ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

天理大学附属天理参考館

 

往訪日:2025年6月28日

所在地:奈良県天理市守目堂町250

開館:9時30分~16時30分(火曜休館)

※6月~9月、12月~3月臨時旧館

料金:一般500円 小中生300円

アクセス:西名阪・天理ICから7分

駐車場:約60台(※毎月25・26日は規制あり)

 

《水木しげるにインスピレーションを与えてそう》

 

天理教建築はまだ観るべきものが幾つもあるが、それは翌日に残すことにして(建築ばかりだとおサルが怒りだすので)天理参考館の民族学資料と古美術を見学することにした。一年のうち八ヶ月休館しているのでチャンスを逃さないように気をつけたい。

 

「観光もさせてくれ」サル

 

 

一階と二階が世界の生活文化、三階が東洋考古美術品の展示だ。

 

 

しっかり観れば一時間では足りない。幸いというか大阪の国立民族学博物館や全国の考古学系博物館で鑑賞したものと幾分重複しているので初見のものだけ熟視することにした。

 

《サン・ロレンソ1号》

 

入り口前には3000年前に栄えたメキシコ最古の文明オルメカの巨石人頭像(レプリカ)が。2011年に名古屋市博物館で「古代メキシコ・オルメカ文明展」で観たものよりもやや大振りか。

 

1F 世界の生活文化

 

 

アイヌにどうやってトルコ石が伝わったのか。

 

 

朝鮮半島に伝わる長生標(チャンスン)。村落の守り神や道標の役割を果たした。数年に一度チャンスン祭が開かれていたが、今では廃れる一方だとか。日本もまた同じ。

 

「人が減っているし」サル

 

 

パガジ(瓢箪)で造った韓国の野外仮面劇の仮面。現在でも端午の節句に演じられるとか。宮廷の仮面劇の名残りと言われている。

 

 

招牌・扁額。つまり商店の看板だ。形をみれば商いが判る。

 

「刀剣屋とか両替商は判る」サル

 

右端は洗濯屋らしい。石鹸を表しているのかな。

 

 

ここから中国・台湾。まずは門扉。こんなものまで収集するとは。学者の熱意には頭が下がる。

 

 

祭祀の間の再現。祖先の供養のほか、接待や年中行事も行われた。日本の仏間+床の間のようなものだね。

 

 

台湾先住民の民具。

 

 

台湾の少数民族タオ族の儀礼用兜。

 

 

続いてバリ。シンガ像は比較的近代のもの。

 

 

ボルネオの芸術。

 

 

製陶の技術は越南から伝わった。自然釉が美しい。

 

 

ニューギニアは仮面劇の宝庫。右から三番目の儀礼用仮面ジパエ(インドネシア・アスマット地方)はとりわけ印象深い。日本の南西諸島に似たような仮面劇がある。太平洋の潮流にのって、海の民は広がっていったのかと想像してしまう。

 

 

これは思い出深い。羊皮で造ったチベットの筏チュチャワだ。子供の頃に持っていた小学館の『船の図鑑』に載っていた。動物の皮で作ると言っても…

 

 

こんな感じで形が丸わかり。文化の違いだけどなんか不気味。

 

 

それでは二階へ。

 

(木箱や空き缶で造った三味線)

 

ここでは「移民と伝道」という切り口で、海外移民の日本人の生活が紹介されていた。

 

 

天理教はこの頃から海外布教を進めていたそうだ。宗教家や教育者は危険人物と目されたため、戦争中は大変な苦労があったそうだ。こうしてみていくと、金銭絡みで信徒をつのる“新興宗教”とは一線を画した、教理と布教が第一だったことが判る。

 

 

高橋留美子の漫画によく登場する日の丸扇子はきちんとルーツがあったんだな。

 

「なにこれ」サル

 

手踊りで使われるんだって。世の中には知らないことがまだまだある。

 

3F 世界の考古美術

 

 

最後に考古美術の世界。ちと食傷黄味ではあるが。

 

重文 《盛装男子埴輪》(古墳時代後期)

 

ここにも挂甲武人。と思ったらやはり群馬出土。

 

重要美術品  滋賀県大岩山遺跡出土《袈裟襷文銅鐸》(弥生時代後期)

 

このスタイルの銅鐸は近畿特有。24個同時に発掘され、東博やアメリカ、ドイツの博物館に分納されているそうだ。

 

 

銅剣、銅矛、銅戈は生産圏が決まっている。

 

 

銅鏡のなかでもとりわけ完成度の高い三角縁神獣鏡(富雄丸山遺跡出土)。

 

 

福岡県春日市出土の甕棺。筑紫平野の丘陵部では造成工事のたびに甕棺が出土したものだ。実のすぐそばからゴロゴロでてきたと親父が言っていたことを思いだす。

 

 

おなじみ。古代朝鮮半島の塼室墓(復元)。

 

《瘤牛型注口土器》(イラン)紀元前1000年

 

新収蔵品。3000年前のイランの土器。形が芸術的。

 

