旅の思い出「山口県立萩美術館・浦上記念館」常設コレクション(山口県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

テーマ:

山口県立萩美術館・浦上記念館

℡)0838‐24‐2400

 

往訪日:2024年4月27日

所在地:山口県萩市平安古町586‐1

見学:8時30分~17時(月曜休館)

料金:(常設)一般300円 学生200円

アクセス:小郡萩道路・絵堂ICから約20分

駐車場:50台(無料)

※陶芸館1Fのみ撮影OK

 

《現代陶芸の性(聖)遺物》

 

続いてコレクション展示の備忘録。

 

まずは陶芸館から。一階展示室は《十三代三輪休雪の陶》が期間公開されていた。萩焼の名工として続く十三代休雪こと三輪龍氣生(1940-)の活動の記録だ。ちなみに昨年の特別展「走泥社再考」で代表作《LOVE》を観ている。

 

三輪龍氣生《白雲現龍気》(1995)

 

龍だね。すごく巨大。高さ210㌢×奥行320㌢。

 

龍氣生の魅力は力強さに満ちた造形と、生々しいまでのエロスとタナトス、そして萩の土や釉の特性をモチーフにした抽象的な表現にある、と思っている。

 

 

展示内容はこんな感じ。一作が巨大。

 

三輪龍氣生《白い夢》No.20(1991)

 

休雪白が美しい。

 

 

歪んだ陶胴、厚く被った白釉。

 

三輪龍氣生《エル キャピタン》(2022)

 

同じものを昨年秋に兵庫県陶芸美術館「未来へつなく陶芸 伝統工芸のチカラ」で拝見。照明と会場のレイアウトの影響か、少し大きく感じた。

 

三輪龍氣生《RING1》(1988)

 

十三代の作品は破断や座屈を伴う。だが、完成されたものを破壊するのではなく、“破壊”は造形の延長上にある。意図せずに現れる土の表情。それが魅力だ。

 

 

金や銀などの彩色も特徴。それによって断面の土の荒々しい表情が浮き上がる。

 

 

表面に麻布の文様。太古の記憶。

 

三輪龍氣生《恒久破壊Ⅰ》(1987)

 

タイトルもどこか哲学的。

 

三輪龍氣生《反乱》(2004/2010)

 

溶解と廃墟も繰り返し登場するモチーフ。

 

 

《反乱》の着彩スケッチ。

 

 

更にマケット(試作)。入念な計算のうえに制作されていた。

 

三輪龍氣生《愛》(2004/2010)

 

死の果ての愛。砕けつつある獣神の相手はいったい誰だったのだろう。

 

三輪龍氣生《桜の下にて春…》(2004/2010)

 

どの作品も淡い桜色と灰色を帯びている。桜の老樹の精?

 

三輪龍氣生《蓮華母》(2004/2010)

 

ミケランジェロの傑作《ピエタ》を思わせる大作。ただし男を抱きかかえるのは聖母マリアではなくて巨大な蓮華の花。あるいはボッティッチェッリの《ビーナス誕生》のイタヤ貝にも見える。まあ、貝はその象徴でもあるし、ダブルミーニングか。

 

 

蓮華台の下には廃墟のように割れた瓦のようなオブジェが敷き詰められていて、みれば龍氣生の藝大卒業制作《花子の優雅な生活》も焼き捨てられ…乳房や掌、そして蝶など、フェティッシュなアイコンがそこここに。

 

 

エロスロゴス(文字、ひいては書物)はその形と求められる行為からして近しい存在なのかも知れない。一見無造作にみえて周到に計算された瓦礫。見ていて飽きない。

 

三輪龍氣生《六鈷杵》(2004/2010)

 

密教において煩悩を打ち破り、災いを遠ざけるはずの六鈷杵が、既に虜になっている。

 

三輪龍氣生《絆》(2004/2010)

 

昔、ものすごい数の雄と雌の蛇が体を絡め合って交尾する映像を見て恐ろしいと感じたことがある。僕には最後に雄が精も根も吸い取られて死んでしまうのではないかと思われた。その蛇の大群の塊りに、この《絆》はよく似ている。

