石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -35ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 7/244時間半にわたって放映していたこの歌番組。


 たまたまオンタイムでダラダラ「ながら見」をしていた。いつもは録画で見たいところだけつまみ食いしていたもので、ここ何年もちゃんとラインナップを追いかけていなかった。

 

で、思った。いつの間に歌謡番組ってこんな風になったのだろう?

 

前は(一体どのくらい前のことか……感覚がない)、人気ドラマ主題歌とかCMとか、流行ったポップスが主流じゃなかったっけ?

 

今回(最近?)、ものすごくミュージカル比率が高かったように思う。舞台慣れしているファンの方には、どれも馴染みのある有名な歌ばかり、の模様だった。


でも、それらはテレビでチャンネルを合わせたら観られるわけじゃなく、どこかの舞台へ出かけていってお金を払ってしかも期間限定。ものぐさな私には敷居が高く、だからこういう企画はとても楽しかった。

 

中でも。何を隠そう、ごく最近宝塚にハマった身としては、雪組の皆さんの出演が、泣き叫ばんばかりに嬉しかった。

 

DA PUMPと一緒に「U.S.A」を踊るジェンヌさん達のきらびやかなこと。驚異的な足の長さ。キレも色気も優美さもあって。彩風咲奈さんの最後の決めの流し目なんか反則的なカッコ良さ……危うく卒倒するところでしたよ。


大勢のジェンヌさんが集まったり捌けたりするときの、その小走りの位置取りや後を託す手つきがまた好きなのだけれど、それも目一杯堪能できたし。

 

 そして、「エリザベート」の「闇が広がる」を披露してくれたのは、雪組トップの望海風斗さんとミュージカル俳優の山崎育三郎さん。

 

 実は私、ルドルフ皇太子が闇の帝王トートに煽られ追い詰められていくこのシーンを、最近繰り返し繰り返し観たばかりだった。私が堕ちたジェンヌさんがこのお役の経験者で、それを観たくてちょうど知り合いからDVDを借りていたところで。

 

なので、ものすごく見入ってしまった。望海山崎のお二人は、この演目のルキーニという別のお役の経験者(山崎さんは現在公演中)だけど、ここでは底冷えのするトートと、純で無垢で今にも崩れそうなルドルフ。演じる方によって同じ役でもだいぶ違うと感じた。それがまた面白くて、望海トートも観てみたい、と熱望してしまったのだった。

 

というわけで、ちょっと前までは出かけなければ観られないものはあまり手が出なかった私であるが、今回のFNS歌謡祭を見て、「天使にラブソングを」もいいなあ、「レ・ミゼラブル」も観てみたいなあ、もちろん宝塚は最優先で出来れば全組を、とか手に負えない欲望が次々沸き立ってしまったのである。正直そういう方、多いのではないか、もしくは最近のFNS歌謡祭はそれが目的の番組なのか? と、うがち見。

 

ちなみに了見の狭い私は、こんなにテレビで大宣伝されたら、ただでさえチケット難なのに、とヤキモキしてしまったのだが、そこはやっぱり初心者。ツイッターなどを見る限り、長年のミュージカルファン&宝塚ファンの方々は、たくさんの人が興味を持つことを喜んでいた。

……真のファンとなるには、まだまだ修行が足りません。

 

(了)

 

 

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 応募したコンクールの一次通過者が発表になっていた。見事に落ちていた。

 

 落選の経験は、たぶんギネス並みに多い。そんじょそこらの方々と比べても、おそらく負けることはない。だから、そのショックにはもう慣れっこだ。

 

 ……なんてことはない。毎度毎度、いつものことなんだから長年経験してんだからいい加減慣れろよ、と思う。なのにやっぱりかなり落ち込むのである。傷つくのである。


 才能ないんだ、文章下手なんだ、世の中に訴えるものが足りないんだ。とか、どこどこまでも沈んでいく。物語を作るには結構な時間と体力がかかり、しかも思いを込めれば込めるほど衰弱する。それが読み手の人には全く響かなかった(この場合は一次の審査員)。それをつきつけられるのは、相当打ちのめされるのだ。

 