唐時代《三彩連錢馬》(7~8世紀)

 

連銭模様が珍しい唐三彩の馬傭の優品。でも眼が怖い。

 

 

まだまだたくさんあるねえ…。よくこれだけ収集したものだよ。

 

「全部じゃないよね」サル

 

ここから大量の中国青銅器。観たことのない物だけメモ。

 

西周《函皇父鱗文簋》(前9~8世紀)

 

これだけあちこちで同じようなものを見てしまうと飽きもするが、初めて地中からこんなものを発見した研究者たちの気持ちを想像すると、あれもこれも持ち帰りたいと昂奮するのも理解できる。王家に嫁ぐ娘のための嫁入り道具だったそうだ。

 

春秋《鱗文匜》(前8~7世紀)

 

この字も見たことない(笑)。「匜」と書いて「い」と読む。手洗い鉢のことらしい。以前も書いたが、久保惣しかり、白鶴美術館しかり、泉屋博古館しかり。中国青銅器の国内コレクションって関西地方に多い気がする。

 

《刻文獣環壺》(前漢)

 

くだって漢の時代の青銅器。装飾が抑えられて線刻中心になっている。

 

「もうおなかいっぱい」サル

 

でもリアルなお腹は減った。ここらで見学を終えて食事することに。天理と言えばアレだろう。だが果たしておサルの口にあうか。それが問題だ。

 

「なにが食べられるのち?」サル

 

(旅はつづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ292

おやさとやかた(天理大学附属参考館ほか)

 

往訪日:2025年6月28日

所在地:奈良県天理市守目堂町250

開館:(天理参考館のみ一般利用可)9時30分~16時30分(火曜休館)

アクセス:西名阪・天理ICから7分

駐車場:約60台(参考館)※毎月25・26日は規制あり

■設計:(監修)内田祥三(担当)奥村道造

■施工:不詳

■竣工:1955年~

 

《建設は現在進行形…のはず》

 

2025年6月の最終週に近畿地方に遊んだ。これもまた大阪赴任時のやり残しを果たす旅である。

 

「今回はおサルつき」サル

 

せっかくなので以前から気になっていた天理教の施設を見学することにした。東大安田講堂で知られる学校建築の泰斗・内田祥三天理学園(現 天理高校)を設計した縁で、おやさとやかた構想に顧問として関与した。実際の設計は東京帝大建築科の後輩で、信者でもある奥村道造が携わったといわれる。

 

(真東棟 1955年竣工)

 

天理教は中山みきを教祖として江戸後期に始まった天理王命(一般には親神様と呼ばれる)を祀る一神教である。新宗教の施設としては最大級を誇り、ひとつの街を形成している点で類を見ない。昭和29年に町村合併を果たした際に教団名をつけたということを学生時代に知り、驚愕したものだ。

 

「街自体が天理教だもんね」サル

 

 

最初に一番古い新東棟(1955年)を訪ねた。ちょうど朝のお勤めの時間だったのだろう。続々と信者の車が乗りいれていく。信者の宿所である別席場修養科天理教校などの教育施設が入居している。西名阪経由で奈良に入る際に必ず眼に触れるこの巨大な施設群に度胆を抜かれないひとはまずいない。

 

 

入母屋屋根に千鳥破風を配した鉄筋コンクリートは高床式になっている。この構造がひとつのスタンダードのようだ。

 

 

建物を抜けると南側にL字になった天理教校がみえる。建築の外観から神道のにおいを感じたが必ずしも神道の流れではないそうだ。春先は枝垂れ桜が見頃を迎える。

 

 

玉砂利を敷き詰めた広大な敷地の奥に北礼拝堂がみえる。その向かって右に(教祖と親神様を祀る)教祖殿が並ぶが、われわれ一般人は拝むことができない。

 

「生徒さんが続々と出てくる」サル

 

ちょうどお勤めが終わったんだね。

 

(南から見る北礼拝堂。ここは一般人も参拝できる)

 

小学生から高校生まで続々と途切れることなく南の学校棟に隊列を組んで帰っていく。

 

 

その流れに従って中心施設にあたる真南棟(1992年)に向かった。ここは比較的新しい。

 

(分離帯の石柱にも「天」の文字)

 

ここでおやさとやかた(親里館)構想について整理しておこう。

 

(建築を道路が突き抜けている。跨いでいるといった方が正しいのか)

 

おやさとやかた構想とは、中山みきが定めた「じば」と呼ばれる聖地を中心に、900㍍四方の建築を繋ぎ、生活やお勤めに必要な施設をすべて収めるという壮大な計画のことだ。そのうち約四割は完成に及んでいる。つまり、現在進行形なのだ。

 

 

跨道橋からみえる天理大学(1967年)。真南棟の一部をなしている。

 

 

やはり建物の直下は高床になっていた。こんな建築みたことないよ。

 

 

南側からみたところ。どういっていいのか判らんが、とにかくすごい。その左が天理参考館だ。

 

 

