海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2025年 8月25日


老人になって感じるのであるが、他人を疑い、その不幸を願い腹いせをする…いじめがそうであるか。

日本のいじめを聞いてある外国人は、なんという野蛮人であるかと絶句していた。

欧米では無いのであろうか。

アフリカは日本以上のようである。

日本でもつい最近まで田舎では隣り部落を憎み、時に争い…そうしなければ生きていけない時代の名残りかもしれない。

でもその結果は、やった以上にやり返され、お互いが不幸になり…大人なら誰でも経験があるであろう。

暴力団や人殺し対策より、先にやるべきは、金儲けに訴訟を起こす弁護士の撲滅ではないか。

最近では、お盆の新幹線の停止であるが、私はその原因は責任追及された鉄道の乗客へのお返しであると、半分は思っている。

従来、台風等で列車が止まると、止めた鉄道を訴える人がおり、それを逃れるために少しの台風でも早めに止める。

それで何万人が苦労をする。

その元凶は、すぐ訴える弁護士であると私は思っている。

昔であるが、交通事故は速度制限が甘すぎるとの官僚への追及があり、東京都内24キロのノロノロ運転に規制された時があった。

官僚は自己保全の対策のようであった。

困ったのは都民であった。

韓国の慰安婦問題も同じであろう。

弁護士の金儲けと私は思っている。

これは両国民をどれだけ不幸にしたか、殺人事件の比較では無いようである。

戦争もそうだ。

人類は不幸の原因を研究して対策を立ててはどうだろう。


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2009年 4月

【質問】海南島のヨハネさんに質問です。

どうしてイエス・キリストは弟子の足を水で洗ってあげたのですか?

ふつう先生や師匠で弟子の足を水で洗ってあげる人なんていませんよね。

どうしてキリストはこの様な事を行ったのでしょうか?

解りやすく解説してください。

宜しくお願いいたします。m(__)m


【回答】海南島のヨハネです。

質問感謝します。

回答が遅くなりましたが、聖書には、イエス様は、

「弟子達の為に模範を示された」

と書いてあります。

普通は、目下の人の足は洗わないでしょうね。

ただ、お母さんは子供の足でも洗います。

愛情があるからです。

私も先の回答者さんよりも深い意味は知らないのですが、天国での席順は、この世とは反対が多いように思いますね。

大抵、足を洗った人が洗われた人より上位ですね。

天国では、どんなどんでん返しが起こるか…。

だから、誰もこの世では誇れないですね。


【ヨハネの福音書 13章1節〜17節】

さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。

夕食の間のことであった、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。

「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」

イエスは答えて言われた。

「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

ペテロはイエスに言った。

「決して私の足をお洗いにならないでください。」

イエスは答えられた。

「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」

シモン・ペテロは言った。

「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」

イエスは彼に言われた。

「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」

イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。

それで、「みながきよいのではない」と言われたのである。

イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。

「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。

あなたがたがそう言うのはよい。

わたしはそのような者だからです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。

しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。

あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。」





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2024年 8月2日

今日は私の経験であるので念のため。

聖書を書いた預言者は全員、これを言うべきであった。

神の命令であるか、自分の考えであるか。

又、誰に対してであるか。

後世の人は全て都合の良い解釈をしたようだ。

私も神の預言者である。

多くの経験から神様の思いの確認方法を教えましょう。

祈りながらやってみる方法がある。

これについては多くの実験をした。

時々は神様に叱られた。

昔、カーナビ等無い時代、目的の場所へ行くのは普通地図を見ていた。

神に聞いたら行けるのか…実験してみた。

先ず大体の方角に走り出す。

この辺で曲がるのかなと感じたら、手前で停車して曲がった場合と直進の場合を想像する。

すると片方が違って感じる。

何度もそれを繰り返して、初めて行った目的地に着いてしまった。

それには問題があった。

時間が長くかかり交通渋滞の元になった。

それでその方法はやめてしまった。

東京で伝書鳩のレースをやっている友人があった。

都内である。

屋上に鳩の小屋があり度々見に行った。

鳩は放たれるとその上空をぐるぐる回る。

やがて一羽がまっすぐ飛んで行く。

それについて残りがついて行く。

鳩は方向がわからなくなると立ち止まり、、方向を知ろうとする。

そして最後は巣に帰る…。

私の実験も全く同じであった。その性質は人間にも残っている様である。

燕でも実験してみた。

千キロ飛んでも同じであった。

NHKでは犬で実験していた。

広島から和歌山まで犬は昔の住処に帰っていた。

犬も同じである。

みなさん、自分の将来について正しい道を選ぶのに動物を見習おうではないか。

天地創造の神様は動物以上の能力を人間に与えてくださるでしょう。



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【質問】創世記のヘビ=サタンでしょうか?