 「落ちる」というのはつらい。遠い昔の、入試に始まって部活のレギュラーとか、バイトの面接、就活もそうだ。

 

 就活。私の場合、新卒で就職した会社を辞めた後、いい年代になってパートで働こうとしていたときに、そのつらさを味わった。10とか20とか履歴書を郵送したのに、ほぼ全滅。「残念ながらご縁がうんぬん」のお祈り文書が返ってくるのはまだいい。履歴書だけが無言で送り返されたり、ひどいところは全く音沙汰がなかった。

 

 年齢だよね。相性だよね。人間性を否定されたわけじゃないよね。そう言い聞かせつつも、落ち込むのを止められなかった。


 当時は就職氷河期と言われ、若者が新卒で就職できずに鬱になるのが社会現象になっていたし、定年退職した高齢者の再就職も苦戦を強いられた頃。

 否定されることが続くのはものすごくこたえるものである。その気持ちのいくばくかは理解できると思った。

 

 最近ではチケット争奪戦。

 ぴあに抽選を申し込んだものの落選続きで、これは才能とか相性とか人間性とか全く関係ないのだが、やはり落ち込む。元々くじ運が悪いので、そろそろ良くなってくれてもいいんじゃないかと一縷の望みを抱くのだが、やっぱり三つ子の魂百までなのか……。

 

 こういうことから立ち直るにはどうするればいいのか。

 

 そのチケット。抽選に外れた後、気を取り直して先着順の分にトライした。それでゲット成功! 払込手続きを経て申込み画面に戻ってみれば、売り切れ。ものの5分のことだった。それで機嫌が直っている。

 

 パートのお仕事にしても、結局希望に叶わない部分もあったが雇ってくれるところに当たり、かなりの長寿勤務になっている。

 

 シナリオ、小説コンクールにしてもそう。落選から立ち直る一番の薬は当たること。しんどくても続ければそういうこともある。だからいまだ応募をやめないですんでいるのかもしれない、と思う。

 

(了)

 

 

 

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 ドラマシナリオは、とにかく主人公を困らせるよう困らせるように書いていく。それが、面白くするための基本中の基本だと、シナリオ書きは初級で教わると思う。

 

そういう初心に戻って、不幸のてんこ盛りの状況を書いている。それは別に難しいことじゃない。殺すの殺されるの、ヒーローだの悪の帝王だの、そんなレベルまでいかなくても、身の回りにいくらだって転がっている。誰しも経験するような、共感の沸く不幸な出来事。そういうものを並べているうち、……ああ、交通受難の年というのがあったなあ、と思い出した。

 

何年か前のこと。三が日の最終日に東海道新幹線で出かけようとしていた。帰省ではなく、単にプチ旅をしたくなっただけ。下りの早朝ならラッシュにも巻き込まれないだろうと踏んだのだった。読みは当たり、切符は取れた。

 

ところが、その予約していた新幹線が止まった。悪天候とか車両点検とかではなく、線路すぐ横の建物の火事で出発できなくなってしまったのだった。

私の乗る電車の一つ前はもうそこを通り過ぎ、普通に動いていたというのに、その後は待てども待てども一台も発車せず。

 

東京駅は、飲食店にも地べたにも人が溢れ、大混乱となった。動かなかった電車の最初だった私と連れは、早々に飲食店を確保していたが、飲むしかやることがないのでお酒をかっくらい、「お客さんご機嫌ですね」とか店主に言われたが、ご機嫌であるはずもない。大混雑なのでトイレだって常に行列している状態だったのだ。何とか出発できたのは夕方。くたびれ果てて、こんなこと、もう二度と巻き込まれたくないわ、と思った。

 

が、それから2ヶ月も経っていなかった真冬。飛行機に乗るはずだった。蒲田に一泊して羽田の朝イチの便。

が、宿に入った直後。その機が欠航するとの一報が入った。雪がしんしんと降り始め、がんがん横殴りになってきて、嫌な予感はしていた。結局蒲田の一泊だけで帰宅し、トランクに詰めた荷物はすぐに解くことになった。こんなこと、一年に二度起これば十分だと怒った。

 

