James Setochi

2024.10.13

 

   スポーツ関係。*印は小説。下の方に運動会についてもコメント。

 

『スポーツとは何か』(玉木正之)

 

『スポーツ解体新書』(玉木正之)NHK出版

 

『近代スポーツの誕生』(松井良明)・・淵源は同じくブラッディ・スポーツなのに、ボクシングは五輪種目になり、闘牛はならなかった。なぜか? など、示唆に富んだ本。面白い。

 

『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄)・・広島大学の先生。イギリスの社会史と関連。サッカー。勉強になる。

 

『変貌する英国パブリック・スクール スポーツ教育から見た現在』(鈴木秀人)

 

『日本のスポーツはあぶない』(佐保豊)・・特に熱中症。

 

『子どもにスポーツをさせるな』(小林信也)中公新書

 

『スポーツは体にわるい』(加藤邦彦)・・東大理学部の免疫学の先生。

 

『アマチュアスポーツも金次第』(生島淳)・・ウィンタースポーツのくだりが「なるほど・・」と思った。

 

『文武両道、日本になし』(キーナート)・・アメリカには、一流アスリートでかつ法曹・医者あるいは大学教授といった人が結構いるらしい。養成システムの違いもあるが、日本では・・?という本。・・だが、「文武両道」とはそもそも何か? と問いたい。試合で勝って入試の点が取れても、単に嘘つきで女たらしで弱い者いじめをする、利己的でつまらぬ人間だったら?

 

『体育会系 日本を蝕む病』(サンドラ・ヘフェリン)光文社新書

 

『スポーツは「良い子」を育てるか』(永井洋一)・・子供のサッカーを実際に指導しておられる先生。保護者必読。

 

*『路上のストライカー』(マイケル・ウィリアムズ)・・南アフリカの路上サッカー。日本みたいな所だけではない。ジンバブエがすごい。

 

『殴られて野球はうまくなる!?』(元永知宏)講談社+α文庫・・野球関係者必読。

 

『延長18回終わらず』(田沢拓也)文藝春秋・・松山商業対三沢(1969年)。ナインの25年後のその後も追いかけている。

 

『偏差値70からの甲子園』(松永多佳倫)竹書房・・松山東が甲子園に行ったときの便乗本というべきか?

 

『強ようなるんじゃ!』(蔦文也)・・徳島の池田高校。蔦監督はプロ野球から高校野球の監督に。池田高校には、後にプロに入った畠山(南海、ダイエー)や水野(巨人)がいた。だが、彼らはその後どうなったか? また、池田高校のメンバーで畠山や水野ではない多くのメンバーは、その後どうなったか? はこの本には書いていない。

 

『巨人軍に葬られた男たち』(織田淳太郎)新潮文庫

 

『海を越えた挑戦者たち』『和をもって日本となす』(R・ホワイティング)角川文庫・・前者は野茂・伊良部・ダン野村など。後者は・・・面白い。

 

『奇跡のプレイボール 元兵士たちの日米野球』(大社充)金の星社

 

『「東洋の魔女」論』(新雅文)・・バレーボール。1964年東京五輪の女子。

 

『相撲の歴史』(新田一郎)

『力道山の真実』(大下英治)・・朝鮮半島問題も書いてある。

『わが柔道』(木村政彦)・・力道山との関係も書いてある。

『グレイシー一族の真実』(近藤隆夫)文春文庫・・エリオ・グレイシーと木村政彦が出てくる。

『アントニオ猪木自伝』(猪木寛至)・・結構大白い。パナマ海峡を越えるところが印象的。

『大山倍達正伝』(小島・塚本)・・大山倍達(極真空手)の伝記として最も信頼できる、と思う。

『武産合気(たけむすあいき)』(高橋英雄)・・植芝盛平(うえしばもりへい)の語録。

『合気神髄』(植芝吉祥丸)柏樹社

『氣の威力』『「氣」で病を癒す』(藤平光一)

『コミュニケーションの原点は「氣」にあり!』(藤平信一)

 

