていましたね。でも、臨終の床で申し上げたはずです。私はもう一つの生に移るだけで、また会うのですよと。でも、あなたは私の言葉を信じず、ご自分の考えに固執されたのです。今、私たちは永遠に別れてしまいました。あの別れは一時のものでしたが、この別れは永遠です」
その話を聞くと、サットンは自分の場所から飛び出して、妻に近づこうとした。
だが、そうすればするほど、ますます下に沈むのを私は見た。
妻子は悲しげに背を向けて、天の故郷に向かって歩き出した。
さて、天に引き返した妻子は、サットンの運命にひどく胸を痛めたので、天の門をくぐる前に神に訴えた。
「神様、私の夫が地獄の苦しみと処罰に定められているというのに、天国を喜べるでしょうか」
悲しみの訴えに答が返されぬまま、彼らは天の住居へと静かに導かれた。
だが、天国に入るや否や、彼らはサットンのことをすべて忘れ、まるで悲しみを知らないかのように、歓びに浸り始めた。
天国の大気そのものが、苦しみと悲しみを排しているのである。
サタンの子らは神の子らとは縁がない。
彼らは苦しみと永遠の死以外、何ももってはいない。
神の子は、どんな悲しみも問題ももたず、天の自由の中で歓びに浸るのである。
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