ところが二度あることは三度ある。その年は雪の当たり年で、めったに降らないうちの近所にもやたらに降った。大きな川が近く、それを渡る橋の雪かきが追いつかず、通行止めがあちこちに。高速道路のランプも同様。あちこち野暮用があったのだが、車の移動はほぼできない状態となった。

 

その前後か、通勤に使っていた電車が全面的に止まった。設備点検か人身事故かもう忘れてしまったが、何時間という単位でストップ。時給で働いているので、その遅刻分は収入減。もう怒りも起こらず、笑うしかない。

 

……と、こんな実体験があるので、そのうち、次々と交通受難に遭う主人公の話を書けるな、と思っている。


でも、事実なんだけど、ドラマにするとウソっぽくない? 主人公が困るよう困るよう仕向けている感がわざとらしくない?

 

野球で9回2アウトから大量逆転。実際起こっているそういうドラマも現実だから背筋が震える。でも、作り事のなかにそのまま入れると、逆にドラマチックすぎて作りすぎ感がプンプンしてしまう気がする。


同じように、使い方は要注意かも、と思っている交通受難の実体験でした。

 

(了)

 

 

 

 

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 好きでなったわけじゃないが、今や立派なマニアの域。


 シナリオ、小説のコンクール投稿歴四半世紀、応募した数延べ100作品超。こんな履歴を持つ私、どの分野だとしても大ベテランと評される身分だと思う。

 

 まあ全然褒められたものではない。もう落ちるの、飽きた。というのが本音。


 これだけの年数、モノになっていないのだからダメなんだろうな。これを友人や知り合いに相談されたとしたら、答えると思う。次行こう、次、と。

 

 けれど、やめられなかった。踏ん切りがつかなかった。

 

 もちろん、どこかで受賞してそこで経験を積んで、今の年頃には、そこそこ何冊かでいいから、世に出るものを書けている心づもりだった。だけどこれだけ投稿して、一次通過が16回、二次通過は3回。受賞したことも6回あるが、その後にうまくつながっていない。世の中にこんなにコスパ悪いものがあるだろうか、ってくらいの確率だ。

 

 ちなみにこの投稿記録はエクセルで表にしてあり、2枚目がもうすぐ終わる。ズラッと並べて悦に入っているわけではなく、以前どこに何を出したかを忘れてしまうため。

 

 気に入った出来だけれど落ちた分は、シナリオから小説、小説からシナリオ、シナリオならテレビ←→ラジオ、あるいは短編小説から長編小説へと書き直して別のどこかへ送る、というようなこともやって来た。その際、巡り巡って同じところへ同じものを出したりしていないだろうか? という、ボケ防止用である。

 

 そんな中での経験則。

 

①ダメなモノは投稿するときに既にわかる。~仕上げたはいいものの、どうも余韻に浸れていない、自分自身が何か冷めた目で「とにかく終わらせただけ」みたいな気分でいるとき。これは確実に一次落ちである。

 

②書いた手応えがある。とても入れ込んで何度でも手を入れたくなる気になるとき。~これは脈あり。ただし、コンクール側の趣旨や好みもあるので、受かるとは限らない。落ちても別のコンクールに応募する価値はあり。

 

③①の部類のモノは決して受からない。けれど②だって受かるとは限らない。ただ、受かるモノは、②の中にしかない。

 

 コンクールのために書いているわけじゃないが、つまりそういうこと。自分自身に手応えを感じるようなモノを書きたいと思い続けている。

 

 今や、コンクール応募の第一目的は受賞ではなく、「そこまでに書き上げる」という、とにかく作品ひとつ仕上げるための締切とさせてもらっている。もちろん受賞できたらいい。受賞できると、次また書きたいというモチベーションがいっそう強くなるから。

 

 そんなこんなで習作を書きためている日々である。

 

 投稿マニア。そう言ってもいいのかも。

 

 近々このブログ、そういうタイトルに変えて、その迷走ぶりを顧みてみようかと思案中であります。

 

(了)

 

 

 

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 日経新聞で気になったエッセイがあった。河合香織さんというノンフィクション作家の方が書かれたものである。

 