建築自体は1955年竣工。幾度かの引越しを経て2001年に移転している。天理大学が研究蒐集した優れた民族学的資料で知られる。

 

 

新旧の建物を階段で結ぶ。これを観ていると沢田マンションや九龍城を思い浮かべるのは僕だけか。もちろん、こちらは物理的合理性を担保しているし、カオスな雰囲気は無縁だが。

 

 

天理教大教会牛込詰所。例外的になんとなくモダン。

 

 

ということで再び真東棟にもどってきた。一周するだけで一時間はかかる。建物が道路や河川を横断し、そして消防施設も病院も自前で保有している。改めてすごい建築群だと唸らされた。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツの酒【第342回】

三冠 純米酒 雄町 一回火入れ

 

製造年月:2025年6月

生産者:三冠酒造㈲

所在地:岡山県倉敷市

タイプ:純米酒 一回火入れ

使用米:岡山県産雄町100%

精米歩合:65%

アルコール:15.5%

杜氏:藤井時弘氏

販売価格:1,550円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は倉敷の酒・三冠。近くの酒屋が盛んに押すので一度購入してみることにした。(2025年6月27日賞味)

 

 

三冠酒造の創業は1806(文化3)年。前日に頂戴した生粋左馬有賀酒造に次ぐ老舗である。以前旅先の倉敷で酒を探すのに苦労したが、こんな銘柄もあったのね。ただ、酒蔵見学もやっているし、ラベルの髭文字を見るといわゆる“大店系”の蔵なのかもしれない。

 

 

蔵のなかで半年熟成させた生酛系。使う米は岡山発祥の雄町朝日。明治期に二度褒章授与の栄誉にあずかり「次は三度目だ!」という思いをこめて「三冠」の銘柄が誕生したという。ちなみに漫画「あぶさん」で景浦があおっていたことでも知られる。

 

 

その色からして味が想像できそうだ。

 

「おサルが苦手なやつ?」サル

 

最初から構えては進歩はない。飲んでみた。酢のような強烈な酸。ザラリとした渋味が口中を支配。燃える様なアルコールが舌を打ち、食慾に火をつける。

 

(甘エビ・キュウリ・パクチーサラダ)

 

ただこれは合わんよね。

 

「夏の我が家の定番なんだけど」サル

 

ネットリした甘エビの旨味はいいかも。

 

 

飲み方を変えてぬる燗に。磁器の平杯で頂戴した。この方が米の旨味が際立つね。角も取れてまろやか。

 

「飲み方は好き好きよ」サル

 

 

酒はね。きっとこういうアテを求めているんだよ。きっと。

 


辛口のキレキレ純米。岡山っぽいといえば岡山っぽい。古式に乗っ取った造りだったね。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツのグルメ探訪♪【第273回】

カモメ氷菓店

℡)050-5890-7731


カテゴリ:かき氷・スイーツ

往訪日:2025年6月27日

所在地:神奈川県横浜市中区海岸通り4-22関内カサハラビル1F

営業時間:11時~17時/週末18時(月曜定休)

アクセス:みなとみらい線・馬車道駅から2分

駐車場:なし

■10席(カウンターのみ)

■予算:2,000円(税別)

■予約:可

■カード:不可

■開業:2022年

 

《作りも味も芸術品!》

 

2025年の梅雨明け切らぬ昼さがり。おサルの案内で馬車道の夏季限定営業の高級かき氷店にいった。こう暑いと食欲も減退気味。バニラアイスだと重すぎる。かき氷こそ日本人が発明した究極の涼味だ。

 

「昔食べに行ったにゃ」サル

 

名古屋・幅下のフルーツのにしわきの、本物のフルーツをミキサーにかけたかき氷は最高だった。調べてみるとまだ健在らしい。

 

「白桃とかね」サル 高いけど

 

 

さて肝心のカモメである。さっそく入店。若い女社長とおっとり気味のバイト女子二名で切盛りしていた。カウンターが三列。やや腰位置の高いスツールにおサルが這い上がる。

 

「座りにくか💦」サル

 

 

メニューはこんな感じ。一品1500円~2000円。昨年の話だから今年はもっと値上がりするかもしれないね。

 

「こう物価高ではね」サル

 

つきだしに出されたハリハリ漬けを齧りながらほうじ茶をすすり、それぞれ注文をおえてジッと待つ。そのうち店の前が騒がしくなった。6人ほどだっただろうか。日本人の涼味のはずが、白人の団体が押し寄せるのなんのって。ただでさえスツールの間隔は狭い。みな(ハンバーガーとポテトフライで拵えあげたケツが)でかいので隣りに座られるのは嫌だなあと、相変わらず右翼オーラを全開にする。こんなところまで来んでも浅草とか渋谷にもあるやろ。

 

「SNSで探してくるんだよ。みんな」サル

 

アマいムードに水を差されかけたそんな時、待望のかき氷到来!

