James Setouchi

2025.6.1

 

NHK 日曜討論 与野党に問う 年金制度改革 R7(2025).5.25(日)朝9時~10時

(6月1日のものではない。)

 

*各党の年金・社会保障の政策のプロが集まって今回の年金制度改革の法案について議論した。その最初の発言のみここに簡単にまとめる。ここまでで大体11分。これ以降さらに討論は続く。正確を期したが、不正確であってはいけないので、正確のためには、また詳細は、NHKオンデマンドなどで見ていただくことをお勧めする。

(*なお、私は「支持政党なし」のいわゆる「無党派層」である。念のため。)

 

自民(田村憲久氏):今回の法案について、就職氷河期世代が年金でよりよい老後を過ごすには、また高齢者が働きやすくなるには、を考えたよい法案だ。いわゆる「あんこ」(基礎年金の底上げ部分)はもともと考えていたがSNS上の誤解などあって入れにくかったのを、立憲との協議で入れるようになった。

 

立憲(山井和則氏):原案で「あんパンのあんこ」(基礎年金の底上げ)が削除されていたのは全然ダメ。今のままなら若者・現役世代の年金が最大3割カットになる。それは許されない。多くの厚生年金の受給者の方々も含めて底上げになるよう、法案の修正を実現したい。

 

維新(青柳仁士氏):老後に生活を支える年金を貰えるか、国民は不安だ。今回の法案の前提はでたらめで、抜本改革なしの案であって、国民の不安に答えるものになっていない。

 

公明(里見隆司氏):2004年に坂口厚労大臣が作った大きな制度の枠組みの中での今回の改革。基礎年金の底上げは是非進めるべきで、それ以外にも、被用者保険の適用拡大、在老年金、遺族年金の男女別格差をなくする、など、重要な項目が今回入っている。

 

国民(田村まみ氏):制度課題、給付と負担など国民に説明しきっていない。これが法案提出が遅れた原因で、国民的議論を広げる時間を少なくしている。基礎年金の水準の議論、マクロ経済スライドの問題、働き方に中立ではない状況の解消のための適用拡大に今後10年もかけるとはなど、制度改革の踏み込み不足だ。

 

共産(小池晃氏):最大の問題はマクロ経済スライドで、物価や賃金の伸び以下に年金を自動的に抑えるしくみだ。今8.6%目減りして年金生活者の生活が逼迫(ひっぱく)している。マクロ経済スライドは2023年終了だったはずが25年以上続くことに。それで年金が3割目減りする。年金削減をすぐ止めるには、巨額になった積立金を活用し、頭打ちになっている高額所得者の年金保険料を健康保険並みに上限を引き上げて財源をつくる、マクロ経済スライドをすみやかに中止するべきだ。

 

れいわ(長谷川うい子氏):今の政府案について評価はゼロ。立憲案もその微修正でしかない。マクロ経済スライドはやめないといけない。賃金と物価が上昇したら年金を上昇させるべきは当然。今のままでは暮らしていけない。マクロ経済スライド分4400億円くらい財政出動で補填(ほてん)すればよい。日本は通貨主権を持つので財政破綻(はたん)しない。積極財政でまともな経済政策をやれば年金も破綻しない。

 

*最後に一言ずつ発言された中で、公明の里見隆司氏の「今回は働く方がテーマだったが、障がいや病気で仕事が出来ない方のこともしっかり考える必要がある。3号被保険者についても、やはり最後まで働けない、所得がないという方々の制度は、何らかの形で残す必要が出てくる。そうした論点はしっかり認識する必要がある。また、制度改正とともに運用が非常に重要だ。最近、障がい年金について不支給決定が一昨年から昨年にかけて倍以上、3万人を越えている。どう適正化するか、運用面をしっかり取り組んでいく必要がある」と言われたのに、強く共感した。賛成だ。

 

 どこかの党の人は、若くて元気で有能でカネを稼いで年金も積み立てることのできる人をスタンダードな人間像と見ている印象があるが、あなたは今までたまたま幸せだっただけだ。誰も不幸を望んでいないが、あなたやあなたの家族もいずれ不慮(ふりょ)の事故や病気や災害などで働こうと思っても働けない、働こうとする意欲自体が破壊される、という日が来るかも知れないのだ。学校のいじめや会社のパワハラや家庭のDVで潰れている人は沢山いるのだ。「それはカウンセラーがやればいい」ではすまない問題なのだ。どんな人も、誰でも、幸せになれる社会を作るべきなのだ。

 

 対して、里見さんはおそらくそこまで気がついておられる。こういう人が(考え方が)政治家に(与党に、と言うべきか)おられることが大事だと私は思う。

 

*念のため。年金について詳しい人は詳しい(今日の方は全員さすがだった。当たり前だが。)が、詳しくない人は全く詳しくない。「そこからですか」という所から始めないといけない。

 

