ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ396

横浜中央電話局長者町分局(現 テルウェル東日本 神奈川支店)

 

往訪日:2025年9月23日

所在地:神奈川県横浜市中区長者町5-60

■設計:上浪朗

■施工:大林組

■竣工:1925年

 

《失われゆく一方の逓信建築》


昨年の9月23日早朝。横浜市内の逓信建築をみてきた。場所は地下鉄・伊勢佐木長者町駅の真上。以前から名のある建築なのではと踏んでいたが、調べてみると戦前の逓信建築と判った。

 

「サルも前から気になってた」サル

 

 

旧称は横浜中央電話局長者町分局。設計は上浪朗(1897-1975)。大阪生まれの上浪は東大建築学科を卒業後、逓信省に入省。営繕技師として全国に逓信建築を残した。山田守、吉田鉄郎の四歳年下にあたる。現存するものとしては旧芦屋郵便局電話事務室姫路郵便局電話分室あり、現在はともにレストランや婚礼会場として利用されている。

 

 

上浪の逓信省入省が1922年。その三年後の竣工なので最初期の作と思われる。伊勢佐木町の繫華街から少し外れた車の行き来の多い通りに面しているため、人目に付きやすい建物ながら気にとめるような人は誰もいない。現在はNTTの子会社が入居しているが、一等地でもあり、いつ再開発の波に吞まれるか判らない。それほど営繕建築の立場は脆弱だ。

 

 

側面からみると意外に薄っぺら(笑)。先輩の山田や吉田と比較すると控えめな装飾だが、隅角の曲線の処理や縦窓のスリット状の配置などモダニズムの影響を思わせる。

 

 

上浪の手法はこの後タイル装飾が主体になる。その意味でモルタル仕上げは貴重かもしれない。

 

 

外装は戦後幾度か改修している感じ。

 

 

子ぶりながらいい建築だ。

 

「マニアックな建築だったのー」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ395

神奈川工科大学KAIT工房・広場

 

往訪日:2025年9月22日

所在地:神奈川県厚木市下荻野1030

見学:12時~15時30分(要事前予約)

駐車場:あり(正門前)

※HPで事前予約(無料)

■設計:石上純也建築設計事務所

■施工:鹿島建設

■竣工:2007年

 

《まるでシュルレアリスム絵画》


2025年二回目の神奈川建築巡礼。三件目はこの日のメインエベント。神奈川工科大学KAIT工房・広場である。設計は石上純也(1974-)。神奈川県生まれで厚木高校出身。つまりモロ地元だった。東京藝大大学院修了後は妹島和世事務所に4年在籍しただけで独立。できる人は違う。プロフェッサーアーキテクトとして活動しつつ、展覧会や執筆活動も旺盛にこなしている。個人的にはアーティストの印象が強い。

 

 

見学は一日18組(1組5名まで)限定。毎週水曜開催で見学は1時間以内だ。映える建築なので人気は高い。12時~15時30分(30分間隔)の中から好きな枠でネット予約する。僕らは12時の枠を押さえた。勿論一番乗りするためである。子供っぽい。遠慮がない。何と言われてもいい。特にこのKAIT広場は夾雑物(人間のことだ。自分もそのひとりなのだが)を一切排除した真っ白な空間に価値がある。

 

(KAIT工房は総ガラス張り。妹島先生の影響か)

 

ということで前菜(槇先生と今井先生)はふたつで我慢して、余裕をもって工科大学に到着。一時間以上もあるのでコンビニでサンドイッチを買って1個10分かけて食べるが、まだ時間があまる。ダメ元で正門前の守衛に事情を話すと中で待っているようにと寛大な処置をうけた。

 

 

KAIT工房を見学。学生のための創作工房だ。未来の発明家の作品が並んでいるがエンジニア気質ではないので今ひとつ興味が持てない。建築と土木は好きなのだが。機械・電気系は全然ダメ。

 

 

とても開放的な空間だ。

 

 

15分前にはスタッフが現れるといっていたが一向に現れる気配がない。待ちきれずに工房出口に座っている女性に「KAIT広場の見学できたんですけど」と告げると名前を訊かれた。

 

「受付やってんじゃん」サル

 

「建築関係ですか」と訊かれたので、それに近い職業だと答えたが「一般の方ですね」とニコリともせずに「一般」の文字にザッと雑な〇を書いたのが印象に残った。

 

「軽くあしらわれたにゃ」サル 笑ぅ~♪

 

あの女性。たしか六角先生のお嬢さんじゃない?