 

 

「おう!おサルが大好きな極上抹茶♪」サル

 

鹿児島県知覧の有機栽培抹茶をこれでもかと。垂れる餅蜜が艶美。因みに北杜市産の天然氷を使用している。純度の高い氷は崩れにくいが、加速度的に溶けるのも事実。提供後は速攻で食べるように指示される。

 

 

対する僕はほうじ茶あずき。薦められるままに黒蜜をトッピング。

 

 

小豆は中にビッシリ。このあと溶ける氷との戦いに。写真など撮っている場合ではなかった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

ふサルヒツの酒【第341回】

MOSAIC 2025 生粋左馬 純米生原酒 福乃香×夢の香

 

製造年月:2025年6月

生産者:有賀酒造合資会社

所在地:福島県白河市

タイプ:純米生原酒

使用米:福乃香80%、夢の香20%

精米歩合:50%

アルコール:14%

杜氏:有賀裕次郎氏

販売価格:2,000円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は福島のMOZAIC。福島県の泉屋酒店のコラボ企画だ。県内複数銘柄が参加していて、訪れた日はこの生粋左馬の生原酒だった。(2025年6月26日賞味)

 

 

地方の酒屋で眼にしたことのない酒を見つける。ひょっとしてレア酒?いや。ただ自分が知らないだけかも知れない。しばらく買うか買うまいか逡巡する。結局は袋に詰めてもらい家に帰る。ある日、その酒が知る人ぞ知る銘酒だったと判る。そんなとき「酒というのは人と同じ。一期一会だ」と感じ入る。

 

「最近は失敗しないね」サル

 

有賀酒造の創業は1774(安永3)年。歴とした老舗である。しかし、普通酒主体のどこにでもある地方蔵だった。それがモダンな造りに代わったのはここ10年のこと。現在の蔵元杜氏・有賀裕次郎氏は東北大学で研究者の道を歩んでいたが、東日本大震災が進路をかえたそうだ。

 

 

もうグラスが大汗をかく季節に。こういう日はさらっとした夏酒が最高だ。

 

 

試験醸造みたいなものなのだろうか。低アルでさほど弾ける感触はないが、甘さ控えめな夏のにごり酒というテイスト。後半にガス感と苦味が前面に。面白い。夏の新酒と言い直した方がいいかも。手製の鰺フライとまたいい相性。身が厚くふわっふわ。

 

「温度管理が大事だにゃ」サル おいしく作るコツ

 

 

最後はガッツリ澱含み。モザイクというネーミングながら素性は割と明かされている。この季節に近くに寄ったときは探してみよう。もしあれば即買いをお薦めする。

 

「イケメン蔵元も来店してた」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

ふサルヒツの酒【第340回】

勝駒 純米酒 五百万石

 

製造年月:2025年5月

生産者:㈲清都酒造場

所在地:富山県高岡市

タイプ:純米酒

使用米:五百万石100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

杜氏:清都浩平氏

販売価格:2,200円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は富山の勝駒。居酒屋で飲んだことはあるが、自ら入手するにはハードルの高い銘柄だった。だが、意外に身近な処で入手可能と知り、遂に開栓したてを味わうことができた。(2025年6月22日賞味)

 

 

清都酒造場の創業は1906(明治39)年。日露戦争から帰還した初代が祝勝記念に命名したのが「勝駒」の謂われ。躍動感あふれる表ラベルは池田満寿夫の揮毫による。池田自身が勝駒のファンだったそうだ。

 

 

現在も六人で酒造りをしている小商いの蔵。だけに出荷できる酒も限られている。

 

 

ラインナップは山田錦の純大と純吟。そして、五百万石の純米、本醸造、普通酒(上撰)の五品。そこに季節酒のにごりが加わる。造り(の数と品)を厳選することでブレのない味わいを実現しているのだろう。最初ということもある。まずはベースの純米をいただくことにした。

 

 

抜栓した途端にフルーティな香りが解き放たれた。しかし、さすがは勝駒。ずっしり重くキレキレ。鮮魚のカルパッチョなど相性が良さそうだ。

 

 

だが、この日は(旅から戻った晩ということもあり)山形の野菜づくし。ピーマンの塩昆布。鞘隠元の白味噌和え。トマト、キュウリ、玉葱のサルサソース仕立て。オカヒジキのマヨ和えの四品。

「野菜にもあうよ」サル

 

辛口の美酒は酒肴を選ばないね。

 

 

初の勝駒の家飲み。開栓仕立ては想定通りのキレキレだった。次回は吟醸系を頂くとにしよう。

 

「旨かった」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

魅惑のパブリックアート⑭

五十嵐治也・三橋幸次「魅惑のくちびる SORRISO」(1995年)

 

往訪日:2025年6月22日

所在地:山形県米沢市八幡原5丁目4806-1(八幡原緑地公園)

アクセス:東北中央道・米沢八幡原ICより3分

 

《世の中には不思議なものがいっぱい》

 

