James Setouchi
2024.10.12
鈴木秀人『変貌する英国パブリックスクール スポーツ教育から見た現在』
世界思想社 2002年
1 著者 1961年東京生まれ。東京学芸大助教授(出版当時)。専門はスポーツ教育学、体育科教育学。著書『スポーツの国イギリス』など。
2 一言で言うと・・
英国パブリックスクール(注1)の特に課外活動・体育の授業などに焦点を当て、その現在を描く。取材したのは20世紀末、特に1988年の教育改革法(保守党のサッチャー首相が行った)以降、1990年代後半の、変貌するパブリックスクール、なかでもウィンチェスター・イートン・ラグビー・ハロー四校である。それらは、全体の傾向として、男子校だったが共学化し、全寮制だったが自宅通学生を受け入れ、かつ外国からの留学生を受け入れている。英国全体の教育改革の波の中で、学力における成果を出さなければならないというプレッシャーのなかで、変貌している。
2 いくつか面白いかもしれない点(要約ではないが、こんなことが書いてあった。)
(1) 公立学校と違いナショナル・カリキュラム(公立学校が目指す共通のスタンダード)の支配から独立しているが、実際には影響を受ける。また大学入学資格試験の影響もある(第1章)
(2) ラグビー校では、週に3回、半日休日の日がある。木曜は軍事教練か社会奉仕活動かを行う(第4章)。火曜と土曜は校内で課外活動に打ち込む。秋はラグビー、冬はホッケー、春はクリケットと陸上競技(ラグビー校の男子の場合)など、季節によっていろいろな種目を行う。校内における生徒同士の対抗戦を熱心に行う。(注2)(第2章)
(3) 体育教師は、単に身体訓練をすればいいのではなく、課外活動のゲームによって19世紀的な「人格形成」(注3)に偏るのでもなく、現代における教育の専門家であろうとしている。(第3章)
(4) 生徒たちの多くは、課外のスポーツを楽しんでやっている。学業のプレッシャーは大きい。「競争の場は運動場から試験場へと移行した。」またラグビー校でさえラグビーよりもサッカーが人気だ。パブリックスクールは変貌しつつある。(第4章)
(5) ウィンチェスター校ではウィンキーズという伝統のフットボールがある。泥んこの中で選手が群がってボールを蹴りあう。イートン校のフィールド・ゲームは、サッカーとラグビーの混ざったようなもので、ボールを蹴るけどスクラムもある。イートン校のウォール・ゲームは、スクラムを組んで延々と押し合うもの。ラグビーとサッカーに分化する以前のフットボールの姿がこれらにはとどまっている。19世紀前半に非行防止の手段として取り入れられたものだ(終章)が、19世紀後半には大英帝国の兵士としての「人格を形成」するためにこれら課外活動のゲームはよいものとされた。(注4)(第5章)
(6) パブリックスクールの共学化は1968年のマルバラ校に始まる。2001年には、セドバー校(男子校でラグビーも強いのが特徴だった)もついに共学化に踏み切った。留学生を入れ、全寮でなく通学生を入れ、共学化をするのは、社会の変化による。女子を入れると、スポーツの種目も多様化するであろう。(第6章)
(7) パブリックスクールと呼ばれる学校とそうでない学校の違いは、どこにあるのだろうか。(第7章)
(8) いじめやドラッグの問題も少しだがある。(終章)
3 注釈 (私的コメントを含む)
注1 英国では「パブリックスクール」は公立ではなく私立。中等学校。大体日本の中学~高校の年齢にあたる生徒が学ぶ。学費は高い。厳密な定義はないが、伝統的に上記四校ほかいくつかのエリート校を「パブリックスクール」と呼ぶことが多い
ここから「パブリック」とは何か? 「公」とは何か? を考えることもできる。 イギリスでは、「私」が複数集まって構成するのが「パブリック」「公」だったのだろう。日本の公立学校(市立中学校や県立高等学校)とは概念が違う。もちろんイギリスにも公立学校はある。ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょとブルー』に生々しく書いてある。では、日本の学校はどうすべきかというと、私立エリート中高一貫校(イエズス会の栄光学園など)がそれぞれ特色ある教育をしているのは大変結構なのだ(戦前のように教育が統制されてはいけない)が、現状では金持ちの子が私立に行き超難関大学や有名私立大学に進学していることを考えると、公立中学・高校でも十分な学力を保障し将来が開けるようにすることは、社会正義(公正、というべきか?)の観点からも大切だろう。平たく言えば、経済格差・地域格差なく東大や早慶上智に進学できるようにする。または地方国立大学で東大京大に負けない学びができるようにする。意欲と能力さえあれば誰でもそこに参加できるようにする。但し私立も公立も難関大の受験予備校化している状況はよくない。では、どうすればいいのか?(名古屋の私立東海高校は仏教のいい教えを保持しているはずだ。梅原猛という素晴らしい著述家もそこの出身だ。が、残念な事件で有名になった。別の機会に細論できたら嬉しい。)
注2 これは、日本の部活動のありかたとは、ずいぶん違うものだ。日本で私たちが目にする部活動は、「毎日やる、一つの種目(部)を3~6年間やり通す、対外試合・大会で勝つことを目指す」ものが多いが、英国のパブリックスクールの課外活動は、そうではない、とこの書からわかる。(英国パブリック・スクールでは、課外活動で週に2回、季節によって多様な種目をやる、対外試合ではなく校内寮対抗で、時々名門ライバル校との伝統の一戦がある。インターハイなどそもそも存在しない。ホグワーツのクディッチを見よ。校内寮対抗だ。多少姉妹校との伝統の一戦がある。)