 

「知らんな」サル そりはもうまったく

 

 

構内道路を挟んでKAIT広場へ。

 

 

一番乗りのはずだったが、どういう訳か数名の見学者がウロウロしていた。驚いたことにそのうち数人ほどが外国人(スペイン語圏)。どうして知ってるの。

 

「SNSに決まってるじゃん」サル

 

 

約4,000㎡の方形の空間にすり鉢状の勾配をつけて、その上面にt=12㍉の鋼板を現場溶接で繋いだ屋根を被せていた。管理が大変だな。

 

 

最大約5㍍の高低差がある。そこに四角に刳り貫かれた空間の光が、床に浮かぶ障子紙のように舞っていた。

 

 

もともと工科大の学生の憩いの場、思索の場として計画された。

 

 

それがいまや一大観光地。

 

 

開口部。

 

 

このあたりは高低差があまりない。

 

 

ようやく訪れることができたので感動も一入。

 

 

床面は速乾性アスファルト。

 

 

中央の排水溝から雨水を排水するそうだが、降水量が多いと溢れることがあるという。去年は空梅雨だったので、そんなのんびりした話ができたが、今年は毎週のように線状降水帯が襲ってきたので、溢れた日もあったのではないだろうか。

 

 

やはり、個々は晴れの日に来ないと価値は半減する。

 

 

午後は曇りの予報だったのでそろそろ限界か。

 

 

一時間限定だが、一時間も思索にふけるほどのテーマは我が家にはなかった。せいぜい晩ごはんとか。なに飲むかとか。

 

 

雲ってきたのでこの日はこれで帰宅することにした。どうしても気になったので守衛に「あのスペイン系の人たちは建築関係ですか?」と訊くと「ああ。ただの観光客です。最近増えましたね」ということだった。どこもかしこもインバウントだ。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ394

藤沢聖母訪問会 女子修道院聖堂(モンタナ修道院)

 

往訪日:2025年9月22日

所在地:神奈川県鎌倉市津550

開館:規定なし

駐車場:なし

■設計:今井兼次

■施工:清水建設

■竣工:1965年

 

《一見するとモダニスムだが》


2025年二回目の神奈川建築巡礼。二件目は鎌倉市内の聖母訪問会女子修道院聖堂。通称のモンタナ修道院の方が通りがいいかもしれない。設計は(あまり好きな表現ではないが)日本のガウディこと今井兼次である。

 

(幼稚園の看板が目印。ここを右折)

 

鎌倉といっても吐きそうになるほど観光客で溢れかえった中心部ではない。そんな場所にそもそも修道院は似合わない。静かな住宅地。それも瀟洒というのでもなく、どちらかといえば軒先に洗濯物が翻る戸建てが並ぶ静かな住宅地こそ似つかわしい。

 

 

通勤の慌ただしい時間さえすぎれば人声も稀な町。そんな町に今井が手がけた聖堂の尖塔が、みずからの存在を示すがごとく、控えめに天を指す。

 

 

ほぼ抱いていたイメージどおりの場所だったが、アプローチは江ノ電の電車道。離合の恐ろしさにはいまだ慣れることができないでいる。どうにか(目星をつけていた)最寄りのコイン式駐車場にとめて徒歩で向かった。

 

 

期待に胸をときめかせながら。するとどうだろう。敷地の周囲には角材やコンパネを満載した軽トラが取り巻き、ヘルメット姿の作業員は各自与えられた仕事にあたっている…。おいおい。改修工事中じゃんよ。

 

(鐘楼前に現場ハウス堂々の完成)

 

コロナ禍以降、こうした光景…中断された耐震工事…があちこちで繰り広げられるようになった。そのため、建築巡礼者はその先々で試練を迎えることになる。ここもそうだったとは。

 

 

それでもあきらめない。そっと作業員に黙礼して、怪訝な表情さえ浮かべられなければ第一関門突破だ。所せましと並べられた建材をよけながら、最終目標の聖堂に到着。

 

 

立入禁止や「改修工事のおしらせ」のビラもない。第二関門突破。そして恐る恐るドアを開ける。シスターの気配はなく「NO PHOTO」のマークもない。遂にゴールした。

 

 

竣工は1965年。

 

「生まれる前だよ」サル そーなんだ

 

それでも今井は70歳。既に建築家としては老境の域。晩年の一作だ。

 

 

そのため、今井らしい完成された意匠が随所にちりばめられている。ただ、それが同時期の大隈重信記念館遠山記念館のような過飾に陥っていない。修道院だからだろうか。

 

 

雨どいにも花びら模様。

 

 

隣接する事務所棟。

 

 

似たような意匠だが、今井の作品??