2025年山形の旅。二日目に寒河江市庁舎を往訪した際に、館内に置かれていた地元のアート特集記事のなかで不思議なオブジェの存在を知った。タイトルは《魅惑のくちびる SORRISO》。SORRISOはイタリア語で「微笑み」を表す。これは面白そうだ。ちょうど帰り道だし寄ってみることにした。

 

 

それは八幡原の工業団地内にある運動公園の緑地帯にあった。しかし、近くのテニスコートや運動場から微かな喧噪が伝わってくるだけで誰もいない。おサルと比較するとその大きさがよく判る。

 

「だーれもいないにゃ」サル

 

 

まるでチョウチンアンコウだ。デザインは当時開校したばかりだった東北芸術工科大学五十嵐治也氏と三橋幸次氏によるデザイン。契機は当工業団地の完売を祝しての地域振興整備公団による寄附だったそうだ。工事に携わったゼネコンが寄附という態で設置するケースは、建築関係では(特にバブル期に)よく見られる慣習だが。

 

 

位置の違いでアーチとくちびるの形が変わってみえるのが面白い。アーチ部材は高周波曲げ加工した径の異なる鋼管を溶接で繋いでいると思われる。

 

 

後背は盛り土されている。まるで土中から唇だけが突き出しているようにもみえる。

 

 

横から見ると松本清張。

 

 

永遠の発展をもとめて。

 

 

後ろから中に入ることができた。

 

「どれどれ?」サル

 

 

まるでクジラの腹の中のようだ。ライトアップされる仕掛けもある。夜はまた違った姿を愉しめる。そういう思想だったのだろう。この不景気の時代に今でもそんなことをやっているのか判らないけれど。今でも全然古びていない素敵なパブリックアートだった。休憩がてらに立ち寄る価値はある。

 

「トイレもあるしにゃ」サル

 

これにて山形の旅は終わり。渋滞覚悟で一路家を目指して帰っていった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ291

寒河江市庁舎

 

往訪日:2025年6月22日

所在地:山形県寒河江市中央1-9-45

開門:8時30分~17時15分(土日閉庁)

アクセス:山形道・寒河江SICから10分

駐車場:あり(約350台)

■設計:黒川紀章

■施工:高松木材、寒河江建設

■竣工:1967年

■登録有形文化財(2017年)

■DOCOMOMO選定

 

《夢にまで見た名建築》

 

2025年山形の旅。二日目は待ちに待った寒河江市庁舎である。長らく懸案の建築だった。期待に高鳴る胸をおさえてナビ通りに進む。市役所の駐車場入り口で右折した瞬間、写真でしか見たことのなかった建築がとうとう姿を現した。鉄筋コンクリート造5階建ての名建築だ。

 

 

設計は黒川紀章。しかし、愛知出身の黒川が、しかも実作の殆どない“無名”だった建築家の卵が、なぜ遥か遠きみちのくの寒河江の街で設計の委託を勝ち取ったのか、ずっと疑問だった。

 

(排水溝が飛び出している。日本の城郭建築との類縁性を感じた)

 

実は先行して受託した日東ベスト食品寒河江工場の落成式に列席した寒河江市長・渡辺彦吉氏の心を鷲掴みにしたらしい。「どこにもない建築を」と発破をかけられた黒川は、大いに気持ちを奮い立たせて、それまで論文で書きまくっていたメタボリスム理論を具現する作品を絵にした。それがこの建築だった。

 

 

一階は市議会場。取っ手の部分が髭の形をしている。岡本太郎の作品だ。建物本体は垂直性が際立つが、基層部の安定感ある斜梁は、師匠である丹下の初期作品と通底する。

 

 

覗き込んでみる。床は深いワインレッドのリノリウム。

 

 

事実上の市役所一階にあたる建物二階までは長いスロープで繋がっていた。不思議と無駄な存在感を得ないのは、頭でっかちな躯体がそれ以上だからだろうか。

 

 

最初期の作品というのはいい意味で尖っているし、勢いがある。形振りとか周囲の眼(その代わり自意識だけは極限まで肥大しているが)など気にしてはいない。画家も彫刻家もそうだけど、出来上がってしまうとやはり駄目だ。

 

竹田光幸《システム》(1967)

 

テラスに彫刻が二体。同じ作者だ。初耳の彫刻家だったので調べてみた。作者の竹田光幸氏(1943-)は富山県射水市出身。多摩美大を卒業し、母校で教鞭を執りつつ、作品を制作してきたようだ。パブリックアートも多く、大理石や木彫の現代彫刻が多い。

 

竹田光幸《地の標》(1967)

 

木製ベンチも当時からのもの。

 

 

しかし。よくこんな張り出した構造を認めたものだ。

 

「地震が来たら終わりなんじゃね?」サル

 

そのあたりは構造計算して、その後も耐震工事もしていると思うけど。

 

 

ここであることに気づいた。訪れたのは日曜日。端から内部見学は諦めていたのだが、時折市民と思われるひとが入っていく。休日出勤にしては普通の主婦や白髪頭の老齢者。ひょっとして開いている?