注3 (5)及び(注4)参照。
注4 『シャーロック・ホームズ』を書いたコナン・ドイルは、スポーツ万能で、まさにこのような帝国主義的身体観の持ち主だった。白人男性至上主義で、ボーア人を抑圧する戦争を支持し、女性参政権に反対した。現代においては超克されるべき思想であろう。 *なお、上の文章は基本的に本書刊行の2002年当時の英国の状況に関するものであり、その後の英国の変化は考慮に入れていない。
→それが大日本帝国に学校教育を通じて導入され、帝大・旧制高校・旧制中学のスポーツ・体育のあり方に大きな影響を与えた。よく言えばエリートの紳士のスポーツ、悪く言えば上から目線の支配者のスポーツだ。帝国主義的身体観により心身を鍛えてアジアの支配者になろうとしたのだ。これに奇妙な「武士道」のようなものが接合した。かの野蛮で全体主義的な体育会的部活動はそれだ。「勝つための運動部」「他を支配し、いや、サド・マゾ的に自ら精神的に支配されるための軍隊式運動部」!? いや、文化部ですらそれに汚染されている場合がある。どこかの吹奏楽部とか・・・!? ステージで、運動部の、マスコミから「闘将」と呼ばれる鬼監督そっくりの、厳しい面構えの指揮者が、サッと右手を挙げると、90人もいる大人数の吹奏楽部員全員が、その瞬間、間髪を置かず一斉に楽器を持ち上げた。真剣な眼差し! よく言えば集中している、悪く言えば・・うん、どこかの全体主義的運動部と同じだった。「勝つための音楽」「勝つための軍隊式吹奏楽部」!? そうではない文化部や運動部もたくさんあるはずなのに・・・?
→武士道・武道論のところもお読み下さい。 2024.10.12
(教育・学ぶこと)灰谷健次郎『林先生に伝えたいこと』『わたしの出会った子どもたち』、辰野弘宣『学校はストレスの檻か』、竹内洋『教養主義の没落』、諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?』、福田誠治『競争やめたら学力世界一』、今井むつみ『学びとは何か』、広瀬俊雄『ウィーンの自由な教育』、ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、宇沢弘文『日本の教育を考える』、青砥恭『ドキュメント高校中退』、内田樹『下流志向』、瀬川松子『亡国の中学受験』、磯部潮『不登校を乗り越える』、ひろじい『37歳 中卒東大生』、柳川範之『独学という道もある』、内田良『教育という病』、広中平祐『生きること 学ぶこと』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、宮本延春『オール1の落ちこぼれ、教師になる』、大平光代『だから、あなたも、生き抜いて』、中日新聞本社『清輝君がのこしてくれたもの』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、堀尾輝久『現代社会と教育』、藤田英典『教育改革』、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』、五神真『大学の未来地図』、吉見俊哉『文系学部「廃止」の衝撃』、福沢諭吉『福翁自伝』、湯川秀樹『旅人』、シュリーマン『古代への情熱』、ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』などなど。 H29.5
(スポーツ論)(スポーツ関係。フィクションも含む。)『スポーツとは何か』(玉木正之)、『近代スポーツの誕生』(松井良明)、『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄)、『変貌する英国パブリック・スクール スポーツ教育から見た現在』(鈴木秀人)、『日本のスポーツはあぶない』(佐保豊)、『スポーツは体にわるい』(加藤邦彦)、『アマチュアスポーツも金次第』(生島淳)、『文武両道、日本になし』(キーナート)、『スポーツは「良い子」を育てるか』(永井洋一)、『路上のストライカー』(マイケル・ウィリアムズ)、『延長18回終わらず』(田沢拓也)、『強うなるんじゃ!』(蔦文也)、『巨人軍に葬られた男たち』(織田淳太郎)、『海を越えた挑戦者たち』『和をもって日本となす』(R・ホワイティング)、『偏差値70からの甲子園』(松永多佳倫)、『殴られて野球はうまくなる!?』(元永知宏)、『「東洋の魔女」論』(新雅文)、『相撲の歴史』(新田一郎)、『力道山の真実』(大下英治)、『わが柔道』(木村政彦)、『アントニオ猪木自伝』(猪木寛至)、『大山倍達正伝』(小島・塚本)、『武産合気』(高橋英雄)、『氣の威力』(藤平光一)、『秘伝少林寺拳法』(宗道臣)、『オリンピックに奪われた命 円谷幸吉、三十年目の新証言』(橋本克彦)、『タスキメシ』(額賀澪)、『オン・ザ・ライン』(朽木祥)、『がんばっていきまっしょい』(敷村良子)、『オリンポスの果実』(田中英光)、『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)、『古代オリンピック』(桜井・橋場他)、『オリンピックと商業主義』『東京オリンピック』(小川勝)、『学問としてのオリンピック』(橋場弦他)