神の敵はなんですか? (例えば無信仰者だとか、神を侮辱する者、或いは悪だとか)


【回答】創造の神の作業を最初から妨害してきたサタンが最大の敵でしょう。

人間がどんなに大それた事をしても、彼らから見れば蟻以下の存在でしょう。

サタンも又神と同じく霊の集団であるので、又、統一がとれているので、固有の名前があるようです。

もし創造の神の許可があれば、この世界を一日で消滅させる事も出来る様です。

どんな人間も彼らは10分もあれば殺せるでしょう。

私は彼らに息を止められて、死の境まで行った事は何十回もあります。

彼らに宿を提供している人間も、最後は彼らと等しく霊の消滅を見る事になります。

これを地獄とも云います。

蟻くらいの知恵で神に逆らう人も同じ運命です。

なお蛇については、

「人になぞらえた霊の物語である」

と神様は言われました。

蛇とは無関係のようです。

海南島のヨハネ


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子供がまだ2、3才の頃、家族4人で北海道へ旅行した。

車におしめを大量に詰み込んで、敦賀よりフェリーで小樽へ渡った。

かなり大きい船であったので、船内を廻るだけで半日位は退屈しなかったが、その内する事もなくなった。

一度ブリッジ等を見たいと思っている時、従兄弟のご主人がこの航路の船長をしていると言う話しを思い出した。

そこで船長室へ行き話しをした処、果たして従兄弟のご主人であった。

「いつ頃、北海道よりお帰りですか?」

と聞かれたので、

「一週間位で、北海道中を廻ったら、帰るつもりです」

と返事をした。

無事、北海道の旅行を終え、また同じ航路のフェリーに乗った。

ところが、その船は非常に混んでいて、船室で横になるのも窮屈な位で、その内、子供は泣き出すし、周りの人には迷惑を掛けるしで、係へ行って事情を説明し頼んだが、断られた。

他にも同じ様な人が沢山おり、次々と頼みに行っておったが、

「個室等は全部満室です!」

と受け付けてもらえなかった。

私もあきらめて帰りかけたが、

(そうだ!船長さんは義理の従兄弟かも知れない)

と思い出して、係の人に云った。

「大阪から◯◯がこの船に乗っていると船長さんに伝えて下さい」

そうすると、係の人が一度奥の方へ引っ込んで直ぐ出て来た。

そしていわく、

「船長より言われて居りますので、一等船室を用意してあります。直ぐ荷物を運びますから」

と云って個室に案内して呉れた。

その船の船長さんは私の義理の従兄弟ではなかったが、彼から依頼を受けている、との事であった。

お蔭様で、帰りは一等船室でも最も良い部屋で快適に、しかもタダで過ごす事が出来た。

これは私の経験の一つであるが、神様と人間との関係について、非常に有益な教訓を得た。

人間の義理の従兄弟でさえ、いつ乗るか判らない人の為に、あの混雑する時期に一等船室をずっと空けてあった(何日間あけてあったか私は知らない)。

私の方から見れば、困った時に「船長は親戚かもしれない」と云う事を思い出したので、上等の部屋にありついた。

神様も同じである。

いつ帰って来るか判らない、人間一人一人の為に、上等の部屋を用意して待っていてくださる。


聖書の放蕩息子の話しの様に、人間も困った事にぶつかった時、

(そうだ、私の父は神様である)

と思い出す人は、用意された部屋(祝福)にありつく事が出来る。

しかし思い出しも信じもしない人は、それを得る事ができない。

実に、神様は一等船室とは比較にならない程の祝福を帰ってくる(神を信じる)一人一人の為に、ずっと用意されているのである。


【聖書の言葉】

ある人に息子がふたりあった。

弟が父に、

「おとうさん。私に財産の分け前を下さい。」

と言った。

それで父は、身代を二人に分けてやった。

それから、幾日も経たぬ内に、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。

そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

何もかも使い果たした後で、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、誰ひとり彼に与えようとはしなかった。

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。

「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。』」

 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。

ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。

「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」

ところが父親は、しもべたちに言った。

「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足に靴をはかせなさい。 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」

そして彼らは祝宴を始めた。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、しもべは言った。

「弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。」

すると、兄は怒って、家に入ろうともしなかった。

それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。

「ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。」

父は彼に言った。

「おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」

(ルカの福音書 15章11節〜32節)


あなたがたは心を騒がしてはなりません。

神を信じ、またわたしを信じなさい。

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。

もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。

あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

(ヨハネの福音書 14章1節〜2節)


私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。

それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

(コリント人への手紙 第二 5章1節)


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2010年 2月

【質問】キリスト教、イエス・キリストについて質問です。

イエス・キリストは十字架に架けられ3日目によみがえり、そして、自分が復活したと信じられない弟子や大勢の人達の前に姿を現して、本当に復活したのだと人々に信じさせましたよね。

①その後、復活したイエス・キリストはどうなったのでしょうか?

