山寺の石段登りもいよいよ大詰め。ここさえ登り詰めれば奥之院に到達という段階までたどり着いたわけですが、これまで登る方向ばかり見ていたのは山中を通過していて視界が開けていないからでもありまして。それが、この段階に来て振り返るとこんな具合の眺めが得られましたですよ。

 

 

結構登ってきた感はあるも、さほどに眺めがいいわけでもない…。ま、眺望の方は奥之院を巡ってから下りがてら立ち寄る五大堂に期待しておくといたしましょうね。で、とにもかくにも奥之院登頂(?)と相成りました。1015段の石段踏破です。

 

 

ちなみに「奥之院」とは通称のようで、正式には二つ並ぶ御堂の、右側が「如法堂」で左側が「大仏殿」ということになります。如法堂の方は「開山・慈覚大師が、中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊」とし、大仏殿の方は「像高五メートルの金色の阿弥陀如来像を安置」しておるということですが、触れておくべきは如法堂が写経道場であるということなのですなあ。

 

こういっては何ですが、写経なるものはあちこちのお寺さんで観光客向けにも体験できるようになっていたりするではないか?と思うところながら、立石寺野奥之院如法堂で行われているのは「石墨草筆による一字三礼の如法写経行」であると。石の墨と草の筆を用いるだけでも尋常でない(絶対的に書きやすいはずがない)と思いますし、一字三礼、即ち一文字書くごとに三度礼拝するとなると、こりゃあ、生半可では行えない。やはり「行」と言われるだけのことはありそうですね。ちなみに延暦寺では失われた習慣ながら、立石寺では今でも続けられておるということでありますよ。

 

 

という如法堂のお隣には寺務所がありまして、奥之院到達を果たした者だけが買える(たぶん)品が並んでおりましたので、登頂の証として奥之院お線香を買って帰ることにいたしました(御朱印・御法印の類は集めておりませんのでね)。

 

 

さてと、登りに登ってかいた汗がひとまず落ち着いたところで、今度は下りにかかります。途中には開山堂・五大堂と立ち寄りポイントがあるわけですが、その前にまず、脇道に入り込んで寄り道を。もはや立ち寄る人もほとんどいないようですな。なにせ看板が地味過ぎて…。

 

 

お寺さんにはよく三重塔やら五重塔、はたまた七重塔なんつうのもあったりして、一般には天を衝いて聳える塔を見上げ「大きいねえ」とつぶやくところなのですが、こちらにあるのは「三重小塔」であると。

 

 

この岩屋と一体化したような祠の中に件の三重小塔(高さ2.5mほどとか)が納められておりまして、添えられた解説にはわざわざ「模型ではありません」と断ってあるのが笑いを誘うところでもありましょう。それでも国指定重要文化財となれば、さぞかし精巧にできているのでしょうけれど、近寄って覗き込むもよく分かりませんでしたなあ…。

 

 

と、こちらの大きな(?)御堂には「行啓 山寺記念殿(通称:行在所)」という看板が出ておりました。皇太子時代の大正天皇が訪れたときの休息所だそうで、それを有難く思うものでもないですが、さすがに見晴らしの望める場所に作ったのであるなあとは少々の感心を。中に入れるわけではありませんけれど、建物からこんな風景を望んだのでありましょうね、きっと。

 

 

そんなこんなの寄り道を経ているうちに、下りの道すがらに立ち寄るポイントのハイライトが見えてまいりましたですよ。ということで、次回は開山堂・五大堂あたりのお話となってまいります。