海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2006年 9月16日


2、3日前に聞いた言葉


何時もの様にベランダで神に、

「なぜ神様は救い出した自分の子に苦難を与えるのですか?」

と聞いていた時、これは聖霊が言われた。

「信仰が本物か偽者か判るため、神は障害を置かれた。」




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苦しみは、神に叫び訴えさせるため 

質問「この世は修行の場?」 



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昔、全地を支配する王様がおられた(王様=神様)。

王様は絶対権を持っていて(日本では幕府)、すべての事がその思うままになった。

王様の口から出る言葉は勅語であって、すなわち法律となった(法律=自然法則)。

王様の近くには大臣達がいて(大臣=天使)、王様の言葉通りに服務していた。

その支配下に国があり(国=此の世)、その国にはお城があって、殿様がその国を支配していた(殿様=自然現象 )。

殿様も権利を持っていたが 、大臣達の命令に背く事は許されなかった。

殿様の下には代官がおり、その下には役人がおって民を支配していた。

ところが、どういう訳か、その民の中に王様の血筋を引く者があった。

王様は彼らを王家の家族に連れ戻したく心を傷めておられた。

もとより王様は絶対者であるので、強引につれ戻す事は簡単であった。

しかし王様は彼らが自ら進んで王様を慕って戻る事を望まれて、命令は出されなかった。

そこで王様は王子を呼んで言った。

「あなたは、しのびの姿で民の中に行き、血筋を引く人々を探し出し、説得するように」


彼は王子であって、大臣達さえも対等に話す事の出来ない程の方であったが、最も貧しい民の姿をしてその国に出かけた。

彼は民に言った。

「あなた方は王家の血筋を引く者であるから、王様が戻って来るように言っておられます。そうすれば王家の家族として迎えられます。今従っている親方とは手を切って、王様の元へ帰りなさい」(親方 = 悪魔)

「そこでは今迄とは比較にならない程の財産や栄誉があるのだから」

民の内の甲が言った。

「私達をからかわないで呉れ。この世界にお城の殿様より偉い人がいるなんて誰が信じる者か」

そして甲は去って行った。(科学万能主義 )

又、民の内の乙が言った。

「王様のおられることは聞いたことがある。しかし私達が王家の血筋であることが、どうして判るのか? 証拠 をだしてくれ」こうして乙もまた去って行った。(進化論)

次に民の内の丙が言った。

「この人は見すぼらしくて、とても王子には見えない。殿様のほうが遥かに立派ではないか」 (常識論)

そこで王子は考えた。

「そうだ大臣達に命じてお城の殿様にも出来ない事をこの民に見せてやろう。そうすれば私が王子である事を信じるようになるであろう」

王子は命令を出して、病と言う名の牢屋から多くの人々を釈放した。

また絶対に帰る事が出来ないとされた、死と言う離れ島からも数人の人を帰させた。

それを見て、王子を信じた人々も多くあった 。

ところで、王家の家族になる為には条件があった(なぜなら王様は非常に聖い方であり、又、正しい方であったので)。

王様の嫌う悪行から離れる事と、又、王様に対して心から謝罪することであった。

多くの人々は悪という名の親方の手下であった。

この親方とは緑を切らないと、王家の家族にはなれなかった。

王子は人々を説得して言った。

「私が王子であることを信じて私について来なさい 。わたしに従う苦労は、今までの苦労にくらべてとても小さいものであるから」

しかし、ある人々はこう言って王子の説得を軽ろんじた。

「彼は魔法使いであって、王子ではあるまい」

又、他の人は言った。

「私は悪と言う親方が好きだ。彼の仕事をする時には、ぞくぞくする楽しみがある」

又、他の人は言った。

「私が何で王様に謝罪しなければならないのか?私は王様と何の関係があるのか?」

こう言って、多くの人々が去って行った。

しかし、心の奥で王様を慕う数人の人々があった。

彼等は王様の血筋の者であったので、本能的に王家を慕っていた。

丁度、人が生まれ故郷を慕うように。

こうして、結果的には王様の血筋の者だけが王子を信じ、王家の家族になる決心をした。

彼等を選び出す為の王様の方法は、実に賢明であった。

ここに非常に利口な人がいた。

彼は王家の血筋ではないのに、王子を信じた。

そして王家の家族になる事を願い出た。

王子は彼の熱心を見て許可を与えた。

王様の他、王子だけが許可する権能を持っていた。

王子を信じ、王家に戻る事を決心した人々には、王家の家族にふさわしい品性を身につけるため、現在の状態に留まったままで特別の教育を受ける事になった。

その内容は、次の通りである。

1.王宮から護衛の守と言う強力な武士が一人一人に派遣された。その人は特別な能力を持っており、いつも忍びの術で人の目には見えない姿をしており、また教育係でもあった。