聖書に、まるで幽霊のように現れて、きちんとした人の形をして弟子と共に食事をとり、またすぅっと消えていったみたいなことが書いてあったと思います。

同じように他の人々の前に姿を現し消えた後、もう誰の前にも姿を現さなくなったのでしょうか。

それとも復活した後、本当の人のように暮らし、死んでいったのでしょうか。

もし復活した後もう一度死んだ訳ではなくもう誰の前にも姿を現さなくなっただけで今も生きておられるというのなら、

②どうして今現在「イエス・キリストが本当に復活したなんて信じられない。今イエス・キリストが姿を現したら信じる。」という人の前に出てこないのでしょうか?

こう言う人はかなりの数いると思います。

聖書にある信じられない人々の前にイエス・キリストが姿を現したように今の人達の前にも姿を現してもいいのではないかと思います。

見て信じるより見ないで信じる方が幸いだとも聖書では言われているし、神様は私たちが自分からキリスト教の神を信じることを期待しているしそれにこそ意味があるというようなことも聞くけれど、やはり私は自分の信じる宗教がなく孤独を感じ自殺してしまう人や、宗教が違うからこそ起こった殺し合いがあると知って、そんな人達の前にくらい、神様が来てくれてもいいのではないかと感じます。

むしろ本当に今も神様は生きておられるということに少しだけ疑問を感じてしまいます。

長くなりましたが、皆さん、特にキリスト教を信じる方はどう考えますか。


【回答】先日 同じような質問があり、その時の回答を張り付けておきます。


最近の質問や回答を」見ていると、ほとんど中国人と言う事が同じようですね。

日本人の性質も中国人と逆転するような気がしますよ(経済だけでなく)。


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2011年 5月

【質問】聖書の示す神の存在を証明できる人はいますか?


【回答】聖書の神の証明はクリスチャンの存在です。

丁度、日本へ送ったレポートが有りましたので、添付しましょう。


先日、中国の天津の教会へ礼拝出席をして驚いた。

約2千人の出席者であったが、全くマナーが良い。

普通なら中国人が数十人も集まると喋ったり、席の取り合いをしたり、携帯電話を掛けたりするものであるが、携帯の呼び出しが一人だけであった。

これは少々強制されても出来る事では無い。

開始時間には全席が満員となった。

日本でさえも礼拝時間を守るのは容易ではない。

普通2、30分はいい加減な国民が、時間をきちんと守っている。

これも驚きである。

他の教会も同じであった。

開始時間を2、3分遅れただけで入り口の戸を開けて呉れない教会も幾つかあった。

明らかに彼らの性質が変わっている。

クリスチャンとは、キリストによってその性質が変わった人を言うのである。

努力でもなく、知識でもなく、只、神の力によって大転換するのである。

救いとは、罪の力からの解放である。

例えば、止めようと幾ら努力しても出来なかったギャンブルや喫煙の性質からの解放である。

私も或る日気が付いたら、煙草を吸っていなかった。

別に吸いたくも無かった。

無理に吸えば出来たであろうが…。

自由になったのである。

その時、気が付いたのであるが、その他にも沢山の悪い性質の奴隷になっていた。

最大は人を憎む事であった。

それが悪い事であると判っていても、止める事が出来なかった。

しかしキリストを信じた瞬間(何秒間の内)その性質は無くなった。

誰でも愛せる事はどんなに幸福であるか、その時、判った。

不幸の原因は、罪の力からの支配であった。

神は実に何千万人の人間の性質を変えてしまった。

私の知る限り、殆どの中国人は純粋にボランティアが出来る国民では無かった。

現在、多くのボランティアが発生し、日本の大地震の為に自発的に援助をして呉れた。

私の近くにも数人の人が私に義捐金を託した。

ここ5年〜10年の間に中国は変わった。

本当は性質が変えられた人が多数 現れた。

でも7〜8割は昔のままの様である。

礼拝の後、大学内のバスに乗ったが、運転手は途中で降りてしまった(乗客を乗せたまま)。

どこかへ行って10分も帰って来なかった。

バスに限らず、お客さんであっても気にする性質が無い様である。

他人の為には二コリともしない、これは従来の中国人の性質の様である。

この様な国民を共産党は80年間も努力をし何千万人を殺す程の圧力をかけたが、内面の性質は何も変わらなかった。

でも国民の一割にも及ぶと言われる、クリスチャンの性質が変わった。

明らかに神の力である。

これだけ多くの人がギャンブルから離れて真面目に働くように様になったら、国が豊かになるのは当然であろう。

もしクリスチャンが3割〜4割になったら、どんな国になるだろうか。

日本を追い越す事は確実のようである。

教会のクリスチャンを見ていると、現在でも中国人の方が性質が良い様に見える…。

海南島のヨハネ


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2012年 9月

【質問】クリスチャンが他者に制裁を加える時について(プロテスタントの方に回答お願いします)。

誰の目にも、相手(一人)に非がある場合です。

我慢に我慢をかさね、堪忍袋の緒が切れたとします(一応)。

そこで、逆襲を開始する際、「神の御業」「神の御手が働いた」とする判断基準は何ですか?