 

 

恐る恐るドアに接近。

 

「どーして毎回毎回びくついているのちにゃ」サル

 

最近そういうパターンが多くて(笑)。

 

 

ドアノブも四葉のクローバー。

 

 

サイドの扉。

 

 

聖堂内部。

 

 

聖母訪問会はアメリカ生まれの女子修道会だそうだ。

 

「キリストの像がないね」サル

 

偶像崇拝を禁止しているのかな。

 

 

色使いが今井兼次だ。今まで今井の教会建築は幾つかみているが、ここが一番美しいのでは。

 

 

聖堂外部はモダニスムだが、内装はどこまでもマニエリスティック。

 

 

最初は改修工事で見学できないかと諦めかけていたが、人生棄てたものじゃない。

 

「またまた大げさなー」サル

 

 

ステンドグラスも生きている。

 

 

あがれるようだ。

 

 

今井建築はスタッコの扱いが美味い。

 

 

完全なステンドグラスではないが、十分生きていると云えた。

 

 

 

神の領域。これ以上のお邪魔は禁物だ。

 

 

晩年はどの建築家もその轍を踏みがちだが、今井の建築に限って食傷を感じないのは…単に好みが合うからだろう。素晴らしい建築だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ393

藤沢市秋葉台文化体育館

 

往訪日:2025年9月22日

所在地:神奈川県藤沢市遠藤2000-1

開館:8時30分~21時(無休)

駐車場:有料

■設計:槇文彦+槇総合計画事務所

■施工:間組

■竣工:1984年

 

《SF映画の世界》

 

この年二回目の神奈川建築巡礼。おサルの理解を得ることができて本当に嬉しい。

 

 

「勝手に予定組んだくせに!」サル

 

最初に向かったのは槇文彦が手がけた藤沢市秋葉台文化体育館。通称「カブトムシ」である。利用者が現れる前を狙って平日の朝一番に訪ねた。

 

 

場所は藤沢市・秋葉台公園の一角。誰もいない。狙いどおり。

 

 

確かにカブトムシだ。SUS製の屋根が美しく反射していて近未来感抜群。

 

「80年代SFの世界観だの」サル

 

 

角度を変える。今度は亀みたいだ。

 

 

側面からみるとホタテ。

 

 

タイル。コンクリート。ステンレス。シルバーカラーの異なる材質のコラボ。

 

 

タイルの釉薬がSUSと馴染んでいる。

 

 

アリーナ棟(右)、サブアリーナ棟(左)、事務所棟(中央)からなる。水平と垂直。ふたつの入れ物が並ぶことで建築に表情が生まれる。

 

 

サブアリーナ棟は三階建て。三階の楕円部は吹き抜けで二階はレストラン(閉鎖)。

 

 

階段を昇ると二階テラスに繋がる。槇建築では初のSUS材建築らしい。幕張メッセ(89)、東京体育館(90)へと継承されていくプロトタイプ。

 

 

一階部分はかつての受付?スリットの取り方が昭和建築の余韻。

 

 

やや経年劣化。

 

 

お邪魔します。

 

 

まず二階の屋根の造形を。t=0.4㎜のSUS鋼板製で現場溶接処理。

 

 

一階ホール。

 

 

アリーナ棟側。

 

 

この階段部の支柱がメチャカッコいいのだが、自販機に囲まれていて全容が見えない…。

 

 

ではメインアリーナへ。

 

 

想像以上に広い。軽いSUS材だからこそ可能になった。

 

 

トラスアーチで屋根を支えている。視認性最優先で支柱のない構造にしたのだろう。

 

 

端部の採光がまた凝っている。

 

 

ということで連絡通路を伝ってサブアリーナ棟へ。

 

 

追突防止のグラスマークもカブトムシ。

 

 

レストランは休業状態か。外から無理な角度で覗ける程度。見たいね。ドーム天井。

 

 

こちらが第二体育館。トップライトからの光が美しかった。

 

「サルが見ても美しいと思った」サル

 

こうしてたまには付き合ってくれる。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツの酒【第357回】

ヤマノヴァンセ シラー・ムールヴェードル 2024

 

ヴィンテージ:2024年

生産者:Ferme36

所在地:長野県大町市

タイプ:赤

原料:シラー95%、ムールヴェードル5%

アルコール:12%

醸造家:矢野喜雄氏

酸化防止剤:無濾過・亜硫酸塩未使用

販売価格:3,300円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

コーヒーの大学院でランチした日。午後は自宅でのんびり過ごした。夜はワインを開けて自宅飲み。Ferme36(フェルメサンロク)は2019年に開業した新しいワイナリー。農場を意味するフランス語に「山麓」のゴロをかけての命名だ。(2025年9月21日賞味)

 

 

醸造家の矢野さんは2014年に信濃大町に移住。ドメーヌタイプとネゴシアンタイプを醸造していて今回頂戴したのは後者。栽培農家(季来里ふぁーむ・すずき)から原料手配されている。最初は銘柄の「se」の意味が判らなかった。フランス語にそういう接尾詞はないはず。

