今回は、俳優トレーニングで必ずやっておくべき "カリキュラム" を、ザクっとご紹介します。
一般的に、「何をやったらいいか、分からない」という悩みの多い、俳優の訓練。
これからご紹介することが全てではありませんが、「役を生きる」ために必要なトレーニングのざっくりした流れは掴んでいただけるのではないでしょうか。
また、3ヶ月ワークショップで実施しているトレーニング内容とも照らし合わせて書いていますので、クラスを受講される方はぜひ参考にしてみてください。
(7-9月期は募集を一旦締め切りました(追加募集を行う可能性がございます。お待ち下さい))
トレーニングは一朝一夕で修了できるものではありません。
この流れを一巡するだけでも、ある程度の時間がかかりますし。
そこからさらに二周目、三周目と学んでいくことで、技術力は「らせん階段」のように上がっていくものです。
皆さん、がんばりましょう〜!!
五感と、孤独のトレーニング
まず。
俳優が「役を生きる」ために必要な第一歩は、俳優自身の「五感」のトレーニングです。
この内容は大きく分けて、
▶︎普段から無意識に使っている五感を「意識的」に使っていくこと
▶︎「想像」の中で五感を使う
という2つのことが言えるでしょう。
ここが意識的でなく、かつ想像に頼れないと、台本上の虚構の世界を体感する=生きることはできません。
そして、この五感を使うためにも、リラックスということを学びます。
また、これを訓練する過程で、スタニスラフスキーが提唱した「観客の前の孤独(公衆の孤独)」を手に入れます。
観客の前にいながら、まるで自分がその空間に「たった一人」であるというような感覚。
周りに人がいることが気にならない感覚。
誰かに見られているということから解放された、リラックスして集中した感覚。
この感覚と集中力が養われるのです。
なお、これを俳優が手にすることで、舞台上と客席との間にある「第四の壁」が生まれます。
なお、3ヶ月ワークショップのベーシッククラスでは、まずここからトレーニングをスタートします。
このメニューの中には自宅でも出来るものがたくさんありますから、ぜひ日々の訓練として活かしてみてくださいね。
▲たとえば、針に糸を通す作業。これを「無対象」で実行したりするという、めちゃくちゃ地味なトレーニングも非常に役立ちます。
相手役とのコミュニケーション
この感覚と集中力が備わってきたら、いよいよ「相手役」の登場です!!
一人ではできていたことも、相手役が目の前に現れてコミュニケーションを取ろうとすると、さらなる技術力が必要になります。
まず。
ここから演技の対象は「相手」になりますから、相手にどれだけ注意を集中し続けられるかが最重要課題になります。
相手役との間で行われるコミュニケーションは、まさに「エネルギーの交流」です。
そのエネルギーをどれだけ外に逃さず、相手との間で大きく膨らませることができるか。
これはまるで、どんどん白熱していくテニスのラリーのようなものです。
少しでも集中力を欠いた途端、ボールを落としてしまいます。
そこから徐々に、言葉(セリフ)を乗せていきます。
ある想像上の状況の中で言葉を交わすと、その言葉の裏側に「サブテキスト」が流れ始める。
こうやって、俳優はだんだんと役の「内面的な人生」へと向かっていくのです。
ちなみに、役を生きる演技において、相手に注意を傾けることがなぜ必要なのかを、"神経細胞" という科学的な側面から解説した記事がありますので、ご興味ある方はぜひ読んでみてくださいね👇
3ヶ月ワークショップでは、この段階で、マイズナー・テクニックによる "レペテーション" というトレーニング方法を使用します。(※)
相手役との、ラリー。
エネルギーの増幅。
内面的な、サブテキスト。
レペテーションは、それらを訓練するのに、とても優れた方法だと思います。
(※俳優に負担をかけない安全なラインまでとしています。長時間繰り返したり、相手に詰め寄るような方法や、感情を過剰に開放するようなことは一切実施しません。)
この、レペテーションを使った「ラリー」のトレーニングで、その場の相手と演技を合わせていくという技術力が獲得できます。
俳優の演技が、とてもライブ感覚に溢れた自由で瞬発的なものへと変化していくのです。
また、五感のトレーニングと同様に、「自分と役との境界線が消失するような体験」の獲得へと向かっていくことができます。
たとえば俳優の中に、まるで俳優自身の考えのように本当に「役の思考」が生まれてきたりするのです。
でも、安心してくださいね。
それは決して、「自分と役の区別がつかなくなる」といった危険なものではありません。
(これについては、また別の機会に詳しく記事を書いてみたいと思います)
こうしたトレーニングは、俳優の感覚やインスピレーションをふんだんに使った、とても創造的なものです。
だからこその難しさを感じてしまう部分もあるかもしれませんが、できるようになってくると、きっと俳優にとって一番「楽しい!」と感じる段階になるはずです!!