「行間を読まない幸せ」というタイトルの、「過剰に行間を読む行為は信頼と自信の欠如ではないかと思う」、というところ。


 その例として、知り合いのお別れの回に、「平服で」と言われたにも関わらず、黒いワンピースで出かけた、とある。でも、多くの参加者は黒でなく思い思いの色を着ていた。故人に対する思いを自分の心のこもった言葉で捧げていた。そのように、平服でとあれば平服でいい。行間を読む必要なんてない、と。

 

 ああイタイ、と思ったのだった。私も、お葬式に「平服で」と言われて迷い、失敗した経験があるのだ。

 

 私の場合は、そう言われたんだからそうしなければならないのだろうと、逆に困った。その一言がなければ、当然喪服を選んだろう。アラフィフにもなると、いつそういうお知らせがくるかわからないものだから、シーズンを通して着られる喪服、バッグ、数珠、靴、パールなどをセットでスタンバイしている。


 ところがそれを着るなと言われると、クローゼットをひっくり返すことになる。黒っぽくてくだけすぎず、それでいて平服っぽいもの……って、どうすんだっ!

 

 結局、古~い白いブラウスに、もしや毛羽立ってないか? 的な黒のタイトスカート。ファッションセンスのかけらもないおばちゃんスタイルで出かけたのだった。

 

 ところが。


 その「平服で」とおっしゃったご本人が喪服だったのである。そして他の方も、殆どきちんとした喪服。そんなちんちくりんな間に合わせの恰好をしていたのは私一人だった。喪服を持ってないわけじゃないのよ~! と声を大にして言いたかった(泣)。

 

 河合さんは「自由な精神の基底には他者への信頼があるのだろう」と書かれていたが、私はこの件で「平服で」とおっしゃる方への信頼をなくした。その後何度か言われたことがあったが、決して平服で行かなかった。というか、そう言われるときは、イコール「平服で行ってはいけない」と変換して受け取るようになってしまったのである。


 まさに行間読みまくり。信頼というのはどこでどう培われ失われるのかわからない。油断大敵である。

 

 ところで、「平服で」の話になると思い出すのが、昔の「キャンディ・キャンディ」というマンガである。


 主人公のキャンディが、イギリスの学園に留学したてのとき。礼拝時には黒の制服を着なければならないのに、意地悪なイライザに、授業用の灰色の制服を着ていくようハメられる場面があるのだ。

 

「平服で」の一言は、キャンディのように嫌がらせに取られてしまうこともあるんじゃないかと思う。もちろん招待客のことを思いやっているからこその一言なのだろうが、私みたいな思慮の浅い人間は、かえってひねくれてしまうこともあるのである……。

 

(了)

 

 
 

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よく聞くタイトルのこの言葉。野球好きでなくても、「ギリギリまで追い詰められても逆転可能」という意味であることは知られていると思う。

野球好きである私は、もちろんそういう試合展開をたくさん見てきたし、胸が熱くなって泣きそうになったこともあれば、やられたときは悔しさと怒りのぶつけどころに困った。

でも、大量差で負けていた場合、最近の私、さっさとあきらめの境地と化す。

先週の、ロッテVS中日の交流戦のお話。もし球場にいたとしたら、早々と帰途についていたことだろう(そんなことしたら一生後悔の嵐だった!)。テレビ観戦も打ち切るのが習慣になっていた。が、たまたま点けっぱなしていたこの日。

ロッテが7-2で5点も負けていた9回裏、粘ってつないで差が縮まっていく。ついには6点をもぎ取って、奇跡的な逆転サヨナラ勝ちとなった。ロッテファンの私、狂喜乱舞であった! (中日ファンの方の悔しさも有り余るほどわかります……スミマセン)