『こころの達人』(鎌田茂雄)NHK出版・・鎌田氏は東大教授(仏教学)、合気道の達人でもある。宮本武蔵,山岡鉄舟ほかを紹介。実は、山岡鉄舟の弟子の小倉鉄樹の思想が、帝国主義時代の学校の運動部部活動の武士道的精神主義に影響を与えているので、山岡鉄舟は避けて通れない。本書には小倉鉄樹は少し出てくる。

 

『秘伝少林寺拳法』(宗道臣)・・実に面白い本だったが、もう売っていないかも?頭山満の関係で中国大陸に行き活躍するところなど、大変面白い。

 

『一冊で読む剣豪宮本武蔵』(菅井靖雄)成美堂出版・・入門書。宮本武蔵には虚像と実像がある。

 

『修行論』(内田樹)光文社新書・・内田樹はフランス現代思想の先生だが、合気道の達人でもある。

 

『オリンピックに奪われた命 円谷幸吉、三十年目の新証言』(橋本克彦)・・マラソンの円谷(つぶらや)を殺したのは誰か!? 1964年の東京五輪。

 

*『タスキメシ』(額賀澪)・・陸上

*『オン・ザ・ライン』(朽木祥)・・テニス

*『がんばっていきまっしょい』(敷村良子)・・ボート高校女子。映画にもなった。

*『オリンポスの果実』(田中英光)・・ボート。田中英光は昔のロス五輪のボートの五輪選手。恋愛小説。

 

『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)

 

『東京オリンピック』(小川勝)集英社新書

『古代オリンピック』(桜井・橋場他)岩波新書

『オリンピックは金まみれ 長野五輪の裏側』(江沢正雄)

『オリンピックと商業主義』(小川勝)

『学問としてのオリンピック』(橋場弦他)  

 

 以上には、ブラック部活動部活動と体罰・暴力といったテーマの本がない。マスコミ記事などで補われることを望みます。

 また、武士道論・武道論もご参照下さい。

 

 今日は体育の日(スポーツの日)。昔は体育の日は10月10日に固定していた。1964年の東京五輪の開会式が10月10日だった。この日は晴れの特異日だ。私が小学生の時は運動会は10月10日と決まっていた。やがて運動会は9月下旬になり(したがって雨が多かった印象がある)、さらに9月中旬から上旬に上がり(これは、2学期を8月25日から始めるようになった事とも関係している)(お蔭で台風と重なることが多くなり、熱中症も増えた)、さらに5月・6月に運動会をするようになってきた。推薦入試などが秋から本格化するので、前倒しする趨勢にあるのだろうか。

 

 運動会は、旧制中学時代はクラスマッチだったが、戦後のある時期(昭和30年代か)からグループ対抗形式にした。すると、クラスでも部活動でもない第三の居場所ができて、よかったので、近隣校に広がっていった。かけっこや騎馬戦などの競技だけするのではなく、巨大なパネル絵を飾ったり、ダンスや応援を取り入れたりして、多様な活動を取り入れるので、多様な能力の人が参加し活動できるようになったのは、よかった。でも夢中になりすぎて暴走するので、近隣高からは「青春の無駄づかいだ」と批判されることもあった。

 

 明治以降の運動会の歴史については、上記玉木正之の本を御覧下さい。また、坪内逍遙『当世書生気質』に、芸者さんと書生(学生)が弁当を持って散歩に行くのを「運動会」と言っている用例もあります。帝国主義・軍国主義の鍛錬の面(入場行進、組体操など)と、庶民の娯楽の面(仮装行列、自由民権政権争奪棒奪いなど)と、がありました。時代によってどちらが強くなるかは変遷があります。運動会は日本独自のシステムで、世界各国にはありません。

 

 国内でも地域や学校によって随分違います。東京の某私立高校の運動会は、ゆるーいものでした。狂信的なファシストの先生が怒鳴り散らすものではなかった。これでいいと私は思いました。私の地方では、かなり厳しい感じでやることが多く、こんなことやめればいいのになあ・・と思っていました。運動会はただの競技記録大会ではなく、皆の創意工夫をのびのびと生かし皆が仲良くなる場だと考えれば、ファシストのような先生が怒鳴り散らすのは、いかがなものかと思いますね。

