James Setouchi

2025.6.11

 

この本はどうですか

 『朝日新聞 日本型組織の崩壊』朝日新聞記者有志 文春新書 2015年

 

*すでに10年前の本であり、今はまた違っているだろうが・・

 

 朝日新聞の記者有志が、朝日新聞の会社の体質を批判した書。福島原発事故時の吉田調書問題と、従軍慰安婦問題の吉田(原発の吉田氏とは別人)証言問題とで大きく批判された朝日新聞だが、それは一部の「右」寄りメディアが言うように朝日が「アカ」「左翼」だからではなく、きわめて日本的な組織の病、すなわち官僚的な企業体質と出世競争・派閥争いに原因がある、もし左派・リベラルの記者を全員排除したところで、今の企業体質がある限り、こうした問題は繰り返されるはずだ、と述べる(7~9頁)。たしかに過去において本多勝一のようないわゆる左派の論客がいたことは事実だが、彼も編集委員どまりであり、朝日の社内力学では傍流に過ぎなかった(64頁)。今や社全体とすれば、局長クラスですら、ノンポリ世代が多い(7頁)。

 

 福島原発事故当時の吉田調書問題については、特報部が暴走した。上層部も後押ししたにもかかわらず、問題化してからの対応も悪かった(第2章)。

 

 従軍慰安婦問題における吉田証言問題については、証言者の吉田清治氏が亡くなっているので確認のしようがないが、済州島の島民らへの聞き取りでは、吉田氏の証言は事実では無かった。これも問題化してからの上層部の対応が悪かった(第3章)。

 

 権力闘争、コストカット、大企業への擦り寄り、管理の締め付け、社会部の弱体化などなどで記者たちは萎縮していった(第4章)。

 

 企業研究(第5章)によれば、朝日の不動産は極めて強い(228頁ほか)。また、本書の2014年当時、営業活動のキャッシュ・フローでは、黒字で、うまく回っている。投資活動のキャッシュ・フローでは、フェスティバル・タワーを二棟建てた。財務活動のキャッシュ・フローは、拡大していない。成長性分析では、状況は厳しい。収益性分析では、売上高営業利益率などは黒字ではあるが状況は厳しい。流動性分析では、極めて良好である。(230~233頁)。実は読売や産経も安泰ではない(235頁)。朝日の購読を打ち切った読者のほとんどはライバル誌に移っていない(237頁)。

 

 今やどこの新聞もデジタル化対応を進めていることは知られている(222頁ほか)が、販売店の統廃合や他誌への委託、他誌への委託印刷(反対に他誌からの委託もある)なども進めている(240~241頁)。

 

 以下に私見を記す。

 

1        新聞以前にどこの会社でも派閥闘争や出世争い、内部への監視ばかりにエネルギーを取られると危ういはず。 

 

2        新聞はどこもデジタル化の波の中で苦しんでいる。私は、ネットニュースはあおり記事が多く、新聞紙面の方がバランスもよく信頼も出来る、と考えている。(後述)

 

3        朝日新聞については、会社の体質がどうかについては、知らなかった。上記の記事がどこまで本当かも分からない。が、内部から批判が出来るのは、健全だとも言える。専制的で独裁的なところでは自由な批判そのものが内部から出てこない。 

 

4        上記二つの「吉田」問題は朝日にダメージを与えた。だが、朝日(を含む各マスコミが、と言ってもよいが)が戦後人権、平和、福祉、男女平等などで旗を振り日本社会をいい方にリードしてきたこともまた事実だろう。もしこれらの努力がなかったら、女性の権利は拡大せず、社会保障はもっと切り捨てられ、もっと早く軍拡が進み、私たちは海外の戦場で兵士になっていたかも知れないのだ。にもかかわらず、朝日をたたいていればそれでよい、いった類(たぐ)いの言説が、右ネジのかかった人たちからSNSなどで随分出ていた時期があった。これは残念でならなかった。批判すべき対象は他にもっとあるだろうが!! という思いだった。「朝日」たたきには当時の政権の意図が働いていると私は感じて、残残念だった。

 