野球は9回2アウトから。
知ってはいた。可能性がゼロではないと頭ではわかっていた。

でも、このところ散々「追い付かない程度の反撃」で終わるロッテを観ていて、その日もどうせそうなるだろう、とあきらめモード120%であった。

ダメ。あきらめちゃダメですよ、全国のみなさん、特に子供たち。世の中にはこういうことが起こるときがあるんです! 6点をも取って引っくり返すようなことが。

この大逆転劇の中心となったのは、ホームラン2本とサヨナラ打を打った鈴木大地選手。

この人、去年まではずっとレギュラーだったけど、今年は補強の関係でポジションがなくなった。だから、開幕はスタメンに入れなかった。

それでも腐らず、いつも元気に一生懸命。そしてチャンスをもらえたときには結果を出し続けた。その姿勢は、チームメイトみんなに好影響を与えていることも見てとれる。

この日のサヨナラ打は、バット真っ二つながらもしぶとく一二塁間を抜けていった渋すぎるヒットだった。

神様は見ている。ボテボテのアウトになってもおかしくなかったその当たりには、そんな鈴木大地の執念というか魂というか、そういう一押しが乗っかっていた。その分が、紙一重のバランスをこちらに引き寄せた。思いが野球の神様に届いたのだ。

全国の子供たち。いえ、大人でも。この人を見てほしい。後ろや下を向きたくなるとき、きっと、もう少しあとちょっと頑張ろうと思える力をもらえる。その折れたバットを掲げた鈴木大地選手を見たら、泣きそうになったもの。

いやあ、それにしても。
ここしばらく、野球の醍醐味というものを忘れていたわ。シーソーの末の8-7なんて、いわゆるルーズベルトゲームなんだよね。

この日のビールが美味しかったことは言うまでもありません。(了)


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 久し振りに映画館で映画を観た。東野圭吾原作の、自分の記憶に自信がなくなっていく脳科学者のお話だ。

 

 この小説は大好きで、何回読んだかわからない。ただし、話がかなり入り組んでいるので、体調の悪いときや忙しいときには読み返す気が起こらない作品でもある。

 

 主人公の現在が二通りあるのである。一つは学生の頃から恋していた相手と同棲しているというもの。もう一つはその彼女が親友の恋人で、嫉妬に苦しんでいるというもの。

 

 それぞれの状況が並行してそれぞれに進んでいく上に、脳科学の専門的な話がバシバシ絡む。よーく読み込まないと、「……どっちだっけ。今どうなってるんだっけ」となってしまうのである(単に私の脳が複雑な物に弱いだけという説も有力です)。

 

 私の手持ちの原作本は、講談社文庫で443ページ。その膨大なボリュームで、しかもそんなややこしいストーリー。正直、ドラマ化や映画化は難しいだろうなと思っていた。

 

 けれど、映画版はコンパクトにうまくまとめてあって、ちゃんとわかるように作られていた。原作を先に知っていると、必ず「イメージが違う!」とか違和感を覚えるのだが、玉森くんは弱さも自己嫌悪もスルリと演じていたし、染谷くんも親友で頭脳明晰だけど苛立つのもわかる、って感じがよく出ていた。

 主人公の自己嫌悪のための小道具や設定(例えば指輪とか足の悪さとか)が、生かしきれていない感じがしたのももったいないとは思ったが。

 

 大きく不満だったのはラスト。

 

 私のこの小説の好きなところは、冒頭とラスト。

 

 冒頭は、山手線と京浜東北線が並行して走っていて、同じ場所にいるのに違う空間で――それがパラレルワールドを暗示している。

私もたまにその辺りでどちらかの電車に乗ったとき覚えたことのある不思議な感覚。その現実感と、ちょっと切ない感じが、もうこの物語の大半を語っていると言っていいと思うほど見事で好き。

 

ラストは、自分の心の弱さ、醜さに苦しんだ主人公が一つの選択をする。それがメビウスの輪のように冒頭に繋がってゆく――つまり最初に戻る。その構成がすごく好きだった。

そこが映画では少し変えられていて、何というか、蛇足みたいな付け足しがあって、イマイチ意味がわからなかったのが残念。

 

 一言で言ってしまえば三角関係の話だけど、そこは東野作品。理科系的背景の鮮やかさが、そんじょそこらのそういう話とは別物に仕立てられている。どこかで東野さん談を読んだが「『夢オチ』にだけはしたくなかった」という世界観に納得。そこは映画でもしっかり押さえられている。

 