2.彼等の生活を守るため、マナという給料が王宮から支給される事になった。これは蓄える事は出来ないが、必要な時、必要なだけ必ず支給された。

3.給料の他に「祝福」と言う名の賞与が時に応じ与えられた。又、愛する術、賛美の術、感謝の術と言う特別の能力も与えられた。(能力= 賜物)

これはお城の殿様でさえ、決して持つ事の出来ない恩恵であった。

しかし、これ等与えられた能力は、完成されたものでは無く、例えば雛鳥の羽根のような物であり、使い、訓練する事によって自分自身の能力となり、強くなり、役に立つものとなるのである。

このように、決心した人々には王宮から養育費が出るようになったので、自分や家族の為に働く必要は無くなった。

又、欲望と言う名の親方とも別れたので、欲の為に労する事も無くなった。

今度は自分の能力を生かして、王様の喜ぶ事や、王家の家族に相応しい品性を身につける事等の為に働く事になった。

決心した人々は、誰でも例外なく王家の家族として迎えられ、また養育費は支給された。

しかし王様は、彼等を有能な優れた家族として迎える為に、従来の状態のままで教育し、訓練される事にされた。

なぜなら、王宮では出来ない訓練が、その国では出来たからである。

王宮には貧しい者もおらず、悲しい人もなく、涙もなく、助けを必要としている人もいないからである。

これらの貧しい人達を助ける事によって、愛する術の達人になる事が出来た。

王様は愛する術の名人であって、王様に近い人程、此の術の達人であった。

ところで、王子を信じない多くの人々が、口々にあざ笑って言った。

「何が王様の血筋だ。何が王子だ。王家の家族になったと言っても何も変わっていないではないか。今までと同じ様に働いているではないか」

王子を信じない人々は、護衛の守の存在を知る事が出来ず、必要が満たされる事を恩恵と認識する事が出来ず、又祝福にも与かる事が無かったからである。

訓練の基本は「愛する術」の習得であった。

第一課程は、王様を愛し、正しい事を愛し、聖い物を愛する事であった。

これは、そんなに難しい事では無かった。

第二課程は、隣人を愛する事であった。

隣人には色々な人がおり、従来は仲の良くなかった人もいたが、愛する事に努力した決心者には護衛の守も共に働き、習得する事ができた。

第三課程は、迫害する人を愛する事であった。

害を加え、時には生命を狙う迫害者を愛する事は不可能な事の様に思われたが、王子が手本を示され、護衛の守は強力な助けを与えた。

迫害する者の為に自分の生命を捨てる覚悟ができた者には、愛する術の習得は終了であった。

訓練は通常、個人方式で行われた。

これは王宮に住む為に必要な能力や品性を身に付ける為であって、何時でも、どんな状况でも正しく使える様に熟達する必要があった。

王子を信じ、王様の訓練を受けている人々に不思議が起こった。

以前には色々な問題は嫌いな事であり、大低の人は何事も無いことを願っていた。

しかし訓練を受けている者にとって受けた能力 (愛する術、賛美の術、感謝の術)を出来るだけ使って問題を解決し勝利して行く事は、そんなに苦痛なことではなく、時によっては楽しい事へと変わったのである。

むしろ、能力に比べて簡単な問題の方が物足りないと感じて来たのである。

この様にして、王子を信じ王家の家族になる決心をした人々は、色々な術を習得し、王家の家族としてふさわしい品性に変えられていった。

多くの人々はこれを見て、有る者は感心し、有る者はあざ笑った。

例えば、欲望と言う名の親方に仕えている者にとって、他人に物を与えたり、他人のために労する等の事は、全く考えられない馬鹿馬鹿しい事であって、「与える事は、受ける事よりも幸いである」と言う言葉は、全く理解できなかった。

王子を信じた人々が不思議な能力を持ち、その性質が変えられ、生活態度が変わってきたのを見て、多くの人々はつぶやき始めた。

「この人々は、付き合いの悪い連中だ。全く私達の社会を乱す者だ」

又、「先祖代々のしきたりを守らないこの連中の為に、私達が崇りを受けたらどうするのだ」

賛美の術、感謝の術を訓練し、術を習得して行くに従い、それらの人々は空を見て王をほめ称え、山や川や、すべての物を見ても王様をほめ称えた。

又、生きていること、隣人の事、すべての事に感謝出来る様になった。

彼らはいつも喜んでおり、賛美 の歌を唄っておった。

そして王宮にすむ王家の家族の様になっていった。

これを見て、王子を信じない多くの人々が妬みを起こした。

彼らの性質は自分をいつも他人と比べて他人の不幸を願い、幸せな人に対しては全く我慢が出来なかった。

彼らはついに行動をおこし、王子を信じた人々に対して迫害をし始めた。

しかし、これらの迫害は、王子を信じた人々にとっては、愛する術、賛美の術、感謝の術を習得する高度な訓練の場であって、これらの術の達人のなるためには必要な事であった。

