最上義光(もがみよしあき)という戦国武将がおりますね。
初めてその名を聞き知ったのは、昔々(1987年ですが)の大河ドラマ
「独眼竜正宗」でありました。
東北地方の戦乱はメジャーな戦国史からすると周辺部の戦いであって
あまりクローズアップされませんから、ずうっとその大河ドラマのイメージで
今までいたわけですが、どうもそうとは言っていられないような。
山形
に行って、そんなふうに思うのでありましたですよ。
独眼竜と言われた伊達正宗ばかりが東北の暴れん坊として注目されるようですが、
最上義光は正宗の母親の兄貴、つまり義理の伯父ということになりますね。
今やJR仙山線で1時間ほどの仙台と山形に、それぞれ伊達と最上が並び立って
協調すればどっかりと東北に根を下ろすようなことにもなったかもですが、
結局のところ正宗の母(大河ドラマでは岩下志麻の猛女ぶりが思い出されます)の
輿入れにしても政略結婚以外の何物でもない。
元より伊達正宗(言うまでもなく渡辺謙)は血気盛んなわけですが、
これに対する最上義光(原田芳雄)も相当以上の曲者ぶり。
周囲の他家をも巻き込み、権謀術策の限りを尽して「奥州情勢」は複雑怪奇というわけです。
大河ドラマを見る限り何せ主人公は正宗ですから、
どうしても最上の側が「より悪いやつ」に見えてしまいがちなところでもありまして、
要するにそのイメージでばかり、ずうっといたのでありました。
ところが、山形に行ってみて思うところは、
山形にとっての最上義光は、山梨にとっての武田信玄のようなのだなぁと。
JR山形駅から歩いて10分ちょっとくらいですかね、
霞城公園があるのですけれど、ここは元の山形城。
最上氏の祖である斯波兼頼(清和源氏の流れらしい)が築城したとされています。
で、その霞城公園でひときわ大きく実に雄々しい姿を見せているのが、
最上義光の騎馬像でありましたですよ。
折しも運悪くかなり雨に見舞われていたものですから、
思うように像を見上げることも叶わずじまいでしたけれど、
「立派な!」という雰囲気は伝わるのではないかと。
ただ「鎧兜は時代考証にとらわれず表現したもの」だそうで、
何だか五月人形のようだな…と思ってしまったり。
また、手に携えているのは槍ではないようですね。
確かに槍にしては短い。
これは陣頭指揮にあたって義光が使った鉄の指揮棒なんだそうです。
「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」と刻まれているそうな。
清和源氏の名乗りは武門の誉れでありましょうからね。
ところで、その最上義光でありますけれど、
山形を中心に東北で覇を競う戦国武将であったわけですが、
やがて中央での天下統一の動きに巻き込まれていくのは歴史の流れ。
天下分け目の関ヶ原(1600年)は、
山形にとってお隣・会津の上杉が震源地の一つでありますね。
会津征伐に向かった徳川家康軍(関ヶ原での東軍)が石田三成の挙兵を聞くや、
兵を西に向けるわけですが、逆に会津・上杉に背後を突かれる可能性もないとはいえず。
されど、上杉の後には東軍についた最上義光がいたわけでして、
上杉としては後顧の憂いを断つべく、直江兼続の指揮する大軍で山形に猛襲をかけたのですね。
数で圧倒する上杉軍によって山形城まで攻め込まれるかというところで、
最後の踏ん張りを見せていた最上軍のもとへ、関ヶ原で東軍勝利の報がもたらされる。
本来の決戦場で与する西軍が敗れては上杉も兵を引かざるを得なくなってしまったという。
(霞城公園の騎馬像はこの時の義光の陣頭指揮ぶりのようで)
上杉を山形に釘付けとし、東軍に利すること大なる勲功を挙げた最上氏は
戦後の論功行賞の結果、山形内陸部から日本海沿岸の庄内地方までを含む
五十七万石の大大名として山形に繁栄をもたらすことになるのでありますよ。
しかしながら、徳川幕府にとっては最上は当然外様であって、
しかも東に伊達、南に上杉、北に佐竹と外様ばかりの奥州の真ん中となれば、
後継ぎ問題に絡む御家騒動を気に、関ヶ原の僅か22年後、最上家は改易となってしまい、
山形は譜代大名の転封地となっていったようです。
藩主の転封が行われるごとに、山形の地は天領の範囲を増加させつつ、
所領を小さく小さく切り取られていき、後には転封地というより左遷地と見られていたそうな。
こうした経緯があるにつけ、
山形の繁栄と言えば最上義光と結び付けて考えたくなるところでありましょう。
山梨、甲斐では武田信玄
がいたころの勢いを江戸期を通じておよそ取り戻せなかったことと
同じような過去の栄光に遠い目を向けるような感じでありましょうかね。
霞城公園からほど近い(奥羽線の線路を跨ぐものの、公園内か?)ところに
最上義光歴史館がありますけれど、これがまた立派な施設。
(山梨が武田神社の宝物殿にお任せしているのより、力が入ってる)
ここでの展示を見ておりますと、
「独眼竜正宗」で抱いてしまった印象が大きく転換したものでありますよ。
まあ、いずれにしても、作る側それぞれ立ち位置に偏りがありましょうから、
そうしたものとして見る必要はありましょうけれど。