▲いよいよ、人と人とのドラマが始まります!!
心と身体のつながりと、コントロール
まず、このあたりまでが、俳優の「楽器」のトレーニングの "基礎の基礎" 部分と言えるでしょう。
ピアニストで言えば、鍵盤を正しく叩けるようになって、入門の短い練習曲を弾き始めたあたりです。
なお、このへんで少しずつ「台本読解」を学んでいけると良いと思います。
ピアニストが、「楽譜の読み方」を勉強するのと同じですね。
読解についてはオンラインの「台本読解塾」でレクチャーしています👇
(※『台本読解塾vol.6』は本日販売終了です!)
今回の記事では、「楽譜の読み方」ではなく、俳優という「楽器」のトレーニングについてお話ししたいと思いますので、話題をそちらに戻しましょう。
舞台上にいても、その場に集中でき、観客や演出家の視線を気にしなくなった。
五感を使って、想像の状況を感じ取れるようになった。
相手とのコミュニケーションの中で、瞬時に相手に対応できるようになった。
「役」としての思考や感覚を体験できるようになった。
ココまで来ましたね!!
このあたりまで来ると、俳優の中で「心と身体のつながり」を実感できてくると思います。
心が反応すると、同時に身体も何らかの反応を起こす。
逆に、身体を動かすと、心もそれに釣られて動く。
心の中で「嬉しい!」と感じた時、自然と身体は「バンザイ!」のポーズを取る。
逆に、身体で「バンザイ!」のポーズを取ると、自然と心も軽くなって、嬉しいような「解放された気持ち」が湧き上がる。
この「心と身体とのつながり」に気づき、扱うことが、「役を生きる」ための演技術の中核となります。
スタニスラフスキーは、「身体の反応がない心の動きはあり得ない。同じく、心が反応しない身体の動きもあり得ない」と説きました。
ここからは、そうした、いわゆるスタニスラフスキーの「身体的行動のメソッド」の獲得へと向かっていきます。
すなわち、「心の動きを誘発する身体の演技」であり、これを習得することで、俳優が「役を生きる」という奇跡の演技を計画的に行うことができるようになるのです。
……ちょっと話が難しくなってきてしまいましたね
いずれにせよ、ここからは、「役を生きる」という奇跡体験を演技で実現するために、さらに「コントロールされた俳優の身体」をトレーニングしていくことになります。
たとえば、呼吸のコントロール。
呼吸のテンポを早くすると、自然と心は落ち着かなくなり。
深呼吸すると、心は穏やかになる。
そうやって、役の状況に合わせた呼吸を手に入れることで、心の動きを引き出すことが可能になっていきます。
また、呼吸は、相手役の演技との歩調を合わせるのにも大変役立ちます。
文字通り「呼吸を合わせて」演技をするのです。
呼吸のほか、演技のリズムやテンポのコントロールも重要ですね。
しっかり身体を制御して、その時その時で必要なテンポを刻むことが大切です。
呼吸、リズム、テンポ……
こうした部分のコントロールを誤ったり、意識が行き届いていなかったりすると、そこから誘発される心の動きや相手役との演技が変わってしまったり、チグハグになってしまいますね。
また、この段階になるといよいよ、「観客」を意識した演技の構築を考えることが求められます。
呼吸が乱れたり、リズム、テンポがいい加減な演技は、観客を正しく導くことができません。
余計な動作が混ざっている演技をすると、観客の注意はそこに向かってしまい、肝心な情報を受け取り損ねてしまうのです。
トレーニングの初期段階では、客席と舞台との間には「第四の壁」があり、「観客の前の孤独」に集中することを学びます。
しかしそこから、ある段階になると、「観客のことを考えた演技」の学びが必要になるのですね。
ただしそれは、観客に「媚びる」演技や「説明的」な演技とはまったく異なるものです。
ここが、きちんとした手順で学ばないと一番混乱を起こしやすい部分なので、くれぐれも注意してください。
本当に「やるべきこと」だけをやる
役に必要な「やるべきこと」は、何か?