正確には、迫害する人々は訓練の練習台になったのである。

しかし迫害する人々の内、一人として、この事を認識する者はいなかった。

多くの迫害があり、王子を信じ訓練を積んできた人々は、よく迫害に耐え、術の達人に近づいて来た。

達人になるには、訓練の年数はあまり関係がなかった。

多くの後の人が先になり、先の人が後になったからである。

王子を信じ、王家の家族になる決心をした人々が訓練を積み、達人の域に達した時、(王子が彼らを王宮に連れ帰る前に)王子はその正体をその国の人々に現された。

王子は今まで着ていた貧しい服を脱ぎ捨て、王宮で着ておられた栄光の服を着られた。

この服はそれ自体、光を放ち、この国では誰一人、見た者はいなかった。

王子を信じた人々は、これを見て喜んだ。

王子を信じない人々は、まともに見る事は出来なかった。

光を見る事が恐ろしかったのである。

王子は先ず殿様を呼ばれた。

殿様は急ぎ早、駕籠(かご)で王子の元に駆け付けたが、王子の姿が見えた時、駕籠から飛び下り、王子の足元にひれ伏した。

彼は震えながら王子に言った。

「あなたが此の国に来られている事は全く知りませんでした」

殿様は下役達から今までの経過を聞き、多くの民が王子をないがしろにし、王子を信じた人々を迫害した事も聞いた。

殿様はこれを聞いた仰天し、又、民に対して激怒して王子に言った。

「この国の民は王様の存在すら知りませんでした。あなたに悪を行ったすべての民を皆殺しにしますので、どうぞお許しください」

又、殿様は王子を信じた人々に向かって礼を尽くして言った。

「あなた方は、もはや私の民ではなく、王家の家族になられました。私はあなた方に仕える者となりました。私の民が今迄に悪を行ったことをお許しください」(自然界は神の国の配下に入る)

この光景を見た代官、役人も又ふるえた。

殿様がひれ伏し、拝する様な事を見た事も聞いた事も無かったからである。(終末の時、自然界は過ぎ去る)