 

 

裏をみて納得。大町方言だったのか。

 

矢野さん夫婦はココファームワイナリー出身。もっといえば元サラリーマン家族。しかし、ただの脱サラ組とは訳が違う。酒が好きで、そしてワイン醸造に惚れこんで、自分の手でやってみようと思い立った。つまり愛がある。ワイン造りは愛なくしては続かない。誰かがそんな意味のことを言っていたように思う。

 

 

横浜に暮らして良かったこと。それはいい特約店がそばにあること。都会だからいい店があるとは限らない。これは運だ。人と人が出逢い、そして友情が芽生え、あるいは結婚に至る。それと似ている。

 

「静岡にも名古屋にもあったよ」サル


2024年ながらやや沈んだレンガ色。ペッパー、ジンジャー系の香りはシラー由来か。自然派だけにほのかなガス感があり、後半は濃密にしてエロティック。ベリージャムのようなしつこさがある。

 

 

一時期おサルが豆苗にハマり、惣菜も豆苗、味噌汁の種も豆苗。なんでもかんでも豆苗という時期があって、もうたくさんだと思った。しかし、こうしてもやしと一緒に豚ロースで肉巻きにするとワインのいいお供になる。

 

 

極力酸を抑えて果実の旨味を力強く引き出したワインだった。これで3,300円は安い。お薦めだ。

 

「なんかさっきおサルのことディスってた?」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

群馬県立 土屋文明記念文学館

 

往訪日:2025年9月21日

所在地:群馬県高崎市保渡田町2000

開館:9時30分~17時(火曜休館)

料金:一般200円 高大生100円

アクセス:関越道・前橋ICから15分

駐車場:無料

■設計:一級建築士事務所アルテ・ワン

■施工:研屋・島方JV

■竣工:1996年

※資料撮影NG

 

《文学と美術の神殿》

 

昨年の今頃。夢二の《黒船屋》を鑑賞したあと、どこにも寄らずに帰るつもりだったが、この界隈を訪れると必ず眼にする案内があった。それが土屋文明記念文学館だった。もちろん名前くらいは知っている。日本を代表する近代歌人のひとりだ。なんども書いたが、僕は歌の道に暗い。だがエリザベス・キュブラー・ロスの『死ぬ瞬間』によれば、人は死の瞬間に際して、過去に犯した失敗よりも、やらなかったことを後悔するという。であれば、いずれ訪れる入滅の瞬間に「歌人の人生ってなんだったのだろう!」と悔いることのないように、温泉街を素通りして高崎方面に向かったのだった。

 

「そんなひといないよ」サル

 

 

群馬は県立の美術館や博物館が多い。首相を四人も輩出した土地柄も無関係ではないだろう。

 

「予算を引っ張ってくるってこと?」サル

 

よく学びよく遊ぶ文化があるってことよ。

 

 

ひとりの歌人を顕彰するにはあまりに巨大かつ荘厳。神殿のようだった。

 

 

南面はマヤの遺跡のような階段になっていた。

 

 

屋内は土屋文明の資料室と企画展示室からなっている。

 

「早く行こうぜ」サル

 

 

竣工当初はこんな色調だったようだ。天然石の化粧板は水垢がつきやすい。コンクリートより扱いが面倒かもしれない。

 

 

一階ホール。特に凝った仕掛けはないが、落ち着いた美しさがある。ザ・平成建築。

 

池田政治《対偶》(1996)木・漆

 

なつかしいけど思いだしたくない数学の証明問題。触っていいらしい。前橋出身の池田政治(1945-)の作品は群馬県庁ホールに《けんのかたち》がある。

 

 

床の仕上げは木質っぽい処理。温かみがある。

 

 

残念ながら土屋文明の資料はすべて撮影不可。南青山から移築した文明の書斎は文学マニアも建築フリークも必見。清水建設の設計技師だった後輩歌人の近藤芳美が設計を手がけた。

 

 

ここで土屋文明のおさらいを。

 


高崎に生まれた土屋文明(1890-1990)は父の姉ノブと福島周次郎夫妻によって養育された。高崎中学の国漢教師・村上成之の影響をうけ、蛇床子のペンネームで雑誌アカネに投稿。上京して伊藤左千夫宅に寄宿する。その後、最年少でアララギに参加するなど、早熟な才能を発揮した。集まったメンバーは長塚節、平福百穂、島木赤彦斎藤茂吉など錚々たる顔ぶれだった。

 

 

