応募したコンクールの一次通過者が発表になっていた。見事に落ちていた。
落選の経験は、たぶんギネス並みに多い。そんじょそこらの方々と比べても、おそらく負けることはない。だから、そのショックにはもう慣れっこだ。
……なんてことはない。毎度毎度、いつものことなんだから長年経験してんだからいい加減慣れろよ、と思う。なのにやっぱりかなり落ち込むのである。傷つくのである。
才能ないんだ、文章下手なんだ、世の中に訴えるものが足りないんだ。とか、どこどこまでも沈んでいく。物語を作るには結構な時間と体力がかかり、しかも思いを込めれば込めるほど衰弱する。それが読み手の人には全く響かなかった(この場合は一次の審査員)。それをつきつけられるのは、相当打ちのめされるのだ。
「落ちる」というのはつらい。遠い昔の、入試に始まって部活のレギュラーとか、バイトの面接、就活もそうだ。
就活。私の場合、新卒で就職した会社を辞めた後、いい年代になってパートで働こうとしていたときに、そのつらさを味わった。10とか20とか履歴書を郵送したのに、ほぼ全滅。「残念ながらご縁がうんぬん」のお祈り文書が返ってくるのはまだいい。履歴書だけが無言で送り返されたり、ひどいところは全く音沙汰がなかった。
年齢だよね。相性だよね。人間性を否定されたわけじゃないよね。そう言い聞かせつつも、落ち込むのを止められなかった。
当時は就職氷河期と言われ、若者が新卒で就職できずに鬱になるのが社会現象になっていたし、定年退職した高齢者の再就職も苦戦を強いられた頃。
否定されることが続くのはものすごくこたえるものである。その気持ちのいくばくかは理解できると思った。
最近ではチケット争奪戦。
ぴあに抽選を申し込んだものの落選続きで、これは才能とか相性とか人間性とか全く関係ないのだが、やはり落ち込む。元々くじ運が悪いので、そろそろ良くなってくれてもいいんじゃないかと一縷の望みを抱くのだが、やっぱり三つ子の魂百までなのか……。
こういうことから立ち直るにはどうするればいいのか。
そのチケット。抽選に外れた後、気を取り直して先着順の分にトライした。それでゲット成功! 払込手続きを経て申込み画面に戻ってみれば、売り切れ。ものの5分のことだった。それで機嫌が直っている。
パートのお仕事にしても、結局希望に叶わない部分もあったが雇ってくれるところに当たり、かなりの長寿勤務になっている。
シナリオ、小説コンクールにしてもそう。落選から立ち直る一番の薬は当たること。しんどくても続ければそういうこともある。だからいまだ応募をやめないですんでいるのかもしれない、と思う。
(了)