 

 

《絆》のスケッチ(2009)。

 

三輪龍氣生《「明日には必ず勝つ」マケット》(2009)

 

なんかいい。このマケット。それまでの作品群と違ってユーモラスで。さすがは萩焼の故郷。ここで龍氣生の大作を一度に見られるとは(そして写真まで撮れるとは)思わなかった。

 

★ ★ ★

 

二階は萩の伝統工芸品が並んでいた。山口県の伝統工芸である赤間硯の名工、堀尾卓司(1910-1986)の作品はもはや日用品であることを超えて彫塑的。赤間石は硯に適した頁岩の一種。

 

(以下数点ネットから拝借しました)

堀井卓司《赤間硯「塁柿研」》(1956)当館蔵

 

幾何学的な処理を施され磨き上げられた柿のデザインと自然石の風合いが素晴らしい。

 

堀井卓司《すみすり》(1979)当館蔵

 

23年後になるとほぼ現代彫刻。モンドリアンの抽象画にインスパイアされたそうだ。

 

堀井卓司《双体》(1970年代)当館蔵

 

次は切嵌め象嵌山本晃氏(1944-)の作品。

 

山本晃《接合せ金銀彩盛器「輝翔」》(2014年)当館蔵

 

文字通り薄く切り剥いだ土台に、別の金属を象嵌する彫金を切り嵌め象嵌というそうだ。水平線に耀き出る日の光のような極細の線はすべて金を象嵌したもの。気が遠くなる細密工芸。

 

忰山美知子《蒟醤箱「馬酔木」》(2014年)個人蔵

 

最後は漆芸忰山美知子氏(1950-)の作品。ちなみに蒟醤と書いて「きんま」と読む。

 

「醤油で味付けしたコンニャクかと思っただよ」サル

 

僕も(笑)。作者のお名前も読めないね。「かせやま」さんというんだ。蒟醤はの表面を彫刻刀で掘り込んで、そこに色漆を埋め込んで研ぎだす加飾技法だそうだ。写真で見て判るように彫りの深浅で色漆のグラデーションを可能にしている。元はミャンマーやタイの伝統工芸だったものが室町時代に日本に伝播したそうだ。工芸も奥が深い!

 

「どれもフツーに面白かっただよ」サル

 

 

続いて浮世絵。

 

展示室1(浮世絵)

 

 

こういう説明、欲しかったんだよ。

 

「判りやすいね」サル

 

 

これを見ると師宣亡き後、鈴木春信勝川春草鳥井清長が出てくるまでかなり間が空いていることや、北斎が活動した時代と浮世絵大ブレークの時代が重なっている事もよく判る。

 

「広重は北斎より随分後から出てくるんだにゃ」サル

 

浮世絵最後の世代、暁斎、芳年、芳幾にバトンを渡す世代だったんだな。今回は安藤広重の名作《富士三十六景》が全品展示されていた。記憶に残った作品を幾つか紹介。

 

歌川広重《富士三十六景 武蔵小金井》(1859)

 

玉川上水だろう。怪物のようにデフォルメされた桜の樹。北斎の影響が感じられる。

 

歌川広重《富士三十六景 武蔵野毛横はま》(1859)

 

やあ。まだ横浜が殆ど海の底の時代だな。半島のように突き出ているのは本牧?

 

歌川広重《富士三十六景 武蔵本牧のはな》(1859)

 

その本牧。近代数寄者・原三溪が築いた三溪園は崖下が海だったというから、まさにそのあたりを描いたものだろう。

 

歌川広重《富士三十六景 相模七里か浜》(1859)

 

ご存知、江の島あたりの風景。近世の洋風画家・亜欧堂田膳も好んで描いた。のちの世代では《鮭》で知られる黎明期の洋画家・高橋由一も。

 

歌川広重《富士三十六景 駿河薩夕之海上》(1859)

 

薩埵峠から見た由比海岸のあたりか。並みの描き方があまりに北斎と違うので気になった。波しぶきというより風に靡く竹叢といった印象。

 

歌川広重《富士三十六景 房州保田ノ海岸》(1859)

 