・「年金が上がる、下がる」と言うとき、「月々納める年金の負担金」と、「将来貰える年金の給付金」との違いを区別すべき。「年金が上がって良かったね」と言っていたら実は「月々納める負担金が上がって今の家計を圧迫することになっていた」ので「トホホ・・」という話もある。

 

・ここで議論されているのは国民年金(基礎年金)(万人に適用)と厚生年金(会社員などに適用)だ。国民健康保険、その他の医療保険(被用者保険、後期高齢者医療制度)とは別だ。健康保険・医療保険についても、負担が増えるのか、イザという時のリターンが増えるのか、を区別して見ておかなければならない。

 

・生活保護とも別だ。

 

・だが、それらは、国民の生活に直結しており、どこかで相互につながっている。例えば、高齢者が老後の年金だけで生活できなくなれば、生活保護を受ける人が増え、直ちに国庫を圧迫する。これは本日の討論でも立憲の山井さんが言っていた。確かに。

 

・私はよく分からないのだが、「106万円の壁をなくしてよかった」と言っているが、(週20時間労働で自給千円なら週に2万円、月に8万円、12ヶ月で96万円の年収となる)年収96万円の人も「月々納める年金の負担金」を給料から天引きで納めることになる。可処分所得が減る。生活が苦しくなる。「20時間の壁をなくせ」と言っている人がいたが、週10時間辛うじて働いて年収48万円の人も「月々納める年金の負担金」を給料から天引きで納めることにしようと言うのだろうか? だが、働けないのは働けないなりの理由があるのだ。障がい者や高齢者の世話を一手に引き受けているのに、どうして会社勤めが出来ようか? 働けてなくても収入がなくても幸せに暮らしていけるシステムにすべきだ。納めていないと年を取ってからのリターンが少なくなるから、「壁をなくせ」「もっと働く(働かせて税金や負担金を納めさせる)のは当然」という前提で発言をしておられる某党の方は、<長年、障がい者や高齢者の世話を家庭で引き受けてそのために時間を費やすので、必然的に働けず低所得となって生活した経験>のない方なのだろうか。そういう生活をしてみるといい。

 ビスマルクが給料から天引きで社会保険を作りそれは「アメとムチの政策」のうちの「アメ」の政策に当たると(世界史の時間か何かに)聞いたことがあるが、本当は給料天引きでは無く税金を充当して社会保険を作るべきだったのではないか? ビスマルクの制度は(そして今の制度もそれを引きずっているから)「ムチとムチ」の政策なのではないか? 税金は、野放しになっている高額所得者(高額所得であるのは、他の人より沢山働いているから、ではない。沢山働いている人は他にも沢山いる。)から累進課税でしっかり取ればいい(70年代までのように)のでは? どうですか?

 

・高齢者が働いて事故でケガをする、病気になるケースを見聞する。多くの高齢者は、若くて元気な人と同じには行かない。(元気で働ける場合もある。それは本当にありがたいことだ。元気な肉体や最新のIT技術を必要としない現場で、若者よりも熟練し高度なパーフォーマンスを見せる高齢者は、当然大勢おられる。)障がい者の場合も同じ。高齢者も障がい者も安全に働けてその持っているもので世の中に貢献していただけるためにはどういう職場環境・労働条件を整備しなければならないか? 「IT技術がないとダメ、使いものにならない」と大きな声で言う人(あなた)は、ITを使えない孔子や孟子やお釈迦様やキリスト様やムハンマド様やソクラテスさんを職場から排除したことになります。そう言えば渋沢栄一や岩崎弥太郎や福沢諭吉もIT技術は使えないよね。これでラノベを書いてみたらどうですか、ライターのみなさん。(岩崎弥太郎がタイム・ワープをして、現代の三菱に入社して若手社員から「ITも使えないのか」と嫌みを言われて悔し涙を流し、「このままでは三菱、いかんぜよ」とか言って、社の改革を始める話とか・・)

 

・「働かないと暮らせない」と不安と恐怖で国民を駆り立てて無理矢理働かせてケガや事故を生む社会か、「現在と将来の安心がある」ので喜びを持って社会に参加し嬉々として働き税金も喜んで納め自己実現もできる(社会コミュニティーから一歩引いて隠遁して学者や歌人になったってよい)社会か。

・男も女も絶えずスキルアップを強いられ他人を見れば競争相手と思い上司を引きずろし部下の功績を奪い取り誰も信用できず愚痴も言えず血尿が出るまで働き家庭ではイライラして家人にあたり頭に血が上った挙げ句についに会社で過労死する社会か、男も女も安心して持っているものを生かしスキルアップしたければ好きなようにする、家族や友人や近隣の人とも穏やかな微笑みで余裕を持って交わる、余暇には儒学の本や聖書や日本の古典や世界の文学くらいひもとき共に語り合える社会か。

 孔子曰く、「入りては則ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行って余力あれば則ち以(もっ)て文(ぶん)を学べ」と。(『論語』学而1-6)