 油断してボーッと観ているとわからなくなると思うので、体調万全、疲労回復完了、といった態勢で鑑賞するのがお勧めです。

 

(了)

 

 

 

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 たとえば、学生時代の試験前。机の前に座ったはいいが、その気になれずつい部屋の掃除など始めてしまう。読むつもりじゃなかった推理小説を手に取り、ふけってしまう。どうにか試験に関係のあるところまで戻ってきたとしても、色とりどりの美しい計画表を作るだけで終わる。

 

たとえば、保険契約などの面倒な書類。目を通すのが億劫で、先へ先へと延ばしてしまい、結局勧められるままにうなずくことがある。

 

年末の大掃除。夏冬の衣替え。扇風機と温風ヒータの入れ替え。自分がやる気にならないと全く進まないこと。冒頭から並べてみた。

 

そしてそれは、今私が目指しているところの「物書き」という作業にも通ずる。

 

会社勤めのお仕事であれば、9時から5時まで、とか、この作業が終わるまで、とかの縛りがある。管理者がいて目を光らせている。お金をいただくというプライドから、何とかそれ相応の仕事を時間内にやり遂げるテンションが保てる。

 

ところが、物書き修行とは基本一人の作業なので、誰も管理してくれず、それ相応の仕事がいつまでかかろうが、クレームも何もないのである。

 

で、だらだらしていると何も出来上がらない。出来上がらないのに、だらだらすることを止められないことがしょっちゅう。

 

やれ風邪をひいたの、バイトが繁忙期だの、どうしても見たいテレビがあるの。そんなことで、か弱い集中力は軽く吹っ飛ぶ。どうにかパソコンを立ち上げるところまではいっても、なかなか書きかけの原稿ファイルを開くことが出来ず、ゲームを何十分とやっている。

 

気付くと1ヶ月かかってもプロットの1行すら出来ていない、という恐ろしい事態に直面する。更に恐ろしいのは、それでも誰も困らないということ。書き物が仕事になるところまでいっていないので、私自身ですら実害はない。

 

だから、様々なコンクールを締切に見立て、そこに間に合わせるようスケジューリングするのがここ数年の怠け回避法である。

 

それでも「もう間に合わないからいいや」と逃げてしまいそうなとき、必勝の魔法の言葉をつぶやく。

 

「あと1時間だけやろう」

 

あと1時間だけやってから、好きなドラマの録画を見よう。あるいはおやつを買いに行こう。飲みに出ちゃおう。などと決めると、それまでゲームだのメール整理だの延々だらだらしていたのに、意外と切り替わる。切り替わると1時間で終わらず、ノッてきたりするのが大体だ。

 

ゲームする前にそう唱えれば、もっと時間を無駄にしなくていいのにね。なぜかそうならないのが、自分の甘さ……。

 

(了)

 

 

 

 

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  箪笥が壊れた。

 

 全部で7段、1番上は3つに、2番目は2つに分かれた引き出し、あとは仕切りなしのが1つずつの木製箪笥である。


 その、3段目の取っ手が外れ、はめ込もうとしたら繋ぎの突起が折れた。だから引き出しなのに引き出せない。しょうがないから取っ手を外し、開けっ放しの引き出さない引き出し。


 というように何となくごまかしながら使い続けていたのだが、他の段にまで感染、発症。もうどうにも止まらない。

 

 そもそもこの箪笥、実家で使っていた物を持ってきたので、軽く見積もって30年選手。減価償却し尽くした、どころか今の価値はマイナスでしかないだろう、くらいによく働いてくれた優れ物だ。

 

 というわけで、新しい物を購入。意外とこの大きさで同じ段数で、というのが見つからず、結局1段少ないし、奥行きも短くなった。

 

 搬入のときに古い物は引き取ってくれるというので、中身を取り敢えず紙袋に移す。これが、出るわ出るわ。紙袋15個分! え、こんなスリムな箪笥のどこにそんな四次元ポケット的な包容力が?

