ひとりの若武者が、二、三の供を従えて馬を駆り立て、野原の中の一本道を疾駆していく。
道端に群れるススキの穂が煽りを食らって大きくそよいでいた…かと思うと、
一瞬、ススキの群生の中に黄色い花が混じっているではありませんか。
この黄色い花、以前にも触れましたようにススキとの相性がいいらしい

セイタカアワダチソウ ではないかと。


セイタカアワダチソウは北米原産で日本にとっては外来植物。
Wikipediaによりますと「明治時代末期に園芸目的で持ち込まれ…」とありますから、
江戸期以前には日本にあろうはずがない。


ときに先ほどの若武者というのは大友義鎮、後の大友宗麟なのでして、
宗麟の生きた16世紀に生えているはずのない植物ではないか…と、
TVドラマ「大友宗麟~心の王国を求めて」(昔のNHK正月時代劇をスカパーで再放送)を
見ていて気付いてしまったというか、何というか…。


まあ、ロケ地に生えているセイタカアワダチソウを

排除するまでの時代考証はしないでしょうから、
このことはここまでとして、大友宗麟の生涯であります。


戦国大名としてその名を知られる人が数多いですが、
瞬間風速的に名前が出てきて消えてしまうといった人たちもいたような。
長宗我部元親あたりは最たるところかと思え、

日本史に疎い者としては大友宗麟もその類いかと思い込み。


ところが、宗麟の継いだ大友家とは

辿れば鎌倉時代からと繋がる九州の名門、名流でもあるような。
一時は本拠の豊後に加え、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後と六カ国の守護として、
足利将軍家から九州探題にも任ぜられるほどであった…とは、つゆ知らず。


ですが将軍家との誼も、天下が信長、秀吉のものとなっていく時代にはもはや役には立たず、
島津の台頭を抑えきれずに秀吉を頼った後にその所領は豊後一国に減じられ、
宗麟の息子、大友義統の時代のは父祖の地である豊後までも取り上げられてしまうとは、
歴史の表舞台に登場するタイミングがあまり無かったというべきでしょうか。


ところで、このドラマのタイトルには「心の王国を求めて」とありますけれど、
大友宗麟はキリシタン大名としても知られておりますですね。

その関わりがあっての原作でしょうけれど、原作は遠藤周作 の「王の挽歌」。
にもかかわらずどうもドラマを見る限りキリスト教と関わる突っ込みが少ないなと。
そこで読んでみることにしたわけでありますよ。遠藤周作「王の挽歌」上・下です。


王の挽歌〈上巻〉 (新潮文庫)/新潮社 王の挽歌〈下巻〉 (新潮文庫)/新潮社


読んでみて、先のドラマが原作の話の流れを追ってうまくコンパクトに仕上げている、

とは思ったものの、やはりささっと展開していかない部分とでもいいますか、

例えば宗麟が内省的になったりする部分ですが、そういうところはかなり摘んでしまっているようで。

(だいたいドラマでは主人公役が松平健ですのでね…)


例えば原作小説の中には、

宗麟にキリスト信仰の種を植えることになったフランシスコ・ザビエルに
こんなことを語らせる部分があるのですね。

「時折、私は思うのですが……、ひょっとすると我らのただ一つの神をいつの間にか大日如来にすり替え、天国を浄土に変えるような何か怖ろしい不気味な力がこの日本人の心の奥にかくれているのではありますまいか。日本人のそんな屈折力は、これから基督教布教の上で大きな障害になるように思います」


「いつか日本人たちが我々に代って神父になった時、彼等は基督教を日本人信者の心に親しみやすくするためと称し、神(デウス)を大日如来に似たものとすり替え、汎神論の神々をも神と混同するかもしれませぬ」

信長が保護(というより利用)し、宣教師による布教お構いなしであった頃、
日本でもキリスト教信徒の数が増えていっていた時期があるのだそうですね。


それはやがて秀吉や徳川幕府によって禁じられ、衰退することにもなるのですけれど、
ザビエルの懸念は日本に信徒が増えるにしても、その信徒たちは受け止め方を

間違えているのでは?というもの。


ここで思うことは、長い年月の間に教義が固まっていった故か、

キリスト教はかつてあった柔軟性をとうに失っていたのだなと改めて。


日本への臨み方はまだしも中南米への布教は侵攻とも言えるもので、

土地の信仰など全く顧みなかったわけですけれど、それに対して、

ザビエルの感じ方はとりあえず仏教を全否定はせず並べて比べてみている分、

まだ穏やかなのかなとは思いますけれど。


ですが、キリスト教の受容に便利な土地の習俗を利用するという、

かつてローマ世界やゲルマン世界への浸透に際してやったようなことはもはやない。

良くも悪くもキリスト教が成熟して、他の習俗を許容することは異端てなことになるのでしょう。
ある意味、その頑なさが日本での禁教に繋がったようにも思えるところですが。


遠藤周作の小説には時代ものが結構ありますけれど、

キリスト教と関わりのある人物が多くあり、その人物とキリスト教の関わりを描くと同時に

キリスト教そのもののことを描き出してもいるわけですが、
先に触れたような考えを巡らすことに繋がるあたり、「王の挽歌」もまた然りかと。


加えて宗麟の人物像にはその後の小説「スキャンダル」に繋がっていくような

人間の二面性というのか、隠れた部分というのか、ダークサイドというのか、

そうした点にも焦点が当てられておりますね。


こうした「自分でもよく分からない自分の中の自分」的なところは、

大なり小なり、誰にでもあることは誰しも自覚しているところでしょうけれど、

それを自己完結的に自分の中でバランスが取れるかどうかは
その人を取り巻く環境や地位、身分なんつうものも関わってきてしまうのでしょう。


宗麟の場合は、武辺に向かない自分が九州六カ国の守護であり、

名家を存続させねばならないお屋形であることが

一個人の自分には思いのままにならない自分があると感じていたでしょうし。

求めたのは心の王国としても周りには理解されなかったでしょうから。


「神仏を崇めることをやめられたゆえに豊後は罰を受けたのだ」と家臣に言われては、
切支丹への傾斜を自ら押し留めねばならかった面もある宗麟。
ちなみにそうした家臣との融和するためにも、一端は仏門に入った際の名前が宗麟であって、
洗礼名はザビエルに肖ったフランシスコなのだそうでありますよ。





突然ですが、保険に関する手続きの肩代わりをするために両親のところへ行ってきますので、

明日はお休みいたします。


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