左千夫に経済的に支えられた文明は東京帝大に進学。芥川や菊池寛らと共に第三次新思潮を発刊する。その後、万葉集研究の大家となっていくのだが、実際に歌ゆかりの地を草鞋に脚絆巻きで訪ねて歩き、論考を重ねた。4500首以上の秀歌全てに私註(『万葉集私註』)をつけたのは後にも先にも文明唯ひとりである。

 

わが庭に植ゑたる蕈(くさ)きもの六種(むいろ)分葱、浅葱、葱玉葱 (文明56歳)

時代ことなる父と子なれば村上に腰おろし向ふ一つ山脈(やまなみ)に (文明56歳)

 

戦争が厳しくなった昭和20年に吾妻川戸に疎開。自給自足の生活のなかで詠んだ歌には暗さ、つらさはない。それが文明の人柄を表していた。写生的ないい歌なので採録しておく。

 

 

 

そんな文明も敗戦後は、第二芸術論批判と戦うなど、厳しい時代を経験するが、戦後の短歌界を背負い続けた。僕ら世代にとって一番のなじみは新聞紙上の選歌の仕事。その後100歳まで生き永らえ、多くの後進を育成したといえる。これまで文学史の一固有名詞だった「土屋文明」が確かにこの世に生きた人間として脳裏に刻まれた。やはり来てよかった。

 

「そーりーはGOOD!」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

竹久夢二伊香保記念館

 

往訪日:2025年9月21日

所在地:群馬県渋川市伊香保町544-119

開館:9時~17時(年中無休・臨時休館あり)

料金:3,000円(全館見学+黒船屋見学コース)事前予約制

アクセス:関越道・渋川伊香保ICから10分

駐車場:無料

※建物撮影OK・作品NG

※料金は往訪時のもの

 

《ネオバロックを模した黒船館》

 

竹久夢二の絵に抵抗を感じながら生きてきた。そのあからさまな哀愁や郷愁といった、どこか甘っちょろい大衆迎合趣味が鼻持ちならなかった。だがそれは“それでもどこか気になって仕方がない”という気持ちの裏返しでもあった。

 

昨年の今頃。たまたま夢二の《黒船屋》の所在を調べたところ、それが伊香保の記念館にあり、一年に一回、それも二週間限定で公開されると知った。それがなんと9月10日から9月23日。公開中だったのだ。11時と14時の一日二回の完全予約制。一回20人の狭き門だったが、電話してみると奇蹟的に二人分ゲットできた。

 

「あんまり興味がないんじゃなかったっけ?」サル ヒツヒツは

 

他の作品はともかく《黒船屋》は別格だよ。

 

 

温泉や登山で幾度も訪れている伊香保。当然この記念館の存在も知っていたが、観光地にありがちなナンチャッテ系だと決めつけていた。実はここ。岩波書店の元専務で有数の夢二コレクターでもあった長田幹雄氏が寄贈した本格記念館だったのだ。

 

(坂の途中から子供の絵館などが見え隠れする)

 

なお記念館は、夢二の足蹠をたどる大正ロマン館、名画《黒船屋》収蔵のために建てられた黒船館、ガラス工芸を展示する新館・義山楼、子供画展示の別館・子供の絵館からなる。

 

(本館正面)

 

料金設定は複雑で、どの建物まで見るかでセット料金が変わる。なお《黒船屋》見学コース義山楼+子供の絵館はともにガイドつきで集合時間厳守(後者は単体見学も可)。欲張りな人は旨く組み合わせることがキモになる。去年の例でいけば、全館見学+黒船屋鑑賞で3000円(全館見学2200円、黒船屋単独2200円なので1400円お得)が一番お得だった。ちなみに26年4月に料金改定。黒船屋鑑賞は(菓子付きになったが)なんと4500円!去年行っててよかった。

 

「お菓子はいらんにゃ」サル

 

 

ということで時間も限られている。9時の開館を待ってスタート。ちなみに他に並ぶ人はいなかった。

 

本館(大正ロマンの館・黒船館)

 

 

①9:00~(自由見学)本館・大正ロマンの館

②9:40~9:50(時間指定)オルゴール演奏 ※毎時40分から10分

②10:00~10:30(時間指定+ガイドつき)義山楼+子供の絵館

③11:00~11:30(時間指定+ガイドつき)黒船屋鑑賞

 

というプランを組んだ。

 

 

本館ホールの天井を見あげる。作品と資料はすべて撮影NG。但し建物や家具はOK。

 

 

黒船館一階の展示室にはVTRのほかに(直接は無関係だが)クラシックオルゴールが決まった時間に演奏される。その複雑かつ美麗な音色は聴く価値大。

 

 

階段をあがると大正ロマンの館に続く廻廊があり、長田幹雄(1905-1997)の略歴が紹介されていた。東京生まれの長田さんは戦争によって両親の郷里・諏訪に戻り、学校は高等小学校しか出ていない。そんな学歴ながら諏訪出身の岩波茂雄に見出されたのは、才能が評価されたのだろう。

