2019.4.7(2)
【十字の光を見る賜物】
ぞくぞくと賜物を受けていた頃、黙想していて眼の中を光が左から右、上から下へ走った。
神の確認である。
これは心を神に向ける時、一日に百回でも起こった。
初めは感激したが、そのうち慣れっこになり、遊びになってしまった。
そのうち出なくなった。
カトリックの十字は意味がある様である。
賜物を軽視や無視をしたりすると失ってしまう。
再度受けるのは無理のようだ。
【聖霊のノックの賜物】
私にはノックの賜物が今でもある。
一番多いのはTVのスイッチを入れた時である。
たいてい一通りチャンネルを変えてみて、良い物がなければスイッチを切る。
これは、
「無駄なものは見るな」
という注意だけの様である。
【左肩の天使】
ある春、ハワイへ行きたくなった。
散歩でホノルルの公園に通っていたら何日目かに誰かが後をついて来た。
何度も見たが誰もいなかった。
最後、左の肩に入った。
私は「左肩の天使」との名を付けた。
これは帰国後も、そのあと何十年も左肩をノックした(時に応じ)。
【神との会話の賜物】
これは救われた時から持っていた。
霊的な感受性は小学生の頃からあった。
海南島で急によみがえった。
その頃の会話は何百である。
【聖霊で記録する】
聖書は聖霊で書かれているというが、聖霊に動かされて書く人はみんな同じと思っている。
【聖霊の異言を語る賜物】
これは経験者が日本だけでも何万人もいるかも…。
ペンテコステではポピュラーである。
【賛美の賜物】
小さい教会でも2~3人はいるようである。
熱心な人とは段違いである。
私にはない。
自然を見て心から神の業をほめたたえ驚いていると、空や海が宝石に見える事があった。
雲や雪も同じである。
時々であるが、感動してずいぶん旅行した。
これは感覚であるので説明できない。
私は歩きながらいつも祈っている。
だから食前等、形式的な祈りはしない。
周りの人が変な顔をするのでマスクをしていた。
賛美の時は手を打ちながら。
車の運転中は、音は少々かまわないので…良かった。
心を常に神に向けていても、神の語りかけは1万回の質問に1回もないでもそれが普通である。
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→聖霊の手
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