ー彼女にとって〝美貌〟のみが〝お守り〟であり〝万能のアイテム〟だったのだ。
カスティリョーネ伯爵夫人ヴィルジニア・オルドーニはフランス皇帝ナポレオン3世の愛妾としてとても有名な女性。
サルデーニャ王国の宰相カヴールが送り込んだスパイであり、歴史的な1861年のイタリア統一に〝影の影響力〟があったとされています。
1837年3月22日、イタリアにオルドイーニ侯爵の娘として生まれました



ヴィルジニアの美貌は9歳の時からすでに評判で女として男性を惹きつけたと言われています

ヴィルジニアは16歳の時カスティリョーネ伯爵と結婚し、男の子を産みました。
ヴィルジニアの美しさは『神々しい美』とまでうたわれましたが、特別に美しく生まれた女性にありがちな傲慢さがあり、自分で「自分は世界一の美女」と明言するナルシストでした。
美しく成長したヴィルジニアに目をつけた従兄のカヴールはヴィルジニアにフランス皇帝ナポレオン3世を誘惑して欲しいと頼まれます。
政治好きだったヴィルジニアはこれを承知。
1855年18歳のヴィルジニアは無一文状態でパリへ向かいました。
1856〜1857年ころからマチルド皇女の集いに招かれ、麗しいカスティリョーネ伯爵夫人の出現はたちまちパリで大変な評判になりました





ヴィルジニアが宮廷にやってくるたびその美しさ、神々しさ、目もくらむ豪華なドレスが話題になりました

ヴィルジニアは〝ハートの女王(奇しくもエキセントリックで癇癪持ちな点が共通している)と呼ばれていました。
ヴィルジニアはナポレオン3世をすぐに籠絡し、フランス皇帝の愛妾におさまることに成功。
ヴィルジニアはとても大きなバストをしていましたが、コルセットをしていませんでした

ナポレオン3世はヴィルジニアの〝実に驚くべき巨大なバスト〟に夢中になったと言われています

確かに写真をみると胸の豊かな方です。。

ナポレオン3世とのことがスキャンダルになるとヴィルジニアの夫は別居を要求し、離婚に等しい状況に。
別れ際に夫は、『きみの最大の友である鏡はいつか最大の敵になるだろう』と予言し、ヴィルジニアのもとを去って行きました。
そしてそれは後に残酷なまでに現実となります。
20歳のヴィルジニアは無敵でした。
宮廷で自分勝手に振る舞い、宮廷の人々から顰蹙をかっていました

しかしヴィルジニアの美しさだけは敵対する人々も認めていました

ヴィルジニアを嫌っていたメッテルニヒ侯爵夫人さえ、
〝顔は優しい卵型で瞳は深緑のビロード、小さな鼻は完璧にバランスがとれており、歯は真珠のよう〟
と絶賛しました



しかしヴィルジニアは控えめに言っても賢い女性ではなかった



自分の写真を撮りまくり(今ならインスタで過剰な自撮り
)、その写真に、〝生まれにおいて私は最上流階級の人々にひけをとらない。その人たちを凌駕している。私は自分の考えでその人々たちを評価する〟

と付け加えて発表してしまいます
本当にナルシストな女性でした



さすかのナポレオン3世も呆れかえり、1857年たったの1年間のお付き合いでふたりは別れてしまいます。
「わたくしの人生は始まったばかりなのに、わたくしの天下は終わってしまった!」
と言っていました。
ナポレオン3世はヴィルジニアのこと振り返って、
『ヴィルジニアは確かに美しい。しかし死ぬほど退屈な女だ』
と言い放った。
捨てられたヴィルジニアは一旦イタリアへ戻りますが、4年後、イタリア統一がなされるとパリへと舞い戻ってきました



パリでヴィルジニアは富と権力を持つ男たちと次々と関係を持ちました。これらの関係によりヴィルジニアはかなりの資産を手にしました。
さらに政治にも口をはさみ、実際より大きな権力があるように見せていました。
1870年ナポレオン3世が失脚するとヴィルジニアは新しい権力者にすり寄ったが効果はなかった

さらにヴィルジニアは歯を一本折った。
まもなく重いヘアアイロンを落として足の指を折り、その指を切断するはめになりました。
かつて完璧を誇った美貌に最初の亀裂が入った。
ヴィルジニアはだんだんとエキセントリックになっていき、40歳の誕生日には住居の壁を黒一色に塗りつぶし、鏡はすべて裏返した。
自身が美と若さを失ったことを人に知られたくなかったのである。
かつての夫の予言が当たったのだ。
ヴィルジニアは同性を毛嫌いし、古い男性の友人としか会わなくなっていきました。
そして時おり全盛期のもうカビ臭いドレスを持ち出しては、
「わたくしがイタリアを作ったのよ!」と口走るようになっていった。
さらにヴィルジニアの大きなバストーかつて皇帝を魅了した大きさ故に垂れ下がってきた

古い男性たちとも疎遠になるとヴィルジニアは人間が嫌いになった、と手紙に書き、多くの時間を犬と過ごすようにはなっていった。
そしてヴィルジニアは知人に出くわすのを避けるように夜にならないと外出しなくなっていった。
真っ黒いロングドレスと分厚いヴェールを被った姿で。
かつて第二帝政期のパリを魅了し、フランス皇帝の愛妾だったカスティリョーネ伯爵夫人はあたまや闇の亡霊のようだった。
完全に狂気に囚われたヴィルジニアは召使いに屋敷の掃除を禁止した



ネズミとゴミに埋もれた真っ黒な部屋に座り、失われた美貌と過去の栄光にひたすら思いを馳せた。
ヴィルジニアは1899年11月28日、62歳で死亡した。遺体は腐乱し、ネズミに食い荒らされていました。
ヴィルジニアの伝説と美しさに熱狂した耽美派のロベール・モンテスキューは13年かけてヴィルジニアの伝記を書き上げた。ヴィルジニアの433枚にのぼる蒐集写真はアメリカ、NYのメトロポリタン美術館に所蔵されることになりました。