王子が栄光の衣を着られた時、悪の親方は飛んで逃げてしまった。

栄光の光の中では、息をする事も出来ないからである。

王子を信じなかった多くの民は混乱した。

特に、王子と王子を信じた人々に対し迫害し悪を行った人々は、狂乱状態となった。

ある人達は自殺しようとしたが、それすら出来なかった。

殿様が許さなかったのである。

ある人達は他国へ逃げようとしたが、逃げる事も出来なかった。

今まで頼りにしていた悪の親方は、いなくなったからである。

ある人達は、王子を信じた人々の足元にひれ伏して、泣き叫んで命乞いをした。

王子を信じた人々は彼らを許してやった。

皆、愛する術の達人になっていたので、仕返しをするような事はなかった。

しかし彼らは王子を恐れ、王子を信じた人々を恐れ、殿様を恐れて、遠く暗い所へ逃げて行った。

そこでは食物もなく、只、永遠の餓死が待っているだけであった。

民の内、多くの者が王家の家族になる事を願い出たが、もはや許されなかった。

彼らは嘆きながら言った。

「王子の言われた事は皆本当であった。私達は王子を見たのに信じなかった。なんと愚かな事をした事か」

民の内、王家の血筋でも無いのに王家の家族にして貰った人々は、最大の恩恵に浴した。

彼らは喜びに満たされて言った。

「私達は資格が無かったのに、王家の家族に加えられました。只、王子を信じただけですのに」

王宮では大歓声が起こった。

王の家族が増えるからである。

その時、王子は迫害によく耐えた人々、一人一人を抱きかかえ、その顔から涙を拭われた。

王子がその様にされる事は王宮においても異例の事で、大臣すら羨ましいと思う事柄であった。

王子は、まるで自分の花嫁を扱うように彼らを扱い、王様のおられる王宮へ連れ帰った。

そこでは、もはや苦しみも無く悲しみも無く、病も無く、死すら無かった。

彼らは此の国に住んで居たとき会得した愛する術、賛美の術、感謝の術を使って愛し、賛美し、感謝する喜びの日々を送った。

永遠に…。


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【質問】あなたは、どんなふうに臨終を迎えたいですか。


【回答】私は40歳の頃から、「是非、こんな死に方をしたい」との希望がありました。

軽飛行機を一人で乗って、離陸の時、空へ吸い込まれる感じになる事があります。

滑走路でエンジンをフルパワーにして、凄い加速で走り出し、童心に返って、

「お父さん、今からそちらへ帰っていくよ!」

と叫びながら、どんどんスピードが出てくると、機体は飛び上がろうとするが、操縦桿(そうじゅうかん)はグッと押さえて、走り続ける。

あるところで急に緩めると、お尻にぐっと重みがかかり、機体は急上昇をする。

地上の家などはドンドン小さくなって来る。

そして前面に見えていた雲は、どんどん近くなる。

そして地上はだんだんと霞んで見える。

最後には見えなくなる。

そして周りは雲と青空だけになる。

自分は一人で空を泳いでいる感じになる。

この快感は経験者しか判らないでしょうが…。

死ぬ時はこの様に死にたいですね。

海南島のヨハネ


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2000年 12月

ある日、大阪の堺市内で車を運転していた。

直前を、やくざらしき乗用車が走っていた。

5分位ついて走っていて、その車が右折した。

私も同方向の目的地であったので、ついて右折した。

もう一度曲がった様にも思うが、その車は狭い道へ急に左折した。

私も何を思ったか、つられて左折した処、その車は猛スピ-ドで走り去った。

後で気が付いたのであるが、私に後をつけられていると勘違いしたらしい。

普通の人であれば、10分位後をつけられても気にしないと思うが、やくざは用心深いのか、臆病なのか。

もう一つ。

近所の温泉の事であるが、いつもの様に夕方入りに行くと、非常に空いていて、やくざ風の人達だけ10人位おった。

私が風呂に入っていると、誰かが挨拶に来た。

「どちらの組の方でしょうか」と。

やくざ以外の人は、私一人だけだったらしい。

私がやくざに見えたのか。


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【質問】海南島のヨハネ様。

質問です。

はじめまして。m(_ _)m

(こういった質問を貴殿にしてもいいのか…)

一つ質問なのですが、どうして瞑想をした後眠りにつくと、霊感力が大きめに働くのでしょうか?

以前住んでいた家は、大阪の厄除け観音寺の街道筋に住んでいた影響もあるんでしょう。

また、精神レベルも低かったころです。

心の整理にと瞑想をしていたのですが、それをした晩は怖い思いをしました。

いい勉強になりましたが、不思議です。

瞑想をしない晩は、なんとか寝れていました。

どうぞご協力のほどよろしくお願いします。


【回答】海南島のヨハネです。

ご質問有難うございます。

瞑想の件ですが、私は自分が経験した事しか知りませんので、他の人の経験が間違っているとは云いませんので、それはそれで尊重して下さい。

まず瞑想ですが、私は心の戸、又は窓を開く事であると思っています(霊の世界に対し)。

聖書では心の戸を開くと書いてあります。

感覚的に言えば、眼の玉を上に上げる様な感じで、何かに注意を向ける、耳を澄ませる。

その為には、静かな環境で雑念を振り払う(質問者さんには、多分これは経験済みだと思いますが)。

瞑想のあと眠れ無かったり、又、悪い感じになったりするのは、瞑想の相手が悪いからだと思います。

心の戸を開き、霊の世界が見えて来ますと、神様から狐まで、色々な霊を見る事が出来ます。

相手の霊によっては、悪くなる場合も出て来ます。

だからこれを禁止している教会もあるでしょう。

端的な例では、先祖や迷える霊を利用して金儲けをし欲望を満たそうとする、いわゆるご利益宗教です(新興宗教で金を巻き上げられた…当然です。信者も又、金儲けに一枚噛んでいるのですから。欲の為、悪徳商法に入る人と同じです)。

簡単な例で説明しますと、瞑想する人は、トランシーバーを持っていると思って下さい。

スイッチを入れます。

周波数を合わせます(私は天地創造の神以外は薦めません)。

瞑想は受信状態です。

祈りは送信状態です。

クリスチャンも送信専門の人が多いようです。

創造の神様からの信号は、罪と云う妨害電波で、ぶつぶつ切れます。

私も度々経験することですが…。

もし罪が無く、神様とスムースに交流出来る様になれば、信号だけでなく魂の栄養分も平安も喜びも与えられますよ。

なお、奇蹟として経験しようとすると、それは悪魔の霊がやって来ます。

私は過去何十年間に渡って、何百回と神様の声を聞き、何千回も幻を視ましたが、故意的にそれをやろうとすると、いつでも悪魔がやって来ます。

神にしるしを求めてはいけない…聖書にある通りです。

霊の世界は深いですから、とても書ききれませんが、又聞いて下さい。

地域に拠って霊の状態は色々あるようですが、その霊よりも強い霊を持っていれば、地域の影響は受けないようです。

眠る時、心を神、又はイエスに預けるようにして眠れば、幼児が母親に抱かれる様な感じで眠れますよ。

海南島のヨハネ


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【質問】神仏は人間との取り引きに応じるのでしょうか?


