今年2019年は俳聖松尾芭蕉 が奥の細道へと踏み出した元禄二年から数えて

330年目に当たるのだそうで。


それにちなんで東京・有楽町の出光美術館 で芭蕉展が開催されていたものですから、

覗いてまいりましたですよ(と、9月29日で会期は終了ですが)。


奥の細道330年「芭蕉」展@出光美術館

それにしても松尾芭蕉の展覧会といって、当人は俳諧師であって画家ではない人物。

それがなんだってかように人を集めるのか…と思ったりしたですが、

俳句を嗜むことの無い人(個人的にはその一人)にも芭蕉はよく知られておりましょうし、

おそらくは想像する以上に俳句を嗜む側の人が多くいるということなのかもしれません。


そうした俳句を趣味にする人にとって松尾芭蕉は神様的な存在といえるところかもしれず、

普段は印刷物などで芭蕉の句作に触れるとしても、短冊に書かれた直筆などは

なかなかに見る機会とて得られず、このときとばかりにやってきたのかも。


確かに「これ、芭蕉のかあ」と直接に芭蕉を偲ぶよすがとなるものに接するのは

それはそれで感慨深いところではありますけれど、解説で紹介されていたことなどに

「ほお、そうであったか」と気付かされたりするのが興味深いところでありました。

(例によってそんなこと、知らなかったの?とは言われそうですが。笑)。


そも芭蕉が東北、北陸をぐるりと周る旅に何故出たのかということですけれど、

かつて「西行らがめぐった『歌枕』を自分の脚で辿り、追体験すること」だということで。

それも西行五百忌の年に始めるというこだわりのもとに。


ただこうした古えの人の行跡を訪ね歩くというあたりは、

「ああ、芭蕉と同じようなことを誰でもやっているよなあ」と思うわけです。

卑近なところでは、ただ今現在進行形で書いている「ゲーテ街道紀行」にしても、

ゲーテやらバッハやらルターやら、またそのほかの人物たちがかつてそこにいて

成した事績を巡り歩いているようなものですし。


されど根本的な違いは、芭蕉が330年前の旅の成果として「おくのほそ道」という紀行文を残し、

それが330年後も読み継がれるものであったということでありますなあ。

芭蕉は俳諧のみならず、普通に文章も上手であった、

そして書物にするときの構成力もあったということのようで。


といいますのも、これまで認識しておりませんでしたけれど、

旅の途次ではつらつらと旅の記録を書き残すものの、

「おくのほそ道」なる一冊はそれを全部放りこんでいるわけではなく、

エピソードの採否にも目を配った結果がまとめられているようでありますし。


まあ、比べるのもおこがましいことながら、

常人と(否、我がことと)異なるところはそうしたところでありましょうかね。


ところで、本来の専門分野である「俳句」の方はどうなのよ?ということで気付かされたのは、

今さら引き合いに出すのがこれ?とも思える「古池やかわず飛び込む水の音」という一句のこと。


超有名作であるために、この句を知ったのは小学生くらいの頃かもしれませんが、

なまじ子供のときに知って「ああ、かえるがぽちゃんと池に飛び込んだのね」というふうにしか

受け止めてこなかったのは、どうやら俳聖に対して失礼極まりないことだったようですなあ。


なんとなれば「和歌や漢詩の世界では河鹿蛙の鹿に似た鳴き声が賞美されてきた」という

伝統的な美意識に対して、芭蕉が切り取ったのは蛙の鳴き声ではなくして水の音であった…

というところに芭蕉の句の斬新さがあるということなのですから。


これまでなんという浅はかさで芭蕉の句に触れてきたものかと

今さらながらに思い知らされたといいますか。

やっぱり芭蕉という人は大した人だったのだ…と。


そうなってきますと、それほど大した人が追体験しようとした西行という人もまた

(今さら言うに及ばずなのでしょうけれど)大した人であったということですなあ。


俳句以上に和歌の世界は敷居が高く感じるところですけれど、

そのあたりにもやはり目配りはした上でまたあちこちを訪ね歩き、

つたないながらも旅の一文をとどめてまいろうかと、そんなふうに思ったりするのでありました。