5        誤報はどこのマスコミでもあり得る(戦前は大本営発表を記事にし各紙こぞって意図的な大誤報を続けたのだ。戦後も原子力ムラの報道などは電通の支配下に全マスコミがこぞって大誤報を続けていた。各社の記者自身も知らなかったのでは? フクシマ原発事故で初めて多数の国民の知るところとなった。ジャニーズ問題も同様だ。)が、要はそれを超えて真実を追求し続ける姿勢を持てばいいのである。戦後は基本的に優良なマスコミは社会の木鐸(ぼくたく)であった時期が長いし、これからも木鐸であってほしい。TVは視聴率、週刊誌は発行部数、ネットニュース等は閲覧数を競うため、過激であおり立てる表現や記事に走りがちだ。(かつて某有名スポーツ新聞は「ネッシー、愛と哀しみの出産」という記事を写真付きで載せた。はじめから娯楽とわかっていれば楽しいが、まじめ(なはずの)報道でこれをやるのがネットニュースだ。だからネットニュースに踊らされてはいけないのだ。)

 

 

6 これは言わずもがなだが、高校野球は(ファンの人もいるが)高校生が(学生野球憲章の理念に反して)奇妙な競争主義に囚(とら)われ、ろくに勉強もしないで野球ばっかりやっている(全国の監督に聞いてみるといいのかもしれないが、部員のみなさんは、いやそもそも監督さんご自身が、せめて『論語』『新約聖書』『ダンマパダ』『コーラン』『こころ』『罪と罰』くらい通読しているのだろうか? こう言うと「まさかそれは」などと言う声が聞こえてきそうだが、まじめに人生を考えるならばそれらを普通読むだろう? 世界中で聖書を読む人もコーランを読む人もエリート知識人というわけではなく懸命に生きている普通の人であることはおわかりでしょう? 論語は江戸時代は庶民が寺子屋で学んだ、仏教からダンマパダを仮に挙げたがまじめな仏弟子が暗誦したに違いない、キリストの弟子シモン(ペテロ)は漁師だった、コーランも普通の庶民が真剣に学ぶものだ、決して知的スノッブや権威主義的知識人が自己を権威づけるためにしていることではない、普通にまじめに人生を考える人が当たり前に当然読むものだ)、親元を離れた野球留学も含めて十代の生活がかなり歪んでいる、勉強になっていない、このことをきちんと押さえず、高校球児を商品として(また学校の名前を売るための道具として)消費して終わっている。これは視聴者・国民大衆がいけないのだ。朝日は主催者で夏の高校野球を根底から批判できない。読売が巨人を根底から批判できないのと同じだ。相撲協会が相撲協会を根底から批判できないのと同じだ。五輪でもサッカーでもフィギアスケートでもなんでもそうだ。朝日はそもそも野球害毒論・学生野球批判キャンペーンをやっていたのだが(戦前、甲子園の中等学校野球大会開始以前)。論客は新渡戸稲造、嘉納治五郎、乃木希典、名門校校長、文部省高級官僚などなど錚々たるメンバーだ。大きな理由は野球のせいで学力が低下していたからだ。(新渡戸は、野球は相手をペテンにかける賤しい技だ、と批判している。・・・野球に限らず、現代の競技スポーツのほとんどはそれではないか? ここへのラディカルな問いをなぜ人びとは失念しているのか?)

(念のために申し添えるが、野球を好きな個々の人に対して私はディスっているわけではない。私の知人友人で野球の好きな人で、思いやりもあって尊敬に値する人は大勢いる。問題はシステムの歪みとその弊害なのだ。野球を好きだ、というだけでたちまちいびつなシステムに言わば拉致されて、大変な目にあってしまう、否応なく時間を取られてしまい家族も何もかもほったらかしになってしまう(妻曰く「あなたは私と結婚したんですか、野球と結婚したんですか!?子どもがかわいそうでしょう!?」)、気がつけば本人も奇妙な価値観とシステムの再生産者・宣伝マンになってしまっている、そこが問題だ。他の種目、インタハイやインカレや各種競技大会や五輪や国体も同様だ。)

 

*以下は参考になる。

元永知宏『殴られて野球はうまくなる!?』講談社+α文庫 2017年(ドミニカの野球選手の育て方を紹介)元永氏は長島氏と同じ立教大野球部。

永井洋一『スポーツは「良い子」を育てるか』NHK生活人新書 2004年(少年サッカーについて)

織田淳太郎『巨人軍に葬られた男たち』新潮文庫 2003年(長島さんで騒いでいる人はお読み下さい。V9の陰に何があったのか?)(長島氏は2025年6月3日に逝去された。)

橋本克彦『オリンピックに奪われた命』小学館文庫 1999年(マラソンの円谷幸吉=つぶらやこうきち=について)

新渡戸稲造『武士道』

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