 

 TVで見たのですが、上記の機能(創意工夫と多様な人の参加、交わり)を、文化祭が担っている学校もあるようです。福岡の某私立高校は、文化祭を盛大に夜に(!)やっていました。東京の某国立高校(筑波大附属駒場、という東大に大勢進学するスーパーエリート校ですが)では、秋の文化祭に高3も参加、しかもグループ役員はグループの色に髪を染めていました(!)。それで夜の10時から「今から塾だ。東大を受けるよ」とか言っていました。田舎の多くの高校ではまねできませんね・・・

 

 運動会も特色のある学校があります。島根の松江北では運動会は半日開催で、午後は「ページェント」と言って、体育館(講堂)に入って、社会問題などを扱った劇をやるとか。今もやっていますか? どこかの田舎の学校では自分で浴衣を作って民謡を踊るとか。どこかの城下町の学校ではグループ対抗応援合戦が一日に3回もあるとか。グランドで手作りの演劇をするとか。

 

 騎馬戦もいろいろです。「大将落とし」は危険です。帽子を奪うのもあります。頭の紙風船を潰すのも。騎馬でかけっこをするのもあります。女子も騎馬戦をやるようになりました。

 

 綱引きと玉入れが私は好きです。安全だし、私一人下手でも目立たないから。但し綱引きは綱が切れると大けがをします。玉入れがいいですかね。かけっこはいやです。「ごぼう抜き」されるから。下手をするとアキレス腱を切ります。棒倒しや棒奪いはいやです。同級生が暴力を振るうから。先生方は見て見ぬふりですか? 殴ったり蹴ったりの好きな人はタイに行ってムエタイの修行でもなさってはいかがですか。準備体操(ラジオ体操)が好きです。怪我をしないから。でももっとゆっくりのテンポがいいです。入場行進は嫌いです。軍隊と同じだから。どうしていたいけな少女(少年でも)が大声を張り上げて絶叫調の号令をかけますか? 「イーッチ!、ニーッッ!」とか。軍国主義の練習ですか?(ですね。) 「エッサッサ」(例の日体大のやつ)もやりました(やらされました)。上半身裸で。何の意味があるのか、分からなかった。今なら男子でも上半身裸はアウトでしょうね・・

 

 ダンスや絵画や応援合戦も含めて多様な営みをして、その中に多様な個性を持った人が多く参加して充実感を得、仲間も増える。結構です。それでかつなお、「参加したくない」という人の自由を認めるべきです。学校行事なので休んだら欠席がつきます。欠席しにくいのです。それで、教師の目の届かないところで、「妙なこと」が行われていたりしたら・・? 欠席したくなります。え? タテマエだけでは世の中はいかない? おマエのようにバカ正直では人生やっていけない? 「誠実正直であれ」と古えの人が教えたのはウソ? ウラもオモテもかみ分けるのが「人間力」? それができてはじめて「成長」? 自民党のウラ金議員のように? おやおや、それは困りましたねえ・・・

 

 先日TV(民放)で「運動会はなくすべきか存続すべきか」の議論を(バラエティで)やっていました。橋下徹さん(彼の政治理念に賛同するわけでは必ずしもないが)は、「多様性の時代だから、全員一律の運動会は要らない」という方向で発言しておられました。賛成です。北斗晶さんは「世の中に出たら競争はあるのだから、運動会は必要」と言っておられました。不賛成です。①運動会を、競争の場としてでなく、参加し交わり協力する場として作ることができます。②世の中に出たら競争が必ずあるのではなく、そのつまらない競争をなくし皆がなかよくなれる方向で努力したいものです。(文部科学省はそのつもりで学校行事で必修にしています。)被団協の人やマザーテレサや宮沢賢治や中村哲や法然上人や一遍上人やお釈迦様やイエス・キリストのやってきたことが人間として正しく尊いのです。北斗さん、いいですか? 健介はカッコイイですね。健介さんを木刀で殴らないで下さいね・・・