 

 

岩波新書を発案し、広辞苑の第一版編纂にも関わった。そんな長田さんが本格的に夢二に入れ込むのは31歳。それ以来、絵画はもとより、関係資料を集めまくり、作品7905点、研究資料2528点ほかが当館に寄贈された。

 

 

大正ロマン館には大作《榛名山賦》《青山河》が常設展示されている。特に前者は《立田姫》と対をなす名品。異様な腰位置がむしろ蠱惑的で観る者を魅了する。開館した1981年の翌年に「夢二の描いた群馬展」が開催され、本作も出品された。学芸員でのちに館長をつとめた小暮享氏は「あなたの居場所はここなんだよ。いつかかならず、この榛名に帰っておいで」を語りかけたそうだ。伊香保(榛名山)は晩年の夢二がその自然を愛し、美術研究所を構想した縁があった。その二年後。長田さんは「夢二が喜ぶからね」といって、所有する他の絵と交換したうえで、この《榛名山賦》を記念館に寄贈した。もちろん小暮氏は自分の気持ちを誰にも明かしてはいなかった。フシギな縁を持つ作品だった。

 

 

建物は美しいし、調度品も素敵。

 

 

こうして“撮影スポット”を撮っていて、時折ふと我に返る。

 

 

いい年こいたオッサンが、乙女よろしく何やっとんじゃという気がせんでもない。

 

 

夢二の生活はこうではなかったし、女と絵と旅だけが全てだった画家に「飾る」という考えは毛頭なかっただろう。ただ、夢二が表した大正ロマンは、確かにどこまでも借り物的で、だからこそ誰もが夢中になったのだ。

 

 

11時なった。玄関で待ち合わせたガイドの女性に案内されて義山楼にむかった。

 

義山楼

 

 

立派な数寄屋風。

 

 

どこかの数寄屋建築を移築したのだろうか。質問しても捗々しい回答が得られない。

 

「なんのためのガイドなのちにゃ!」サル

 

そういう凝った質問するひとはいないんだよ。きっと。

 

 

広い靴脱ぎ。旅館みたい。

 

 

明治大正期の和ガラスの展示室だった。

 

 

系統展示するとなんでも美しい。

 

 

市松模様風。

 

 

よくまあ集めたものだ。


 

高価なカットガラス。

 

 

こちらも。

 

 

玄関をふり返る。ステンドグラスは小川三知の作。つまり、どこかの洋館からガラスだけ移築したのだろう。

 

 

照明にも…

 

 

壁にもステンドクラス。これは小川ではないがやはり移築品らしい。

 

別館・子供の絵館

 

 

続いて子供の絵館へ。

 

 

「これ移築ですよね」とガイドのおばさんに訊くがやはり要領をえない。

 

 

立派な階段室。

 

 

勘定場があるのでかつてのホテルだったものか。

 

 

隣室には立派なマントルピース。

 

 

天井は木製ルーバーつき。トップライトから陽光を注いでいる。

 

 

絵画は撮れないのでこんなものばかり。

 

 

そしていよいよ夢二黒船館へ。10分前に待ち合わせの三階・喫茶室(不定期営業)へ。既に数名の客が待っていた。みんなこれだけのために来ているのかなあ。うちはそうだけど。

 

本館・夢二黒船館

 

いよいよ黒船屋とのご対面だ。2024年度に三菱財団の助成をうけて大規模修復を終えたばかり。顕著だった本紙の皺が綺麗になっている。

 

 

時間になり、頑丈な鉄門扉の前に並ばされた。もちろん狙うは最前列。扉が開き、部屋に案内されると椅子が前後計20席ほど用意され、順に座るように促された。どうしても一番に、それも中央で観たかったのだろう。肥った中年の小男がそそくさと進み出て「詰めてお座りください」の言葉を無視して前列中央に座った。

 

「おいおい」サル 順序まもれよ!

