久し振りに映画館で映画を観た。東野圭吾原作の、自分の記憶に自信がなくなっていく脳科学者のお話だ。
この小説は大好きで、何回読んだかわからない。ただし、話がかなり入り組んでいるので、体調の悪いときや忙しいときには読み返す気が起こらない作品でもある。
主人公の現在が二通りあるのである。一つは学生の頃から恋していた相手と同棲しているというもの。もう一つはその彼女が親友の恋人で、嫉妬に苦しんでいるというもの。
それぞれの状況が並行してそれぞれに進んでいく上に、脳科学の専門的な話がバシバシ絡む。よーく読み込まないと、「……どっちだっけ。今どうなってるんだっけ」となってしまうのである(単に私の脳が複雑な物に弱いだけという説も有力です)。
私の手持ちの原作本は、講談社文庫で443ページ。その膨大なボリュームで、しかもそんなややこしいストーリー。正直、ドラマ化や映画化は難しいだろうなと思っていた。
けれど、映画版はコンパクトにうまくまとめてあって、ちゃんとわかるように作られていた。原作を先に知っていると、必ず「イメージが違う!」とか違和感を覚えるのだが、玉森くんは弱さも自己嫌悪もスルリと演じていたし、染谷くんも親友で頭脳明晰だけど苛立つのもわかる、って感じがよく出ていた。
主人公の自己嫌悪のための小道具や設定(例えば指輪とか足の悪さとか)が、生かしきれていない感じがしたのももったいないとは思ったが。
大きく不満だったのはラスト。
私のこの小説の好きなところは、冒頭とラスト。
冒頭は、山手線と京浜東北線が並行して走っていて、同じ場所にいるのに違う空間で――それがパラレルワールドを暗示している。
私もたまにその辺りでどちらかの電車に乗ったとき覚えたことのある不思議な感覚。その現実感と、ちょっと切ない感じが、もうこの物語の大半を語っていると言っていいと思うほど見事で好き。
ラストは、自分の心の弱さ、醜さに苦しんだ主人公が一つの選択をする。それがメビウスの輪のように冒頭に繋がってゆく――つまり最初に戻る。その構成がすごく好きだった。
そこが映画では少し変えられていて、何というか、蛇足みたいな付け足しがあって、イマイチ意味がわからなかったのが残念。
一言で言ってしまえば三角関係の話だけど、そこは東野作品。理科系的背景の鮮やかさが、そんじょそこらのそういう話とは別物に仕立てられている。どこかで東野さん談を読んだが「『夢オチ』にだけはしたくなかった」という世界観に納得。そこは映画でもしっかり押さえられている。
油断してボーッと観ているとわからなくなると思うので、体調万全、疲労回復完了、といった態勢で鑑賞するのがお勧めです。
(了)