 

 

やはり。中に職員らしき人がいる。聞けば近く開催予定の選挙の事前投票を受けつけていたのだ。恐る恐る(でもないけど)中に侵入。職員と眼が合う。いちいち眼を合わせてしまう時点で不審者ランク1確定。2にランクアップする前に「あの~。建築の見学に来たんですけど、ここって写真撮ってもダメではないですか」と、内心やましさもあるため、質問がヘンになってしまったが「人が写らなければいいですよ」と存外簡単に許してくれた。ここでおサルを大急ぎで呼び寄せた。

 

「なになに?珍しい物って?」サル

 

これよ。

 

 

これだ。これが観たかったのだ。よかった。ダメもとで来ておいて。ぶら下がっているのは、やはり岡本太郎の光る彫刻《生誕》。タロウさん曰く「建物の直線に“ツノ”の曲線で対抗させ、生みの苦しみとエネルギーを表現した」と。大阪万博でも丹下のお祭り広場の大屋根に穴をあけたように、その弟子、黒川の作品にも“風穴”を開けようとしたようだ。

 

 

「よく気が散らずにお仕事できるにゃ」サル

 

慣れじゃない?

 

 

吊り下げられた彫刻の錘に建設に関連した企業名が彫られている。高島屋はなんだろう。緞帳とか?

 

 

内部は吹き抜けになっていた。そのため四隅に配置されたこの巨大な柱が建築全体の支えになっている。

 

 

庁舎議場のテーブルや椅子は天童木工製で今でも当時のものが使われているという。執務エリアは果たしてどうか判らないが。

 

 

それよりも一番眼を惹くのはこの床のタイルだ。白とエンジのジオメトリックパターンで埋め尽くされているが、どこをとっても同じ組み合わせはないという。

 

 

随分職人泣かせなデザインだ(笑)。

 

 

床下がガラスブロックで採光できるようになっていた。議会場の天窓の役目をしているのだろうか。機会があれば見てみたいが…山形だしまあ無理か。それでもいい。大満足の建築巡礼だった。実はこの資料コーナーにあった本の中に、ある面白そうなものを見つけた。それを見て旅を終えることにした。

 

「サルのお買い物は?」サル

 

道の駅で。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

山菜料理 出羽屋

℡)0237-74-2323

 

往訪日:2025年6月21日~8月22日

所在地:山形県西村山郡西川町大字間沢58

■営業時間:(IN)16時(OUT)10時

■料金:28,000円/人(税別)

■客室:10室

■アクセス:山形道・西川ICから5分

■駐車場:約10台

 

《パッと見は普通の旅館》

 

2025年山形の旅。一連の建築巡礼を終えて、いよいよ一番の目的である宿・出羽屋に向かった。

 

 

右に旧館、左に新館が並ぶ。一見至って昭和な造りだが、内部は重厚感ある数寄屋風だった(駐車場は向かって左隣り)。

 

 

創業1929(昭和4)年の老舗旅館。現在四代目が暖簾を受け継いでいる。「山菜料理」と銘打たれているように、二代目の頃から山菜尽くしの料理を得意としてきた。

 

 

西川の街に鉄道が引かれた昭和の初めに湯殿山や月山詣の行者宿として営業を始めたそうだ。現在は配線となり、宿の正面に駅舎の跡が残っている。

 

 

民藝の世界。

 

「風格あるにゃー」サル 外からの眺めと大違い

 

 

現在稼働しているのは全10室。それぞれ趣きの異なる部屋が用意されている。

 

 

残念ながら客のほうで部屋を選ぶことはできない。

 

 

中庭を中心に新旧の建物がL字型に並ぶ。

 

 

宛がわれたのは離れの「雲海」という一室。突当りがその離れになる。

 

 

この左手だ。HPによれば「湯殿山神社の一本杉で造られた昔からファンの多い部屋」とあるのでいい部屋なのだろう。

 

 

手前に二の部屋がついたひと間。二人で過ごすには十分な広さだ。

 

 

逆サイドから。

 

 

緩い船底になっている。

 

 

トイレは脱衣所兼手洗い場とのユニット式。

 

 

その奥がバス。最近改修したのだろう。新品だった。

 

 

お風呂(本館三階)が使えるとのことだったので早速頂くことにした。

 

「汗を流しゅ」サル

 

午前中の建築散歩でかなり汗ばんでしまった。

 

 

ここにもラダーバック風が。奈義町現代美術館、仁摩サンドミュージアムと、この年に入って矢鱈とみる。

 

 

この奥に男女それぞれの入り口がある。

 

 

脱衣場はこんな感じ。きわめて清潔。

 

 

温泉ではない。ないが宿の宿泊料は結構な額である。

 

「その分料理が素晴らしいのち」サル

 

所詮、山菜ではないですか、という感想をお持ちの方に、この宿の、とりわけ料理の醍醐味は理解できないだろう。ということで夕食まで部屋で寛ぐことにした。寛ぐといった処でやることはひとつだが。

 

 

