明日、9/29(木)
「俳優のための演技クラス」
セリフを使用しない "サイレント・アクト" のエクササイズや、"エチュード" と台本を行き来しながら演じていくシーンワークで、演技に磨きをかけていく1日限定のクラスです。
現在、残り1名様の空きがございます。
ぜひ、ご参加くださいね!!
なお、お申込みいただいた方には、当日の案内と使用するテキストをメールにてお送りいたしましたので、ご確認ください。
詳細・お申込みは、こちら👇
……さてさて、本日の話題。
「ちゃんと役を生きられていないかもしれない……。」
こうした悩みや戸惑いは、多くの俳優が経験します。
その中で、そうしたお悩みを抱いている方が陥っているかもしれない、ある問題についてお話しします。
役を生きる、とは。
例えば、役について想像を巡らし、役の痛みを感じること。
「もっと役の痛みを感じて!」
「もっと想像して!」
「もっと役に集中して!」
でも。
いくら想像しても、その痛みを感じられない。
役になり切ることができない。
「役の痛みをそこまで実感できません…」
「やっぱり、役になりきれていないように思うんです…」
「役と自分が重ならない、結局違う人間に感じてしまう…」
「私は、演技に集中できてないのでしょうか…?」
う〜ん……
「役になりきる」って、何??
どこまで感じられたら「なりきれた」ことになるの??
……そういう悩みを感じたことのある方。
ではここで、ぜひやってみて頂きたい実験があります。
想像してみてください。
「あなたの役は、今、戦場にいます。
そして、敵の兵隊が撃った弾が、あなたの太腿を貫通しました!!」
さぁ。
その痛みを、今、感じてみてみましょう……。
もっと、想像して!
もっともっと、想像して、撃ち抜かれた痛みを太腿に感じて!!
……いかがでしょうか?
その痛みを想像し、実際に感じられた方はいますか??
太腿に神経を集中して、想像を巡らせているうちに、筋肉がジワっとうずくような感覚を手に入れられた方はいらっしゃるかもしれません。
肉が裂け、出血している様子を想像して、ゾッとしたり、その部分の筋肉が硬直するような感覚を味わった方もいらっしゃるかもです。
……でもそれは本当に、太腿をライフルで撃ち抜かれた痛みでしょうか??
おそらく。
その痛みを "本当に" 手に入れるのは非常に困難だと気づいたのではないでしょうか。
▲そこまでは、チョット無理でした……
「もっと想像して、痛みを感じよう!」
「役になりきろう!」
確かに、そうした努力が「役を "本当に" 生きる」という演技に繋がっていることには違いありませんが。
その考え方、捉え方次第で、とても困難な道に迷い込んでしまいます。
つまり、身体的のみならず、内面的にも。
役との完全一致を求め過ぎるあまり、「ライフルで撃ち抜かれた傷の痛み」のように、延々と「手に入らない」という欠乏感に悩み続けてしまう可能性があるのです。
そうやって、一生懸命に「役と一体化しよう」と想像を働かせているのに、いつまで経っても「役の痛みを感じない」と悩み続けてしまった結果、
「その痛みを感じないから、自分の演技はダメなのではないか?」
「俳優の才能がないのではないか?」
そんな風に、自信を失くしてゆく……。
「役になりきれていない気がする」というお悩みを抱えている俳優さんたちのご相談を聞いていると、どうやら、このケースに陥っている方が少なくないようなのです。
▲いくら手を伸ばしても、捕まえられない……。
それは「役を演じる」ということの捉え方、考え方に原因があるのかもしれない。
さぁ、どうする??
……え!?
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
僕はこのブログで、常に「役を "本当に" 生きる」ということにこだわってきました。
僕がアクティング・コーチとして教えている演技メソッドも、漏れなくこの考え方に則っています。
ところが今回、僕がここまでお伝えしてきたことは、「俳優は役の痛みを味わえない」というように聞こえますよね??
それって、そもそも「役を "本当に" 生きる」演技って言えないんじゃない!?
そんな疑問を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、ちょっとお待ちください。
僕は決して、自分の信念を曲げたわけではありません!!
話は、ここから。
実はこれ、リアリズム演技を理解するのにとっても重要な内容なのです。
そして、この「演技における『リアリティー』という言葉を、どう捉えるか?」の問題は、世界中で議論の的にもなっているんです……!!
▲その結論、ちょっとお待ちください!!
この問題、すごく重要なことなので、ぜひ最後までお付き合いください。
映画『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーの演技は、全世界が熱狂するほど素晴らしいものでした。
その撮影初日のこと。
ジョーカーが、主人公のバットマンに尋問されるシーンから撮影はスタート。
この場面の中で、ジョーカーはバットマンに "殴られる" のですが……。
その演技に差し掛かった時、ヒース・レジャーはバットマン役のクリスチャン・ベールに、こう頼んだそうです。
「本当に俺を殴ってくれ」
クリスチャン・ベールはそれに反対していたそうですが、結局、撮影の時には本当に殴ったのだとか。
つまり。
ヒース・レジャーは「殴られた痛み」が想像だけでは手に入らないことを知っていたので、本当に殴られることで、その痛みを手に入れようとしたわけですね。
▲映画『ダークナイト』より、ジョーカー役を演じたヒース・レジャー。
こうした例は、ほかにもあります。
映画『マラソンマン』で、主演のダスティン・ホフマンは。
拷問で3日間眠っていないというシーンを撮影するのに、本当に3日間眠らずに撮影現場に現れました。
それを見た相手役の名優ローレンス・オリヴィエは、こんな風に彼をたしなめたそうです。
「君、何を言っているんだ?
これは演技なんだから、演じればいいんだよ。」
▲映画『マラソンマン』より。アメリカのメソッド演技俳優ダスティン・ホフマン(下)と、イギリスの名優ローレンス・オリヴィエ(上)の一騎打ち。
日本の俳優でも、三國連太郎さんや松田優作さんが、役作りのために実際に歯を抜いたという話は有名です。
▲三國連太郎さん。映画『異母兄弟』での老人役(右)を演じるため、10本の歯を抜いたのだとか……。
しかも、他のシーンとの都合をつけるため、早く治るよう "麻酔なし" で抜いたと言われています。
▲映画『野獣死すべし』の松田優作さん。頬がこけて見えるよう、4本の奥歯を抜いたそうです。
こうした「役になりきる」という話は、リアリズム演劇の歴史の中で、これまで、美談のように語られていました。
(確かに、その努力や心意気は凄いです。)
しかし近年は、この過剰な役作りを問題視する声が非常に強いんですね。
その問題点で一番言われることは、こうした演技が「身体的、肉体的に不健康である」ということです。
特に、内面的な「なりきり」の演技は、精神を破壊する恐れが指摘されています。
殴られた痛みを手に入れるために、演技で本当に相手に殴らせるように。
心の痛みを手に入れるために、俳優自身のトラウマを掘り起こして、心の痛みを本当に再現しようとする。
そうした試みの結果、数多くの俳優たちが、パニック症状などの精神疾患を患ってしまうのです。
『マラソンマン』のローレンス・オリヴィエは、きっと、そのことを指摘していたのでしょう。
「3日間眠らずに現場に来るというのは、ライフルで撃たれた痛みを手に入れるために、本当に自分をライフルで撃ち抜くのと同じことだよ。」
ということを伝えたかったのだと思います。
さぁ、あらためて。
「役になれない」と悩んでいる方は、そうした "過度なリアリティー" を求めていませんか??
周囲が見えなくなるくらい、自分を見失って分からなくなるくらい、役に没頭しなくてはいけないと思っていませんか??
もう一度お断りしておきますが、これは世界的にも議論になっており、一つの正解が出ているような問題ではありません。
したがって、僕がお伝えする内容も、それが「正しい、謝っている」といったことを断定するものではありません。
しかし一方で、この議論が現在、どういった方向に傾いているのかという流れも踏まえつつ。
このブログでは、しっかり、根拠のある見解をお伝えしていこうと思っています。
今回の記事では、話題を分かりやすくするために、「ライフルで撃たれた痛み」や「殴られる、眠らない、歯を抜く」といった ”身体的" な事例にフォーカスしましたが。
次回は、さらに "内面的" な事例にも踏み込みながら、「役を "本当に" 生きる」ということの最適なバランスを探っていきたいと思います。
▶︎明日、9/29(木)
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