鋸山のあたりかな。浮世絵の開祖・菱川師宣の故郷が題材ということで取り上げてみた。昔はどこからでも富士山が見えたということだね。

 

 

展示室2(東洋陶磁)

 

 

お次は東洋陶磁器。

 

「げー」サル 焼き物きゃー

 

現在陶芸は好きだけど古陶磁器は僕もいまだによく判らない(笑)。だが、この美術館の良さは、陶磁器にしても浮世絵にしても、典型的な作例をもとに初心者にも判りやすい説明が用意されていること。

 

青花(磁器)

 

素地にコバルトを主成分とする顔料で描き、透明釉を施したもの。起源は元時代(14世紀)の景徳鎮窯。大航海時代と重なり、戦国時代の日本にも伝わった。

 

《青花鳳凰文鶴瓶》中国・景徳鎮窯(元代・14世紀)

 

唐草文とともに精緻な鳳凰が描かれている。縁起物として制作されたのか。

 

《青花吹墨玉兎文皿》中国・景徳鎮窯(明代・17世紀)

 

吹きつけの技法が応用されている。玉兎(ぎょくと)とは月で餅を搗いているウサギのことだ。

 

《青花釉裏紅兎文皿》中国・景徳鎮窯(明代・17世紀)

 

民窯かな。兎と花鳥の線が伸びやか。虫食いも良い味。

 

 

五彩(ごさい)

 

青以外の複数の色(五彩)を釉薬の上に描くようになるのは明代景徳鎮においてと言われている。

 

《五彩龍文壺》中国・景徳鎮官窯(明代・1573~1620年)

 

万歴年間に制作された官窯の名品。日本では“万歴赤絵”として昭和初期に珍重されたそうな。そういえば志賀直哉が書いた同じタイトルの小説があった。内容はまったく覚えていないけど。

 

《五彩松梅文盤(南京赤絵)》中国・景徳鎮窯(明代・17世紀)

 

柿右衛門との違いを観察すると面白い。

 

 

呉州手(ごすて)

 

漳州窯(福建省)で作られた五彩磁器。主に輸出品として製造された。灰色の素地に白釉をかけて絵つけしていることが特徴らしい。

 

《五彩山水楼閣文盤》中国・漳州窯(明代・17世紀)

 

一般に呉州青絵と呼ばれる。初期の伊万里焼の参考にされたそうだ。

 

 

柿右衛門様式

 

江戸時代初期(1640年代以降)に、中国磁器に変わって西洋で大人気になったのが有田柿右衛門。陶芸を知らない人でも柿右衛門の名前は知っているだろう。染付素地に直接彩色するのに対して、色絵釉薬の上に色を落す。柿右衛門の最大の魅力は“濁し手”と呼ばれる乳白色の素地だ。

 

《色絵花鳥文皿》有田焼(江戸時代・17世紀)

 

柿右衛門の魅力はこの余白。そして温かみのある乳白色。そして発色のいい朱色。

 

 

古伊万里金襴手(きんらんで)

 

1690年代以降、柿右衛門に代わってヨーロッパの貴族を虜にしたのが伊万里金襴手染付色絵を隙間なく施し、金彩まで施した(悪く言えば成金趣味的な)豪華絢爛な様式だ。

 

《色絵梅菊文碗・皿》有田(江戸時代・17世紀)

 

そのため、日用の什器なども大量生産された。日本の貿易を支えた名品。

 

「おサルには全部同じにしか見えん」サル

 

僕も同じく(笑)。解説は理解したつもりだけど。

 

 

浦上敏朗記念室

 

浦上敏朗さんは萩市の生まれ。山口専門学校(現山口大)卒業後、清久鉱業の社長を務めた。その傍ら、趣味の骨董蒐集を続け、晩年に2000点あまり、時価総額100億円(!)のコレクションを惜しげもなく寄贈した。

 

 

昔から絵や字が上手だった。

 

 

みずから作陶も。リーチ風のスリップウェア。

 

ということで見学はこれにて終了。折角なので萩焼の皿をひとつ買うことにした。少し押せ押せだけど。

 

(つづく)

 

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