それが明確になると、俳優の身体の動きにムダがなくなます。
それはとても美しく、洗練されていて、力強い表現力を備えたものになります。
しかし、俳優が訓練されておらず、身体をコントロールしきれていない場合。
役の「やるべきこと」がいくらクリアになっていようと、やるべきこと以外の「余計なこと」、つまり「雑音」が混ざってきてしまいます。
余計な雑音が混ざるということは、その音楽は正しく演奏されていないのと同じです。
その分、心の動きは鈍くなったり、違う動きをしてしまう。
観客にとっても同じで、観客に届いているのは「雑音の混ざった曲」であるか、もはや「違う曲」になってしまうのです。
実人生では、それ(雑音が混ざっていること)はとても自然なことであり、ある意味で実人生の「リアル」です。
しかし、劇空間においては、それは「リアル」とは言えません。
映画の世界では、「意味のあるもの以外は、画面に映してはいけない」と言います。
なぜなら、「画面に映ったものはすべて、観客にとっての『情報源』となる」から。
たとえ監督が意図しなかったものであったとしても、そこに映り込んでいるものから観客は想像を膨らませ、キャラクターの気持ちを推し量ったり、作品を解釈するのです。
演技でも、これは同じです。
もし、俳優が自分の身体を制御しきれておらず、たとえば「チラッと視線が動いた」としたら……?
俳優は「偶然」とか「クセ」とか言うかもしれませんが、観客は「そちらに誰かがいる」と感じたり、「キャラクターは緊張している」という風に考えます。
一方、しっかり制御された身体から繰り出される動きは、とてもシンプルでクリアな意味を持ちます。
とても高純度で、力強い表現力を発揮するのです。
なお、こうした「身体の制御」は、セリフの発声や滑舌なども含みます。
非常に残念なことに、俳優の基礎的なトレーニングが「発声、滑舌、セリフの言い方」だけで終わってしまっているケースも多いように感じます。
演技における発声、滑舌の「位置付け」を、ぜひ見直してみましょう。
▲その身体や心が制御されたところから、本当の自由は始まります。これは、訓練を積んでいない人にとっては未知の領域なのです。
まとめ
演技は、音楽にとてもよく似ていると思います。
(僕はミュージカルの舞台への出演が多かったのですが、そのお陰で、「演技が音楽に似ている」ということを実践の中で掴みやすかったのかもしれません……)
役の行動は、音楽と同じように、時間とともに流れ、展開していきます。
それが途中で途切れることはありません。
音楽が流れ、展開すると。
それを聞いている人の心は、なんらかの感情に満たされる。
それと同じように、舞台の上で演じる人も、それを見る人も。
行動の連鎖から、感情を手に入れます。
雑音がなく、しっかり制御されたピュアな音楽=演技は、美しく、力強いものです。
ただし、いくら制御されていても、それが演奏者=俳優の心と繋がっていなければ、ただカタチだけが整った、カラッポで退屈なものとなる。
素晴らしい楽曲を演奏するためには、楽器演奏の訓練を積まねばならず。
楽譜も読めなくてはいけない。
俳優も、まるで音楽家のように。
一歩一歩、地道に訓練すべきです。
そして、オーケストラの演奏が共同作業によるアンサンブルであるように、演技もまた、俳優同士のアンサンブルによって紡がれる素晴らしき想像の世界なのです……。
最後に。
今回の記事でご紹介したカリキュラムは、当然ですが、俳優トレーニングのすべてではありません。
ただ、「五感」から始まるいくつかの項目としてお伝えした内容は、訓練の全体像やゴールを確認するための大まかな "ガイドマップ" になると思います。
このガイドマップの中で、3ヶ月ワークショップのカリキュラムをお伝えすると……
▶︎ベーシッククラスでは、「五感」「コミュニケーション」「身体と心のつながり」といった基礎トレーニング。
▶︎続く会話クラスでは、基礎トレーニングの続きと、台本読解を取り入れてのシーンワーク。
▶︎さらに上級の身体クラスで、より細やかな身体のコントロールにも踏み込みながら、さらなる高い表現力を目指す。
こんな学習目標になっています。
7月からのクラスを受講される皆さま、ぜひ楽しみにしていてくださいね!!
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