山形・山寺での長い石段登り。つい、松尾芭蕉ゆかりの「せみ塚」で小休止状態になりましたですが、さらに石段は続く…というわけなのですな。が、登りの段数にして130段ほど、目の前にはそそり立つ岩壁が現れまして、また足を止めてしまうのでありますよ。
「弥陀洞(みだほら)」と呼ばれる場所でして、山形県公式観光サイト『やまがたへの旅』にはこのように説明がありますな。
岩が長い年月をかけて雨や風の自然現象によって削られ、直立した阿弥陀如来の姿に形作られたもの。その姿は、約4.8mにもなり、仏の姿に見ることができる人には、幸運が訪れるといわれています。
てなことで、通りすがる者みな「いずこに仏さまの姿が見えようか…」と足を止めてしげしげと眺めやる慣わし。見えてくるかどうかが試されているところでもありますので、「岩のあのあたりに…」てなことを指し示してしまっては元も子もない。おそらくは、ここまで登るもなお煩悩を払い切れておらないと、仏さまは姿を隠してしまうのかもしれませんなあ。個人的にはぼんやりと「あんなイメージかな」というのはありましたですけれどね(笑)。
ただ、仮に仏さまの姿が見えたとしても思い込みであって、心のうちには未だ煩悩を払いきれずにおるのではないか?と迫ってくるのが仁王門の仁王像になりましょうか。
超有名仏師・運慶の弟子によると伝えられるそうですが、いやあ、睨んできますなあ。うっかり思い浮かべたのは「泣ぐ子はいねがぁ」となまはげに迫られる子供のような心持に…といって、なまはげは山形でなくして秋田でしたな(笑)。ただ、古く出羽国と言った頃は山形と秋田は一体だったのですけれどね(と言い訳がましく、笑)。
とまれ、睨みに耐えて仁王門を潜り抜けますと、まだ見上げる石段は続くも堂宇が見えて「お!奥之院近し?!」とは肩透かし。この段々を登り詰めたところは奥之院と開山堂・五大堂との分岐点でありまして、性相院、金乗院、中性院、華蔵院という山内寺院が四つ並ぶエリアになります。もっとも「江戸時代までは、十二の塔中寺院があり、多くの僧が修行に励んでいた」そうですから、隔世の感ありとも。
それでも、その場から谷ひとつ向こうの岩峰の窟屋は「修行の岩場」として現役のようですな。
正面の岩に巌を重ねた岩場は、釈迦ヶ峰といい、危険な岩場を通って、お釈迦さまのみもとにいたる行場で、出世や欲望のための修行者が、岩場から転落死したことも多かったと伝えられており、今では修行者以外の登山を禁じている。
と、私利私欲に満ちた者は転落死してしまうという修行の場を目前に臨んで山内寺院の並ぶ傍らに、「最上義光公御霊屋」という御堂がありました。山寺を訪ねるからといって山形の歴史に皆が皆興味ありというわけでないのか、立ち止まる人もほとんどおりませんでしたが。
戦国の混乱の時代に、山形の地を愛し、民を愛し、出羽国に平和と安定をもたらし、現在の山形の基礎を築いた、山形城第十一代当主「最上義光(もがみよしあき)」公(一五四六~一六一四)と家臣ら合計十人の位牌が納められています。
最上義光で思い出すのは大河ドラマ『独眼竜政宗』で原田芳雄が演じたイメージですかね。伊達政宗(演じたのはご存知のとおり渡辺謙)が主役なればこそ、実の伯父甥の関係(政宗の母親・義姫が義光の妹、ちなみに岩下志麻が強烈な印象を残しました)ながら、共に東北の覇権を握らんと対立関係にあって、むしろ悪者感が醸されていましたっけ。見方を変えれば上の説明のように名君になってもしまうのですなあ。まあ、最上義光のことはまた、後に山形市内に戻ってから触れることも出てきましょうから、このへんで。
で、この御霊屋の向かいにあって、最上義光公日牌所となっている山内寺院のひとつ中性院にはなで仏の「おびんずるさま」がありましたですよ。長い石段を持つ山寺ながら、参拝者の年齢層はかなり高め(平日でしたし)。最上義光や山形の歴史に関心は無くとも、「ぼけ封じ」という現世利益には我が身のことと思うのか、おびんずるさまはてかてかになるほど撫でまわされておるようで。
ところで長らく石段を登ってきて、しばらくは自然の山中にあったものの、ここへ来て行場であるといえ些か生活感の感じられるエリアに至り、ふと日々の生活物資は山小屋のように歩荷しているのであるか…?と気になったり。と言いますのも、これまた傍らにかようなものを見かけたからでありまして。
修行で山に籠るお坊様方が手紙を出すのか、はたまた観光客(失礼、参拝者)が記念に絵葉書でも投函するのかはともかくも、ここにポストがある以上、郵便屋さんは郵便物の回収に来なくてはなりませんな。見れば、休日を除く平日・土曜に1日1回11時に郵便屋さんはやってくるらしい。「郵便屋さん、ご苦労さん」とは言うものの、毎日石段を登ってくる郵便屋さん、本当にご苦労さんなことでありますなあ。
とまあ、またしてもいろんなところで引っかかってしまいましたですが、これを登り詰めれれば奥之院という段階に。いよいよもって到達…というお話に、次には必ずなりますですよ(笑)。