 

制服に身を包んだ女性ふたりが書院風の引き戸を左右から御開帳。と同時に哀愁に満ちたメロディが流れ始めた。ちょっと古い喩えだが、ヒロシのコントみたいである。

 

竹久夢二《黒船屋》(1919)

 

デフォルメされた手。S字を描く女性の身体とそれを覆う黒猫のボリューム。薄く青みがかりしっとりとした質感の黒髪。やはり名画だった。「会話を謹んでの鑑賞を」と言われて無言で観る。だが相手は一枚の絵。さすがに映画や動画と訳が違う。すべての客が一点を見据えるこの妙な緊張感に耐えきれず、思わず足許に眼を落としてしまった。狭い室内は猪首の小男の荒い息遣いだけが支配していた。

 

「気になゆ~」サル

 

ひとり隔てたおサルも気持ち悪かったと云うから、客全員が同じ気持ちだっただろう。そして、少し解説が加わったのち「順番に御座敷におあがりください」と促された。それと同時に小男がわれ先にと前のめり気味に立ち上がった瞬間だった。「裸足の方は靴下をお貸ししますのでお履きになってからどうぞ」と釘をさされた。小男は裸足だった。その狼狽ぶりがおかしくて「じゃお先に」と内心呟きながら立ち上がったまでは良かったが、前日靴紐を硬く結びつけたせいで靴がぬげん。そうこうしているうちに、第三の男がちゃっかり中央に座り込んだのは言うまでもない。

 

「まるでイソップ童話みたいだの」サル

 

欲深な人間には必ず天の制裁がくだるという好例。←自分のこと

 

与えられた時間は30分。短いような気もするが、同じ絵を30分観るのは決して楽ではない。それに至近距離までよれず、更には退色防止で薄暗く、老眼には辛かった。かつて学生の頃、パリのルーブル美術館でモナリザを観たことがあったが、あれと状況はさして変わらない。絵画鑑賞はむつかしい。

 

しかし、この絵も表具屋・彩文堂主人の飯島勝次郎が注文しなかったらこの世に存在しなかった。当時、最愛の彦乃と離別したばかりで、投げやりになっていたのだが、勝次郎はすでに絵絹まで持参していた。じゃやるかと気分が乗った夢二が仕上げたのがこの絵。勝次郎は大層感動して百円札を握らせようとしたが、受けつけず、結局75円を強引に払った。その後《黒船屋》は48年間、秘蔵の品として人目に触れないでいた。だが、92歳を迎えた勝次郎は、譲るのであれば長田先生にと輿入れを認めたのだという。

 

「ロマンだの」サル

 

その長田先生も老い先短いことを考えて、やはり伊香保にとこの記念館に託したのだという。記念館がこの絵のために完全無欠な展示室建設に踏み切った訳はここにある。

 

 

一枚の絵をみるのにこれだけ労力を費やした後にも先にもこれが最初で最後か。

 

 

見学を終えて駐車場脇にある小暮茶寮で食事をすることにした。

 

 

水沢うどんの天麩羅もりあわせ(2200円)を戴いた。天麩羅は素朴だったが、うどんは腰があって瑞々しく旨かった。なかなかハードルの高い《黒船屋》だが、ここで朗報。実は今年開館45周年記念として東京国立近代美術館で特別展「竹久夢二時代を創る表現者」が10月23日から開催される。館外貸与は40年ぶり!ぜひこの機会を狙っては?

 

「おサルはもういい」サル つかれた

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツの酒【第356回】

仙禽 RETRO 壱式

 

製造年月:2025年6月

生産者:㈱せんきん

所在地:栃木県さくら市

タイプ:生酛造り純米酒 火入れ

使用米:ドメーヌさくら産山田錦20%、雄町80%

精米歩合:80% 

アルコール:13%

杜氏:薄井正人氏

販売価格:2,000円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は仙禽RETRO壱式。ずいぶん飲んだ気がする仙禽だが、初見のラベルをみつけて、まだ知らない酒もあるんだと嬉しくなって買った一本だった。(2025年9月20日賞味)

 

 

ラベルの髭文字に旭日に松に鶴。長寿と家運を祝うおめでたい図柄。まさに江戸返り。

 

 

とは言いつつ、そこは仙禽。味わいはモダンクラシックに決まっている。

 

 

火入れなのにガス感ゆたか。キューっと収斂する甘酸っぱい酸。そしてライチ系とラムネの香り。だが、そこは生酛。後半は底からグッと持ちあがる米本来の力強い旨味キレもいい。夏にぴったりの酒だ。

 

で、肴は?

 

「そろそろサンマの季節かなと思ってさ」サル

 

いつものおサルに似合わず、どこかテンション低い。

 


それもそのはず。痩せてる~(笑)。

 

「たぶん解凍も悪かった」サル

 

脂はのっているんだけどね。見栄えも味の決め手。焼き加減がむつかしいね。

 

「大丈夫。もう一品あゆ」サル

 

 

定番のマカロニグラタンですな。

 

「満足頂けると思ゆ」サル

 

 

人参。マッシュルーム。鶏胸肉。ガッツリだった。仙禽は和洋中なんでもあうから嬉しい。

 

 

年を追うごとに価格アップ。仕方ない。造りがいい酒は手間暇かかる。だから味わって飲もう。

 