吾有事 純米大吟醸 尖鋭辛口

生産者:奥羽自慢㈱

タイプ:純米大吟醸

使用米:山形県産 美山錦100%

精米歩合:60%

アルコール:15%

杜氏:阿部龍弥氏

出荷時期:2025年5月

販売価格:1,700円(税別)

 

夕食まで時間がある。山形のモダン酒・吾有事の尖鋭辛口をチビチビやることに。スッキリしつつも華やかなバナナの香りが鼻をうつ。酒肴いらず旨い酒だった。

 

 

=夕 食=

 

 

食事は本館の個室で。

 

 

本日の献立。

 


まずは雅山流極月・純米大吟醸(2500円)を花冷えで。

 

「いい値段だの」サル

 

一応、雅山流だし。酒米は出羽燦々で磨き40%の度数16%。

 

 

唐塗の五段のお重の美しいこと。

 

 

並べてみた。

 

 

前菜ひと揃え ふきのとうコロッケ わらび みず 行者にんにく あいこ

 

ジュレ、山葵、葉山椒で香りと味を添える。

 

 

うどの胡桃味噌あえ

 

 

二輪草からし和え

 

 

赤こごみの黒胡麻あえ

 

「こごみ」の名がついているがキヨタキシダという別種の新芽。やや苦味が勝る。

 

 

じゅうなの切り和え

 

 

 

こごみの胡麻和え

 

 

五重 きぶのり

 

これは珍味。標高の高いブナに着生する地衣類。正式和名はヨコワサルオガセ。たぶんこれを食材として出すのは全国でもここ出羽屋だけではないだろうか。調査し尽くしたわけではないが。

 

「これ自体に味はないにゃ」サル

 

地衣類だからね。岩ノリと同じだよ。赤い色素はリトマス試験紙の原料になるそうな。

 

 

菊ときくらげの酢味噌あえ

 

 

筍の山椒味噌あえ

 

昨今の熊問題が加速すると近い将来、ネマガリタケも幻の食材といわれるようになるかもね。

 

 

山女魚

 

 

蕗油炒め

 

 

そばの実豆腐

 

 

焼物 アユの塩焼き

 

顎の開いた顔がいかがわしいミイラのようだ。

 

 

次はこれ。亀治好日の純米吟醸(度数15%・精米55%)。ずっとお安くなって1400円。

 

 

椀物 じゅんさい きくらげ 出羽屋農園の野菜

 

じゅんさいといえば秋田が一大産地。まさにこの時期が旬の食材。

 

 

月山焼き筍

 

これも旬。鯖と煮るのも旨いが、やはり焼いて喰うのが一番。

 

「甘味も増すしの」サル

 

 

剝いちゃうと小さくなるけどね。

 

 

口直し じゅんさいの酢の物

 

 

季節の天麩羅 ウコギ 山独活 ネマガリタケ

 

「もう酒はいいかも」サル

 

 

最後はハイボールで〆。

 

 

静かでいい。

 

 

筍ご飯

 

 

やたら漬

 

 

味噌汁も具がたっぷり。

 

 

太いワラビがゴロゴロ。東北はワラビが旨い。

 

 

氷菓 季節のデザート(さくらんぼ 林檎ゼリー)

 

 

もうお腹いっぱいだ。

 

=翌 朝=

 

この朝もジョグして回った。熊とバッタリは嫌だが、しこたま飲み食いしたので気配に注意しながら寒河江川を沼山取水場まで遡り、そこで野生の気配に怖気づいてきた道を戻り、それならばと高台にある長沼公園に向かった。

 

 

長沼は浮島のような突端に大沼神社の奥宮が浮かぶ厳かな雰囲気に満ちていた。ここは地元の高校のカヌーの練習場になっているようで、近くにはキャンプ場もあるが人の気配は皆無だった。だから至近距離に若いカモシカが現れた時はクマだと勘違いして、喉から心臓が飛び出そうになった。いやほんと。笑い事ではなく。

 

 

竜神信仰があるらしい。

 

 

長い坂をくだって宿に戻っていく。

 

 

そういえば本館一階に茶室があったはず。まだ見てない。

 

 

利休好みの茶室ということになるのだろうか。

 

=朝 食=

 

 

いよいよこの旅館での愉しみも最後。一階の食事処で頂戴する。大女将みずから配膳に立つ。

 

 

ご飯は羽根釜炊きでツヤツヤ。

 

「お米が立ってゆ」サル

 

 

上段の小鉢は(左から)鯉旨煮、独活、あさつきと蕨の和え物。独活は歯が要らないほど柔らかく、ワラビもコクがある。

 

「鯉は甘いね」サル

 

信楽焼の長平皿に載るのはツルムラサキのぬた和えサーモンの塩焼き玉子焼き。そこにゼンマイと胡瓜の浅漬けがつく。ワラビを象った箸置きがキュート。

 

 

筍、じゃが芋、大根、厚揚げ、そしてワラビ。朝も具だくさん。

 

 

