神の声と諸々の霊の声の違い | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年  2月12日

先日、香港に行った帰りひどい目にあった。

飛行機が2時間も遅れたのである。

しかし、これも私にとって一つの教訓かなと思っている。

霊性が良くなると神の声も聞こえるが、悪魔の声も聞こえる。

そして、その中間も聞こえる。

一寸した疑問が起きると、直ぐ教えようとする霊がある。

例えば、今何時かな、ここは何処かな、何分たてばバスが来るとか、しんせんのホテルを出発してから何回かその霊の声を聞いていた。

聞いた通りにバスが来て何回かその通りであった。

しかし飛行機は時間通りに出ると思っていたので、何の疑問も持たなかった。

この霊たちは、先に死んだ近親者くさい。

他の宗教は先祖の霊と言うが成る程と思う。

しかし明らかに神からではない。

この霊は多少の先見性があるので、占いや、まじない、霊能等は、多分、この霊によるものと思う。

この霊の言うことは小さいことに限られているので、神は許されているのだと思う。

しかし、聞く方は大きい事も聞こうとする。

これは神の嫌う事である。

こういう使い方は神に禁じられている。

未来について聞きたい事が山ほどある私にとって、非常な誘惑ではある。

私は医者から癌の疑いが濃厚であると言われているが、現在自覚症状が少ないので、全然気にしない。

時に思い出すくらいである。

苦しくなると、これら諸々の霊に頼るかどうか神は見ておられる。


神に聞くこと

最近、色々なことを神に聞いているが、殆ど返事がない。

昔からそうであるが、自分の知恵や考えで聞いても返事は少ない。

大抵、必要にせまられて叫びと共に訴えている時に返事がある。

例えば同じ病気でも苦痛が無くなると、途端に聞けなくなる。

しかし神様のほうから聞かせようとしている事がある。

大抵、大きい事である。

自分に関する事は聞きたい事もあるが、聞きたくない事もある。

旅行に出発する朝は、祈りの時もまともに神の方を向いていない。

旅行を止められると困るので、なるべく聞かないことにしている。

神様が語られる時、身構える時がある。

面倒そうな事があると途端に耳をふさぐ。

逃げてしまう。

私は永年の経験から神様から逃げる名人であると思っている。

まず聞こえなかった事にする。

次に、ことさら違った意味に解釈する。

神様はよくご存知であるから多くの場合、質問の形で返事をされる。

例えば、

「子よ、何々で良いではないか」

私が、

「いや良くない」

と言っても、大して罪にはならない。

しかし神様は悲しまれる。

幻もそうであるが、見ようとしても見られない。

無理に見ようとすると大抵、悪魔がやって来る。



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