例えば、ここ知恵袋で、目にあまる言動を繰り返す者がいたとします。

そして、「立ち直らせるため」という大義名分の元に、多くの賛同者がその逆襲に加わって、それを「多くの手が働いた」=「正義」だと主張したとします。

しかしその「多くの賛同者」の筈の方々が、実は多重IDや、仲間、身内などだった場合、これはむしろ神様への裏切りにはならないのでしょうか?

(本人たちに悪意はなく、本心から、神様の為になされた行為かもしれませんので、責めるつもりはありません)

「神の怒り」と「私怨」(異なる宗派間の)は、どうのように見分けるものなのでしょうか?

当事者、第三者、の立場での判断基準を教えてください。

意味不明な文章ですみません。

お気が向かれたら、ご回答よろしくお願いいたします。


【回答】78歳 元宣教師です。

クリスチャンが他者に制裁を加えるというのは、神様の許可が出ないでしょう。

せめて悪の制止ならOK かもしれませんが…。

何十年信仰していても、一晩中寝られない程、腹の立つ事もありましたよ。

でも神様は制裁どころか、反論すら止められました。

このカテも4、5年前は創造の神様を侮辱する人が多かったですよ。

その時神は言われました。

「しかし彼らは居なくなるであろう」

2、3ヶ月後、次々とその人たちはカテから姿を消しました。

2、3人は死んだようです。

その人たちが悔い改めるように神様もいろいろ手段を講じてはいる様です。

でも、とことん悪魔に追従して神を憎む人の最後は悲惨ですよ。

出来れば、

「彼らを悪魔の縛りから開放してください。例え片目が潰れても死なせないで下さい」

と祈ってあげて下さい…。

なおクリスチャンは職業や年齢ぐらいの自己紹介はしましょうね…。

海南島のヨハネ


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昔、プロレスで力道山なる者がおった。

その頃、東京の銀座の消防署にもテレビがなく、彼らは力道山のプロレスを見るため消防車で私が勤務する会社(ヤマハ)へよくテレビを借りに来ていた。

その内、彼らと親しくなり、その中の一人が私に言った。

「消防は火事を消すだけが仕事と思っているだろう?しかし我が子を助ける為、火事のなか飛び込む母親を力ずくで止めるのもまた私の仕事である」

と。

なるほど体格は良かった。

これを思い出すと、母なるイエスの絶叫の幻と重なって涙が出てくる。


幻は以下の通り。


巨大な将棋盤があり、右の一番上には穴があいていた。

イエス・キリストは寝そべる形で右腕を穴から出していた。

そして人の手首を掴んでいた。

その人は落ちていく(地獄か?)格好であった。

またその人はしがみついていた何かを離さないので、イエス様は引き上げる事が出来ないで叫んでいた。

「わたしの子供達よ死なないで!!」

と。


その人とは誰なのか。

個人なのか、国なのか、人類なのか。

もしかして私自身なのか。



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集会中、

「どうだ!」

と言わんばかりに、神様に言った。

「聖書には世の終わりは 直ぐだ!とか、遅くなる事はない!とか書いてあるが、どうですか?」

神様は、一つの幻を私に視せて呉れた。


一人の人がいて、この人が非常な決意を持って言った。

「私は、今日この世界を絶対に亡ぼす」

すると、もう一人の人が出て来て言った。

「もう一日だけ待って下さい。何とかしますから」

すると、先の人が言った。

「いや!待てない。今日この世界を絶対に亡ぼす」

この様なやりとりが暫く続き、後の人の熱心さが遂に勝った。

この人の熱心さには全く驚いた。


そこで幻は終わった。

私にはすぐ判った。

先の人が神様で、後の人はイエス様である事が…。

そして農夫の例え話が理解出来た。

実際には、大昔より毎日が終末であった。

その後、二度とこんな愚かな質問はしなかった。



【管理人のコメント】
聖書のたとえ話を以下に貼り付けておきます。


イエスは、このようなたとえを話された。


「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。

そこで、ぶどう園の番人に言った。


『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』

番人は答えて言った。


『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』


(ルカの福音書13章6節〜9節)


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