苺のコンポートと自家製ヨーグルト。御馳走さまでした。食後も館内を散策していると何かが飛んでいる。見ればツバメではないか。

 

 

まるで置物だ。開いた窓から当たり前のようにツガイで侵入し、廊下を低空飛行で飛び回っている。全然人間を恐れていないらしい。

 

 

みれば絶賛営巣中だった。その様子を愛おしそうに眺めていると、会計を終えた大女将がフロントに現れた。「ツバメが巣を作っていますね」というと、案に反して「あら。もう。ちょっと眼を放すとすぐこうですから」と、いささか不愉快そうに眉根を寄せた。数日の雨でぬかるんだ田圃の畦から運んできたのだろうか。器用に柱にしがみついたツバメは、巣作りを始めたばかりのようで、一心不乱に泥を捏ねていた。どうやら宿では歓迎されていないらしい(職業柄仕方ない。それに屋内だし)。ツバメと宿の飽くなき抗争はしばらく続きそうだ。いい宿だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ290

旧済生館本館(山形市郷土館)

 

往訪日:2025年6月21日

所在地:山形市霞城町1-1

開館:9時~16時30分(年末年始以外無休)

アクセス:山形道・山形蔵王ICから15分

駐車場:なし(霞城公園有料駐車場)

■設計:筒井明俊・原口祐之

■棟梁:原口祐之

■竣工:1878年

■国重要文化財(1966年)

※撮影NGの部屋あり

 

《中華とコロニアルの混淆?》

 

2025年山形の旅。続いての建築は旧済生館本館である。霞城公園を南に向かって進むと…あった。あった。目指す不思議な建築が。

 

(老朽化でここからの入出は不可)

 

「また目立つ建物だのー」サル

 

1878(明治11)年に建てられた疑洋風建築の元病院である。その歴史は古く、1873(明治6)年に天童で産声を上げた私立病院が大本で、翌年県立病院として山形市内に移転した。

 

(オリエント風のオーダーに似せた木柱の意匠と基礎。涙ぐましい努力の跡)

 

その後「もっと本格的な医療施設がないといかん!」と県令・三島通庸が声高に言ったかどうか知らないが、即座に建替えが決定した。なお「済生館」の名付け親は三条実美である。現在も別の場所で高層の総合病院・市立病院済生館としてその歴史は続いている。

 

 

三層四階建ての塔屋を回り込むようにして玄関に向かう。

 

 

その先に済生館に併設された医学校教頭アルブレヒト・ローレンツの記念碑が設置されていた。三島が招聘したオーストリア人医師だ。二年間山形でドイツ式医学を教えた。

 

 

当初は三の丸に設置されたが、開発の波に押し出されて、戦後ここ二ノ丸に移築された。

 

 

ここが入り口。

 

 

入ってすぐ中庭に面したロビーになっている。ステンドグラスも見所のひとつ。

 

 

そこから見あげる塔屋。一番のビュースポットだ。表玄関のゴテゴテした意匠よりスッキリして見栄えもいい。一階は8角形、二階は16角形の楼建築。三階、四階へは螺旋階段でつながり、四階は高欄つきの望楼になっている。

 

 

そこに14角形のドーナツ状の回廊がつく。まるで客家の土楼。コロニアル様式と中華建築が混然一体となったような、なにも知らないからできた創造力の賜物だ。

 

 

現在は山形市郷土館として郷土の偉人(とりわけ医学者)を顕彰する資料館として公開されている。ローレンツの教え子としては脚気研究の遠山椿吉がまず記憶に残る。あの北里柴三郎もそうだ。山形県の風土病ともいえるツツガムシ病の研究に尽力した工藤満寿司に、皮膚科の音山金五郎なども大きな足跡を残した。

 

 

二階に続く階段。高欄の高さが昔の基準で低い。

 

「こわい~」サル

 

設計は県の病院建築掛に勤めた筒井昭俊(1837-1893)ということになっている。なっているが儒者あがりの筒井が図面を引けたとは想像しがたく、恐らく(こんな風にしたらええんでねがという)概略平面図程度に携わり、あとは棟梁の原口にまかせたというのが本当の処ではないだろうか。

 

 

しかし。すごい造りだな。

 

 

この捻りの無理やり感は会津の栄螺堂を髣髴とさせる。

 

 

三階に至る螺旋階段。欅の丸太に鉄の輪を嵌めて補強している。

 

 

これは秀逸。

 

 

一時は取壊しの話もあったそうな。重文指定でその話も立ち消えに。

 

「えーこっちゃ」サル

 

 

二階講堂。「済生館」の墨書は三条実美自身の手になる。

 

 

そこから覗く中庭の様子。

 

 

入り口側を見返す。

 

 

火伏の竜頭。二階講堂の照明の台座に設置されていたもの。

 

 

建築史の潮流を判りやすく図示してあった。大正モダニズム建築がようやく顔を表すかというところで終わっている。今では建築史の片隅に追いやられている疑洋風建築も、この時代までは時代の花だったと判る。

 

「見応えがあったにゃ!」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。