昨年末の「試飲三昧」の記事 をご覧いただいた方には、
例の大宴会温泉旅行の行き先は山梨であったのだなと知れたところと思いますけれど、
その際にメイン・ゲストたる母親(大宴会温泉旅行は母親の誕生祝いでして)が
やはり行ったことのないところとして、ちと立ち寄った場所が甲斐善光寺でありました。


「牛に引かれて善光寺参り」とのことわざで夙に有名な善光寺は長野にあるのですが、
上杉軍と武田軍との会戦でこれまた有名な川中島は長野市南方であって、

戦いが数次にわたる中、この善光寺に戦火が及んではいけんと思った武田信玄が

善光寺そのものを甲斐に持ってきてしまった…と、これが甲斐善光寺の始まりでありますね。


そうした戦乱の世を様々な紆余曲折で潜りぬけ、善光寺はやはり長野にありますから、
甲斐善光寺はどうしてもニセモノ感(とは、言い過ぎではありましょうが…)があって、

おそらくは訪れる人も長野には遠く及ばないでしょうし、
個人的にも何度も甲府に行きながら立ち寄ったことがなかったという。


で、母親も行ったことがないようですし、
調べてみれば本堂は東日本でも最大級の大きさだという物珍しさも手伝って

行ってみましたですよ。


甲斐善光寺 山門


まずもって、山門からしてでかいなぁと。
で、覗いてみれば中においでの金剛力士像がまた粗い仕上げというか、
武骨さ丸出しで、この辺りも何やら武田騎馬軍団の猛々しさを思わせるといいましょうか。



甲斐善光寺 金剛力士像


そして本堂(金堂)ですが、やっぱりでかいなぁと。真ん中に辛うじて人影が見えましょうけれど、
それと比較してみると大きさの想像がつくのではないかと。


甲斐善光寺 金堂


ですが、この巨体を維持するには参詣に来られる方が少ないのでしょうか、
壁面などをご覧くださいまし、手を入れる必要性が如実に感じられますですね。


重要文化財なのに…

やはり本物の善光寺は長野だとしても、こちらの方も何かしらもそっと信玄ゆかりであることが

うまく発信できれば参詣者も増えて、今少しなんとかしようもあるのではと思うのですが…。


と、甲斐善光寺をあんまり「本物でない」とばかり言ってはかわいそうですでが、

そうした本物でなさということで思い出すのは武田信玄の軍師とされる山本勘助でありますね。

まあ勘助の場合は、本物でないというより「実在していなかったのでは…」ということですけれど。


実は昨年訪ねた足利学校で見たビデオ・ガイドの中に武田信玄が登場し、
軍師らしき相手に兵法を学んだのが足利学校なら間違いないみたいなことを言う、

そんな場面があったのですね。


ビデオを見ていたその場では、信玄の相手は山本勘助だろうなぁと思っていた

山本勘助という名前が出されないのはどうしてだったのだろうと後から検索してみれば、

どうやら歴史研究の中では「山本勘助は実在が確認できない人物」らしいと知り、

「ええ?そうだったの?」と。


これがそのままになってしまいかけたところで、

昨年末に訪ねた甲斐善光寺での思いめぐらしから、ふと思い立って

山本勘助に関する本を読んでいた…というわけです。


山本勘助 (講談社現代新書)/平山 優


それにしても、山本勘助という人物はとっても有名で、だからこそでもありましょうけれど、
芝居やドラマなどなどを通じて、片目であったり、片足であったりとその姿かたちまで
ほぼ決まっているようなところがあるのに、実在が疑われているとは。


どうやら信玄の軍師として大活躍する山本勘助という人物は、
信玄、勝頼の時代の武田家の歴史を語る書物「甲陽軍鑑」に出てくるものの、
他の史料には全く見当たらないのだそうですよ。


その上、様々な史料と突き合わせてみれば「甲陽軍鑑」という書物は

記載自体に誤りが山のようにあり、研究上の史料としては全く駄目出しをされているのだとか。


ですから、これまでに喧伝された山本勘助の軍師ぶりというのは
もっぱら「甲陽軍鑑」を鵜呑みにして作られた虚像であったということでしょうか。


ただ、1969年になって発見された「市川文書」の中の信玄書状には

「山本管助」という人物名が出てくるとして、やはり山本勘助は実在したのでは!と

色めき立つ瞬間もあったようです。


それでも、その他の史料は見つかっておらず、市川文書の山本管助が

信玄の軍師・山本勘助のことなのかどうかは特定しがたい状況なのだとか。


されど、誤りの多い「甲陽軍鑑」といえども、

その中で勘助が指南したと書き残されている築城術などは

実際にそれを踏まえて築かれたと思しき城があるようですから、

勘助が実在せずとも信玄の家臣の誰かしらがそうした術に詳しい人物はいたのでしょうね。


本書の著者も触れていたように、

武田家家臣の個々に秀でたところをひとつの人格に押し込んで

スーパーヒーローに仕立て上げたのかも。


そうだとして、スーパーヒーローが完全無欠では後世の人にも癇に障るし、

ましてや信玄、勝頼といった当主の存在をも霞めてしまう可能性がありましょうから、

姿かたちの点を異形とするなどの脚色は心憎いところなのかもしれません。


とまれ、歴史に関する探究は常に続いている…ということでありますね。

今年は何かしら新たな発見のある一年になりますしょうか…。