 

 一つ一つじっくりあらためている時間がなかったので、一目で判別していった。捨て、捨て、捨て、取り敢えず残し、くらいな仕分け。

 

 無理無理詰め込んであったので、底の方から「そう言えば」みたいな物が続々出てくる。「何だ、こんないいのがあったんじゃん、新しいの買っちゃったよ」みたいな。何となれば、引き出しを引っこ抜いた後ろに挟まったままの物まで見つかる。ほぼ新品で、全然使える。

 

 私の脳もこんな状態なのかしら、とふと思った。

 次々新しいのを無理矢理突っ込んで、それまで意識せずフツーに使用していた物が奥の底の方に追いやられる。そのことを忘れ、使える物がないないと、また新しい物に手を出して、脳はパンク。

 

 奥の底の方にあるものを引っ張りだせば、結構使える? そんな思い出なり知識なりがあるかも知れない。記憶を一生懸命辿ってみたが、開けっ放しの引き出しどころか、二度と開かない開かずの引き出し状態のようで。何が入っているかはたぶん永遠の謎のまま、そのスペースだけが無駄に残り続けるのか。だから年々記憶力のキャパがちっちゃくなってるのか……?

 

 それはともかく、引き取り搬入は、ほんの5分で終了した。長いことお世話になった旧箪笥に別れを惜しむ間もなかった。


 その後、紙袋の中身を新箪笥に入れる作業を始めたが……全くもって収まらない。かなり捨てたはずなのに。

 入れ物が小さくなったせいもあるが、ここ何年も見て見ぬフリをしていたカオス状態をスッキリさせる良い機会である。と、前向きに捉えるも、これ以上どう減らそう、と未だ立ち往生中である……。

 

(了)

 

 

 

 

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  先日、ゴールデンウィーク初日に風邪をひき、医者に行けなくて四苦八苦した旨を書いた→GW

 

 そのゴールデンウィークも明けて2週間も経った。咳や鼻といった症状はいまだ残るものの、医者に行かずしてともかく強引に治すことに成功した。……と思い込もうとしていた。

 

 突然、関節がぎしぎしする。周りは半袖の陽気だというのに寒くてたまらない。洗濯物を干すくらいの簡単な家事がおっくう。しゃべることさえめんどくさい。目の後ろがガンガン痛くてたまらない。

 

 よもや、と思い、体温を計ると、38度5分だった。最初に風邪かな、と思ってから既に3週間を経過。今更、と、喉の痛みも鼻水も無視しようとしていたが、結局お医者にお世話になることになった。だったら初っぱなに行っておきたかった。そうしたらここまで長引かなかったろうに、GWのバカ! というのは先日にも書いたっけ……。

 

 発熱が最後(と思いたい)に発症するのは珍しいが、とにかくつらくて動けないので、全ての予定をキャンセルして薬を飲み、寝続けた。

 

 普段の私は、具合が悪いと思いたくないので、「思い過ごし、思い過ごし」とスルーすることも多い。が、今回「やばい」と感じたのは、きっと今後もバロメータとなるだろう2つのことだった。

 

 1つめは、私の場合、バイトにしろ、原稿を書くにしろ、休日にくつろぐにしろ、ほぼ毎日コーヒーが欠かせない。大抵は一日一杯までと決めているが、勧められたりすれば、もっと飲む。


 なのに、全く飲みたくなかった。コーヒーの美味しいお店へ行こうと誘われ、普段は二つ返事なものを、このときは「欲しくないなあ……紅茶にしようかなあ」と思ったのである。

 

 2つ目は、宝塚。最近ハマッてしまい、手持ちの録画やDVDを繰り返し観るのが今の楽しみの1つなのである。→宝塚にハマる


それが、観ているうちに目眩がしてきた。キラキラにあてられたのかな。もしくは、最近トップさん以外にも気になる方が増えてきて、大勢でのダンスのとき、あちらこちらに目をやるからくたびれてしまったのかしら、と思った。あり得ないことに、途中で観るのを止めた。

 

 何のことはない、その後発熱。体調不良だったのだと気付く。

 

 私のバロメータは、コーヒーと宝塚。大好きなその2つを受け入れられなくなったときは非常事態。と疑うべきだった。いや、今後は即疑おう、と思った令和最初の決心です。

 

 

(了)

 

 

 

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