「好きに飲む」サル ←絶対あーだこーだ言わせない派

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツのグルメ探訪♪【第280回】

コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ

℡)045-641-7750


カテゴリ:喫茶店

往訪日:2025年9月20日

所在地:神奈川県横浜市中区相生町1-18

営業時間:10時~18時(土曜10時30分~・日曜定休)

※ランチメニューは11時から

アクセス:JR関内駅から5分

■30席

■予算:1,600~4,000円(税込)

■予約:可

■カード:可

 

《王道の昭和レトロ喫茶》

 

秋雨の晴れ間をついて関内の老舗喫茶店ルミエール・ド・パリを訪ねた。いわば庭のような場所であり、以前から存在こそ知っていたが、往訪は初めてだった。1974年創業の昭和レトロ系喫茶店で旨い珈琲には定評がある。だが、僕の狙いはオーキッド特別室。建築番外編としての往訪だった。

 

 

巷の情報では特別室は予約なしでは入れないとあったが、予約で満席でなければ利用できる。ということで開店前30分に現地に到着。さいわい誰もいなかった。15分前でようやく二組後ろに続いた。

 

 

オーキットルームの利用には別途料金がかさむと思っていたが、ただの思い過ごしだった。

 

 

開店と同時に一般客室を素通りして一番奥をめざす。

 

 

専用の入り口もあったのだ。意外にも暫く二人きり。皆普通席に座ったようだ。

 

「みんな純粋にお茶しにきてるんだね」サル

 

うちだけか。ここを狙いは。

 

 

なんかいろんな様式がゴチャゴチャ(笑)。

 

 

この節操のなさが昭和レトロの好い処だ。

 

 

小口タイルのモザイク画。

 

 

異様にでかいフェイクのシャンデリア。

 

 

てっきり完全個室だと思っていたが、かなり広くて好きな席に座っていいらしい。

 

 

女子好みの空間。事実このあと現れた客はすべて女性だった。

 

 

カトレア。なんとなく淫靡。

 

 

スタッフもとても感じがいい。

 

 

70年代の色調。

 

 

四人掛け×2ボックス。

 

 

坪庭もある。

 

 

創業者は篤志家だったのだろうか。

 

 

ということでなにか頼むことに。ただ、ランチは11時からなのでまずは珈琲セットを。

 

 

酸味の勝ったおとなの味。

 

 

これだけで十分かもしれないが、名物は押さえておきたい。11時と同時にランチメニューを注文。まるで居酒屋のノリである。大の海老好きなおサルは仏蘭西風エビフライセットにした。

 

 

白ワインつき。

 

「飲んでよい?」サル

 

 

結構なボリューム。4000円だしね。喫茶店で。特製タルタルかフレンチソースで頂く。どちらも甘い。ショ糖の味。つまり昭和の味だ。

 

 

僕は特製ビーフカレー(1600円)。

 


ゴロ肉の柔らかいこと。味は普通だがカレーはやはり禁断の食材(笑)。

 

 

御馳走さまでした(11時を過ぎると客が増えてきた)。

 

 

ということでひとつ課題を片づけた。

 

 

レトロ建築。なかなか面白いジャンル。ハマりそう。

 

「サルはワイナリーめぐりがいい」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ392

ゼクエンス太田の長屋

 

往訪日:2025年9月7日

所在地:群馬県太田市

■設計:シーラカンスCAn(宇野享)

■施工:吉田組

■竣工:2007年

 

《シーラカンスといえば白》

 

今回の建築巡礼のシメはゼクエンス太田の長屋。凝りもせずに住宅建築である。こちらはシーラカンスアンドアソシエイツ名古屋宇野享氏(1963-)が手がけた共同住宅建築だ。宇野先生は岐阜県出身で東京電機大で建築を学ばれ、教育者としても活動されている。

 

 

無事到着。住宅建築は見つけるのに多少の困難をともなう。物件名のゼクエンスとは音楽用語で「反復進行」を意味する。音楽に疎い僕にはなんのこっちゃである。「同じ音型を高さを変えて繰り返す」という意味らしい。ますます判らん。それがこの建築とどういう関係があるのか。

 

「少しずつ増殖しているんじゃない?」サル

 

 

実はこの建築。上空からみるとY字の平屋が増殖するように連鎖している。そこに建築家の意図が表れているのだろうが、側面から見るとごく普通のトレーラーハウスのようにしかみえない。

 

 

ただ開口部は殆どなく、白いガルバリウム鋼板が石積みの古い倉庫群のような風景を生み出している。どんな人が暮らしているのだろう。

 

 

田園と古い住宅地に囲まれた白堊の長屋。昭和建築にはない、企てのようなものがそこにはあった。これにて旅は終了。アート&建築に触れた愉しい一日だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございました。