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残席は、以下の通り。
【火曜クラス】
▶︎ベーシック:2名様
▶︎会話:1名様!!
【金曜クラス】
▶︎会話:締切りました
▶︎身体:余裕あり
▶︎ベーシック:締切りました
金曜日は、ベーシック、会話ともに定員に達したため、募集締切とさせていただきました🙇♂️
他のクラスはまだ空席がありますので、ぜひお早めに!!
……さて。
今回は、知っておくべき「リアリズム演技の歴史」のお話。
これは、リアリズム演技を扱う俳優にとって、その「現在地」を知るためにも大変重要なだけでなく。
こうした歴史的背景や成り立ちを知っているか否かで、俳優が「やるべきこと」の理解度も大きく変わると、僕は考えています。
ワークショップの中でも、折に触れてお伝えしている内容です。
西欧から、日本へ
まず最初に。
僕らが観たり演じたりしている「現代演劇」のルーツは、西欧にあるということを確認しておきましょう。
日本に古くからある演劇は、能や狂言、歌舞伎などがありますね。
こうした様式的な日本の演劇業界に、19世紀末〜20世紀にかけて西欧の「リアリズム演劇」の技法が入ってきて、今日皆さんがテレビや映画で見ているような現代の演劇の形へと繋がっています。
そのため、こうした演技の歴史について考えようとすると、西欧のお話が中心となります。
出てくる名前がカタカナばかりになってしまうのは、そのためなんですね……。
演劇の長い歴史
演劇の歴史は、2500年前まで遡ると言われます。
「ギリシャ悲劇」です。
この時すでに、「劇場、俳優、脚本、観客」という演劇の基本構造は出来上がっており、今なお世界中で上演され続けています。
そんな、長い長い歴史のある西欧の演劇ですが。
実は、20世紀に入るまで、その演技法に統一された決まりや方法がありませんでした。
各劇団、団体の中で「徒弟制度」によって演技術が伝えられるだけ。
それぞれの場所で、勝手にやってたわけですね。
しかし、ある時。
こうした西欧演技の歴史が大きく動くことになります。
その最大のきっかけは、18世紀半ば以降に巻き起こった「産業革命」です。
19世紀半ばの変革
西欧で産業革命が巻き起こったことにより、庶民の生活に「豊かさ」がもたらされました。
しかしここで、庶民たちは、あることに気づきます。
「私たちの生活は、豊かになった。
だから、人生は幸せになるはずなのに……
なんか、幸せじゃなくない??」
生活の貧しさ、苦しみから解放され、自由と豊かさを手にした庶民たちが気づいたのは、自らの中にある「心」の貧しさ、苦しみ。
自分たちは「心の迷い子」であり、それを解決しない限り、本当の幸せは訪れないのだ……。
こうして、19世紀半ば頃にかけて、庶民たちの考え方は大きく変わっていきます。
さらに、それまで王侯貴族たちの娯楽だった演劇は、庶民の間でも楽しまれるようになります。
さぁ。
こうした時代の変化、人々の意識の変化を放っておかないのが、芸術家たちです。
庶民たちよ!!
自分の幸せを阻む「本当の敵」は、他でもない、「自分の心の中」にいたのだ!!
19世紀半ばになると、それに気づいた庶民たちに向けて、多くの作家や劇作家がそうした「自分の心の中にある葛藤」を描いた作品を世に送り出しはじめます。
そこに登場する主人公も、それまでのような王侯貴族ではなく、ノルウェーのヘンリック・イプセンによる『人形の家』や、ロシアのアントン・チェーホフによる『かもめ』に代表されるような、一般庶民の物語へと移り変わっていきます。
……これ、どういうことかというと。
19世紀半ば "以前" の演劇で描かれていた物語は、主人公の敵は自分の「外」にいたんですね。
たとえば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』。
若き二人を引き裂く「敵」は、自分たちの心の中ではなく、「家同士の争い」という、二人の「外」に存在します。
このように、シェイクスピアをはじめ、ギリシャ悲劇などといった古典演劇では。
その多くは「主人公が "運命" にどう立ち向かうのか?」といった、「自分の外(=運命など)」に敵がいるというのが大前提となっています。
しかし、19世紀半ばを境に。
演劇における物語は、その敵を「自分自身のココロの中」へと求めるようになったわけです。
現代の演劇が「役の内面を描く」ことを重視しているのは、こうした理由によるものなのですね。
ちなみに。
この、19世紀半ばごろになって演劇の世界に本格的に登場した、ある "役職" があります。
「演出家」です。
それまで、演出家の仕事は、劇作家や主演俳優が兼ねていたのですが。
作品が登場人物の内面を描くことによって、読み手に「解釈」を求めるようになったことや、産業革命に伴う舞台機構の進化といった理由から、演出家という専門の役職が必要とされるようになったのです。
俳優が、いない!?
さぁ。
いよいよ、演劇の世界で「心の中の問題」が最大のテーマとなる時代がやってきました。
……ところが、ここに大問題が発生します!!
主人公の心の葛藤に焦点を当てた作品群が書かれるようになったのは良いのですが、今度は、「それを舞台上で表現できる俳優がいない!!」という問題が持ち上がったのです。
なぜなら。
これまでの長い間、西欧における俳優育成は、それぞれの団体が各自バラバラの「徒弟制度」のもとで行ってきてしまったために、その方法に統一見解も共通言語もなく。
その結果、「役の内面」を描き出す事ができる俳優がいなかったのです。
有名な話として、チェーホフの『かもめ』初演(1896年)の大失敗があります。
これはまさに、チェーホフの作品を表現する方法を持つ俳優がいなかったが故の失敗だと言われています。
……さぁ、困った。
素晴らしい台本はあるのに、それを表現できる俳優がいない。
そこでいよいよ登場するのが、ロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーです。
1898年、モスクワ芸術座によって再演された『かもめ』では、スタニスラフスキーを演出家に迎え。
その結果、公演は大成功を収めるのです!!
これを機に、スタニスラフスキーを中心に、近代のリアリズム演技の技法が研究されてゆきます。
人間の「内面」を演じられる俳優を育成するため、徒弟制度ではなく、共通言語となる「体系化された俳優トレーニング法」の開発に乗り出したのです。
これが、スタニスラフスキー・システムです。
……実は。
こうした俳優育成の「共通言語」の開発という発想の背景には、我々日本も含む「東洋演劇」がお手本になっていたとも言われています。
「東洋には、それぞれの国ごとで、体系化された俳優のトレーニング技法がある。
だから、俳優たちの技術が発展してきた。
しかし西洋にはそれが存在しないがゆえ、演技技法が発展してこなかった。
だから、東洋に倣って、我々西欧諸国も共通言語を持とう!!」
"システム" 開発の裏側には、そうした東洋演劇への想いもあったそうです。
その後。
スタニスラフスキーによる "システム" は、1920年代に海を渡り、アメリカでも大きな発展を遂げました。
リー・ストラスバーグ、ステラ・アドラー、サンフォード・マイズナーらがその代表です。
また、スタニスラフスキーの弟子であるマイケル・チェーホフ(作家アントン・チェーホフの甥)もまた、ロシアから亡命した後にアメリカへと移り住んで、彼のテクニックを世界に広めました。
"システム" は、1920年代にイギリスにも上陸しました。
その頃のイギリス演劇界は、『「感傷的な陳腐さ」によって破滅的な状態』(注:『チェーホフをいかに上演するか』より)に陥っていたとも言われますが、そこに "システム" が導入され、今日の「世界最高峰の演劇大国」へと発展を遂げるのです。
こうした歴史的な流れを見ていくと、スタニスラフスキー・システムが世界の近代〜現代演劇の「土台」であり「共通言語」であるという理由がご理解いただけたのではないかと思います。
なお、スタニスラフスキー・システムの夜明けから世界各国へと広がっていく過程は、こちらの『チェーホフをいかに上演するか』という書籍に詳しく書かれています👇
まとめ
いかがでしたでしょうか?
その歴史的な成り立ちを知ることは、それそのものの「本質」を理解し、技を深めるためにとても役立ちます。
これは、演技の世界だけでなく、音楽やダンス、絵画……その他の、どんな芸術の分野でも同じでしょう。
少しでも、皆さんの演技の学びや、俳優活動へのヒントになっていたら幸いです。
現在、3ヶ月ワークショップ(7月〜9月期)の受講生を募集しています。
スタニスラフスキー・システムとマイズナー・テクニックを中心に、僕が実際に俳優活動を通して実践・検証してきた「使える」演技メソッドをお伝えしています。
残席が少なくなっております。
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