【回答】神と人間の取引は、人間とパソコンとの取引のようなものでしょうか…あなたならやりますか…。

私が救われて初めての祈りは、

「神様の為に何々をしますので、何々を与えて下さい」

でした。

その時、神様は答えられました。

「私はあなたと取引はしない」

その後は、そのような御利益的な祈りはやっていません。

神との繋がりは愛情です。

まず取引はしないでしょう。

海南島のヨハネ


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2001年 3月28日

私は、すべての仕事や計画、望みを捨ててでも、私の母・イエスの付き添いをしなければならない。

彼は死にいく子供達の為に絶叫し、発狂しそうになっている。

私は付き添って、彼が再度死んで行くのを止めなければならない。

でないと、彼は死んでいく子供達の後を追って、地獄まで行こうとしている。

神業によらなければ、人々は世に勝つ事もないし、又、僅かな事しか出来ない。


○ 神に対し従順でなければ、神業は起きない。

○ 人間は殆ど、神に対し従順になり得ない。

○ しかし、神は不可能を可能とされる。不従順な人間を変える事が出来る。

○ そして、神は世に勝つ事が出来る。大いなる事をする事が出来る。



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【質問】エホバの証人で法定速度を守っている人おられますか?

私は守れません。

あおられるので無理です。

本当は守りたいのですが…。

守っている方、コツを教えてください。


【回答】これは私に経験がありますので、回答させて下さい。

私はクリスチャンですが、疑問に思う事は随分と実験しました。

交通規則を守るのもその一つです。

「スピード制限は守るべきだ」と考え、実行してみたところ、高速道路では大渋滞になりました。

すべての車は5~10キロオーバーで走っていたので、私の前はガラガラで後ろは数キロメーターの渋滞になりました。

なるべく一般道路を走るようにしていたのですが、一週間くらいで音をあげ、神様に聞きました。

「堂々と出来る事は律法でもなく、罪でもない」

との返事で、

「罪とは、やましい心で行う事」

だと判り、他の車に迷惑が掛からないスピードで走る事にしました。

5キロオーバーであっても、パトカーが隣にいようとも…。

これは詳しくは証し集に載っていたのですが、今見つかりません。

海南島のヨハネ


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【質問】死ぬほどの苦しみから逃れ、楽になりたいです。


【回答】深刻な苦しみのようですので、回答させて下さい。

質問者さんは私の若い時と同じ苦しみのようです。

私も若い頃、人生論の研究にはまりこみ、科学や人知に失望し、結論は自殺でした。

決行の数日前、全く考えていなかったイエス・キリストが助けて呉れました。

死にたくない気持ちもあったので、

(誰でも良いから助けて下さい…!)

と、一晩中泣きました。

後で判ったのですが、この泣き声を神様は聞いていました。

いや待っていたのです…。

誰でも苦しみが大きくなると、理屈や信念を全てかなぐり捨てて、「助けて!」と叫びますよ。

一晩泣き明かした経験の無い人は、これを弱い人だと言いますが、これは素人の空想です。

人間すべて弱いものです。

強そうな社長でも、夜一人で泣き崩れていますよ。

あなたも天地創造の神によって創られた人間です。

苦しみの中で神に叫んで下さい。

私と同じく不思議が起こって、助けられますよ。

神には助ける思いがあり、又、力もあります。

私は現在(2009年)、神様との会話集を書いていますが、霊感が無ければ出来ない仕事です。

海南島のヨハネ


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2008年 11月23日

私も経験が有るが、一つの物事にこだわると、それに加勢する存在、霊がやって来る。

その霊に身を委ねると、こだわりが加速する。

増大する。

人の常態を越える。

悪の霊につながれている状態である。

この状態では人は霊の奴隷である。

悪事に対して自由を持っていない。

自由のない者に責任を言っても無駄である。

奴隷であるから。

その人の罪は、悪の霊に身を委ねた事にある。

しかし助かる方法はある。

悪の霊よりも、もっと強い唯一神に助けを叫べば良い。

しかし大抵の場合、自分が奴隷であることに気が付いていない。

すべてを他の責任に転嫁する。


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